初めに〜411との出逢い 

ヤマハのファゴットYFG-411(写真01)はスタンダード、もしくはカレッジモデルとして開発された楽器

だ。発売は1992年だったが、既に生産は終了している。1987年にはカスタムの811が出たが、その頃の

811はどうも気に入らなかった。何が気に入らないかといえば、音色だったと思う。私の好みではなかっ

たが、気に入る人は勿論いて、それなりに売れていた。

 新しく411という楽器が出たと言うので、銀座に見に行った。一目見て、塗りが気に入りましたねえ。

所謂ナチュラルラッカー仕上げで、ピカピカしていない。ピヒナーもアルテヴェルトからナチュラルラッ

カー仕上げになったけれど、こういう塗りは昔のヘッケルの趣があって私好みだ。早速吹かせてもらおう

と店員に交渉したけれど、身元を確認された。まあ新製品で、変な事をされるのでは無いかと恐れたのだ

ろう。その気持ちは分かるが、冷やかしでファゴットを吹きに来る奴なんかいないだろうに。フリーの演

奏家なので身元を証明する者が無いのだけれど、何とか吹かしてもらえた。

 手に取ってみると悪く無い。吹くと音程も悪く無く、好みの音が出て来たし、何より811に比べて重く

無い。細身なのも気に入った。30分くらい吹いただろうか。これならどんな曲でも吹ける、と言うのが率

直な感想。店員に「いい楽器を作りましたね。」と言って店を後にした。

 その時は楽器を7、8本持っていたので買わなかったが、買いたい気持ちは残った。私が楽器を多数持っ

ていたのには訳があった。ファゴットは値段が高いので、若者の経済力では中々買えない。しかし、仕事

に就いて働けばお金を貯めて買える。ところが、楽器というのは値段も去る事ながら、良いものがある時と無

い時がある。タイミングの問題だ。いざ楽器を買う時に良いものがあるかどうかは運次第だ。私はそうい

う人の為に、良い楽器を見付けた時に手に入れていたのだ。実際、私の生徒、先輩後輩、友人に譲っている。

楽器屋では無いので儲けてはいないが、色々な物を譲るまでに吹いて楽しむメリットもあり、更にリード 

作りにも生きている。譲られる方も慣らし運転が終わって、すぐに使える状態で手に入る訳だ。

 その後何本かをそうした人達に譲り、手持ちが少なくなった時に、折り良くヤマハの人と知り合い世話に

なる事にした。何か411と縁があったのだろう。1994年なので、発売から2年後だ。ヤマハの銀座店で用意

出来るだけの楽器(4本だったと思うが)を、揃えてもらった。片っ端から吹いたが、1本毎に持ち味が違って

面白かった。しかし、カレッジモデルとして売り出されたが、税抜き88万円は安く無い。当時アドラーは

50万円強だったはずだ。念入りに吹き比べて、良いものを選んだ。しかし、使ってみると改良すべき点が

少なからずあったので、以下に記す。

改良すべき点その1

写真ではDouble(Butt) jointのBホールの連結キーが金属バーでガード(写真07)されているが、これがオプ

ションだった。しかし、これが無い楽器は見た事も聞いた事も無い。構えた時に必ず体に当たり、操作性

も気持ちも悪い。早速店に持ち込んで付ける様に頼んだが、何とこれが1万円もする。とは言え、付けない

とどうにもならないので仕方が無い。ところがひと月もしない裡に取り付けが緩んでしまった。紹介して

くれた人に相談したら、交渉してくれしっかり直してもらったが、標準装備が当たり前だろう。

改良すべき点その2

まずはテナージョイントから。この楽器は安く上げる為の工夫がいろいろ。その中でも特徴的なのは、通

常は板バネで動かすキー(写真17)にも、針バネを使っている事だ(写真0405)。板バネは形が全て違うが、

針バネは同一で済むからだ。加えて、フリック(Octave)とhigh-dキーはそのお陰でポスト(braces)が無い。

そして動く方向が90度ずれる。ストロークはさほど変わらないが、細かい動きに問題がある。例えばBの

フリック(Octave)キーを半分だけ押さえようとすると、不可能ではないが難しい。また高音域でフリック

(Octave)キーを移動する時は慣れないと上手く出来ない。

改良すべき点その3

テナージョイントの裏側だが、Cのトーンホールのリングが本当にリングになっている(写真06)。普通はホー

ルの縁までカバーされている(写真18)。この楽器は手の小さい人にも使い易いと言うのがコンセプトの様

なのだ。先に述べたフリックキーは普通の楽器より間隔が狭くなっている。手が小さいという事は、指

の先端も小さいのが普通だろう。このリングキーはそれと全く逆の作用をする。指先がホールだけを塞い

で、リングに指が掛からず浮き上がってしまい、連動するCisとDisのホールが開いてしまうのだ。私はそ

れほど指先の面積が狭い訳では無いが、気を付けないとそういう状態になる。男女を問わず小柄で指の細

い人には、全く使えないだろう。しかも綺麗に木枠に埋まってしまうので、押さえた感触に乏しい。木工

技術が優れているとも言えるが、家具では無いので綺麗なだけでは困る。写真ではリングが少し浮いて見

えると思うが、実は自分でコルクを調整して、わざとリングが指に当たる様にしているのだ。

改良すべき点その4

次はダブルジョイントに行こう。最初にガードバーの件に触れたが、これはオプションだったので、本体

に付いてだ。ここのgの息抜き穴(音程調整の)と連動するリングもテナージョイントと全く同様の問題が

ある(写真08)。低音域で押さえたつもりが、ここが開いて音が出ない事がままある。高いfisを吹こうとし

て、このリングのせいでgの息抜き穴が開いていて失敗する事もあった。早いパッセージでは指を立てて

いる事が多いので、リングに指先が入ってしまうからだ。小さい手でも吹けるというコンセプトだったの

だろうに、大きい矛盾を抱える事になってしまったと思う。

改良すべき点その5

(写真08)ではFとGisのキーにローラーが付いているが、これは後付けなのだ。まあここのローラーが付い

ていないのは、現在の楽器ではまず無い。購入する時に付けてもらう約束だったが、演奏会を迎えるまで

に直してもらえず、実はこれが原因で失敗をしている。昔のヘッケルには付いていないものも多いのだが、

それには理由がある。その前に411から説明しよう。この楽器のメッキ仕上げは実に綺麗だ。購入して20

年経つが、錆一つ無い。銀メッキなのに黒ずみすら無い。驚くべき加工技術だ。しかしローラーを外した

事でこれが仇となるなんて、職人さんは思わなかった事だろう。

昔のヘッケルでローラーが無い物のメッキは良く無い。表面がガサガサだ。ヤマハと比べればとんだ代物

の様に見える。けれど、これこそが肝心な所なのだ。表面が荒いので、指との間に小さい空間が出来る。

そのお陰で、汗をかいても密着する事が無くスムーズにフィンガリングが出来るのだ。

メッキの素晴らしいヤマハはと言えば、汗をかくと密着してスムーズな動きが出来なくなる。汗をかかな

くても、それほど滑らない。キーは指を滑らせなければ素早い動きなど出来ない。つまり、ヤマハには

ローラー装着が必至の事項なのだ。面白いのは、811のキーがそのまま付けられていると聞いた。つまり、

この辺の設計は811と同じという事だ。

改良すべき点その6

ロングジョイントに移ろう。低いCisのキーは指側の連結棒がT字型をしているのが普通だ。ところがこの

楽器はそれを取ってしまった(写真1213)。結果何が起きたか。Cisのカップがちょっとした事で裏返る

ほど開いてしまう。実際裏返った事もある。丁寧に扱えば、そんな事は無いと思うかも知れないが、それ

はストッパー(T字)がある楽器(写真15)を使っているから気が付いていないだけだ。思った以上に、衣服や

手で触れている。戻れば、それで済むでは無いかとも思うだろう。ところが、何度もそうなると何時の間

にか針バネが利かなくなっているのだ。バネの限界を超えて捻られるからだ。実際私が主宰するファゴッ

ト演奏者倶楽部の演奏会で低音域のCis、C、H、Bが本番近くになって急に出し難くなり、終わってから調

べるとここのバネが無効になっていて吃驚した。まあバネ自体をヤットコで曲げ、利く様にしたけれど。

これを何度も繰り返す事になれば、最終的にはバネを替えないといけないだろう。

改良すべき点その7

この楽器を使って幻想のセカンドをやった事がある。終楽章で低音域のCが出難くなり、どうしたのかとD

との連結を確認すると、Cの時にDのカップが少し空いている。直ぐにジョイント部分を曲げて合わせ様と

したら、これが大変。ヘッケルでも他の楽器でも、このジョイントは薄い金属でバネ状になっている(写真

15)。ところが411は厚く硬い金属(写真13)で出来ていた。これだけ頑丈に作れば、永久に調整しなくて

も大丈夫だと思ったのだろうか。しかし、かなり厚い金属を使っても経年変化は起きるし、小さい力でも

繰り返しの圧力で歪みは出る。更に問題なのは、Cのカップの連結部分にはフェルトかクロスを貼ってある

が、金属より先に潰れて来る。何故他の楽器は薄いバネ状にしているのか。それは緊急の時に指やヤット

コ等ですぐに直せるからだ。411の様な硬く厚い金属ではとっさの補修が出来ないのだ。前述の時は紙を

挟んで何とか乗りきったが、薄氷を踏む思いだった。

改良すべき点その8

ブーツでローラーが無いと書いたけれど、ロングジョイントのCis、Esキーにも付いていない(写真20)。

普及型の楽器でも付いているのに(写真16)。まあ無くても良いかと、私自身が思ってしまったは間違いだっ

た。ブーツほどでは無いが、素早い動きで指が密着してしまう。全く演奏不能という訳では無いが、指を

一所懸命動かさないといけないので、疲れるのだ。大体は問題無く吹ける。特にこの指が忙しい時には、

100円ショップでフェルトを買い、貼り付けて使ったりしている。フェルトを貼れば汗の影響が軽減され

るからだが、今でもローラーがあればなあと思う。

改良すべき点その9

最後はベルだ。この楽器は最低音のカップが横に付いている(写真14)。この楽器を買う時、当時の販売課

長に「どうして横に付いているんですか?」と聞くと、「この方が音程が良いんだそうです」との返答。

有り得ない。先端からの距離が同じなら、音程に変わりがある訳が無い。物理学が根底からひっくり返る。

それに、本当にその方が音程が良いなら、811も同じにしなければ理屈に合わない。要は針バネを使って

動作させる為に横に持って来ざるを得なかっただけだ(写真19)。こんな話をする様では、楽器の事が分

かっているとは思えない。まあ、その場では突っ込まなかったけれど(笑)

実際問題として、針バネで構成されている最低音に対して、D、Cは板バネだけを使っているので、ストロー

クの調整は難しいと思う。その調整の為か、BとHのキーが普通の楽器より短い(写真03)。短いとストロー

クが小さくて済むからだと思うが、指の動く距離は伸びるので素早い動きには不利だ。しかもCのプレー

トが無いので最低音からCに行くのが難しい。私は本来Cのプレートが嫌いなのだが、このキーの位置を考

えると欲しいと思う。オプションで付けられたとは思うけれど、標準装備にすべきだろう。

改良すべき点その10

気に入っていた塗装だが、10年めを迎える頃から粘り気が出て来た。ケースの起毛が張り付いてしまう。

楽器が狼男の様に毛だらけになるのだ(笑)。仕方が無いので、手ぬぐいで包んでケースに収めている(写真

02)。ただ、この問題はヤマハだけでは無い様だ。かつてヘッケルから出ていたOPUSもこうした塗装の問

題があるからだ。ピヒナーのアルテベルトはどうなのか知らないけれど、新しいヘッケルが皆ピカピカな

のはそれでかと。30年前もヘッケルはこの塗りを剥げるからと嫌がっていたらしい。ただ、その頃はぺた

ぺたになる事は無かったし、私の楽器もそうなっていない。

改良すべき点その11

タンポ(pillow)が特殊なので、交換する時は困るだろう。

 

以上の様に困った事の多い楽器だけれど、私はこの楽器が好きだ。矛盾する様だが、指周りの改良すべき

点はあっても、実に魅力的だったからだ。何よりも音色だ。それにベルが横向きでも(笑)音程はなかなか

良い。くたびれたリードでも充分に鳴ってくれる。低音が少し鳴り過ぎだが、リードを工夫して沢山吹け

ば落ち着く筈だ。ただ使い始めは、リードを合わせるのが少し難しい。では、次に優れている所を挙げよう。

優れた点その1

ブーツとテナー、ロングジョイントの結合部分が素晴らしい(写真09)。特にロングジョイントの入る穴の

壁の厚みはどうだろう。こんなに薄く精密な作りは中々無いと思う。しかも、はめてみるとぴったりだ

(写真10)。テナーとのバランスも良い(写真11)。1つの円錐管になるのがファゴットの理想だが、きっと

それに近いのだと思う。

優れた点その2

改良すべき点に書いてしまったが、キーのプレートが素晴らしい。長所と短所が表裏一体になっているの

は、こうして書いていて少し可笑しい。20年変わらない光沢は驚異的だ。金属も硬いので、力が伝わり易

い。

優れた点その3

タンポが特殊だが、丈夫に出来ているらしい。未だに 間も無く、特に問題がない。

優れた点その4

音程に多少の癖があるが、何と言っても音は良い。多くの欠点を補って、余りあると思う。これが最高と

は言わないが、この点は値段以上の価値があると思う。これは木工の技術も素晴らしいが、木そのものも

良いからだろう。

終わりに

短所に比べて長所が少ない様だが、良さを列挙するのは欠点のそれより難しい。それは人もそうだし、事

物や食べ物を評するのと同じだ。ソムリエのコンテストでも、みんな苦労している(笑)

そこでこの楽器の、ちょっとしたエピソードを披露しよう。

411を買った頃に、811を知人に借りて吹いて気に入り、譲り受けようかと思っていた人がいた。そ

の人にこの楽器を吹かせたら、811の購入を見合わせてしまった。最近の811、812は私も良い楽器だ

と思うけれど、あの頃は411の方が遥かに魅力的だったのだ。

ヤマハの職人さんは、良い楽器を安く作ろうとしたのだと思うが、昔から安い楽器でも省かれていない部

品には、意味があるはずだ。無くしても構わない物なら、とうの昔に取り去られただろう。また形状の変

更も大きな間違いになる。演奏家の気持ちになって考えないと分からないだろう。色々な人がいるので、

全てを満たす事は出来ないと思うけれど、そうした事を収斂して活かすのが正道だろう。

それに長く使わないと分からない事があるのは当然で、思うに811に比してその時間が足りなかっ

たのではないかと思う。それで、そうした箇所が全て411の欠点になっている。我々でも本当にその楽器

を理解するには長い時間が必要になる。飛行機のテストの様に命に関わるものではないが、一生付き合う

かも知れないものなのだ。家具と違い、丁寧に作るだけでは済まない。

とは言え、20年経ってもタンポが傷んだ様子もなく、金属部分の腐食も無い。そこは流石と言うしか無い

だろう。

良い所と悪い所が混在する、実に人間的で面白い楽器なのだ。この楽器を名器にするか、迷器にするのか

は吹く人次第という事で締めようと思う。