メール ホーム


何をそんなにイライラしているんだろう。

なにかしっくりこない、この仕事。

その1:情報が届かない!!!!

今の仕事は、今まで開発してきた所とは違う会社のシステムを開発。
リモートなため、いろいろな情報が届かない。
もともと、情報ネットワークがつながるから、地方での開発も可能と言われていたのに、
嘘ばっか。
ネットワークをつなげる環境を作るから、と、
今までいた新しいビルを追い出され、昭和12年築の、おんぼろビルに詰め込まれたのに、
つながってないやん。
システム開発するのに、情報に閉ざされてて、それで、出来るの???
いままで、近くにいても、意思疎通が出来てないことが多かったのに、
だいじょうぶなの???

リリース情報、ペンディング事項、検討しつつ変わっていくルール・・・
そんな移り変わりさえ、聞こえてこない。

聞こえてこないから、最初の段階の情報のみで開発が進んでしまうのさ。

今回東京出張で、
一番衝撃だったのがそこかな。
私の中で、2ヶ月前に来た時の情報と、それを元にして、開発してきた知識でもって
久々情報ネットに入ってみると・・・
いろいろなものが新しくなってた。
そして当然こっち(東京)で開発している人たちにはそれが反映されている。
先行開発していた人たちは、後からリリースされたものは組み込まなくていいから
名古屋先行開発部隊は、もちろん反映しなくていいし、考えなくていい所。
じゃ、今から開発する私は???
もちろん最新の環境に合わせるべきなのに、情報が来ていない。
こんなん無理ジャン。どうしろって言うの。

もちろん、もっと上流工程の担当者は、東京に4人いる。
でも、彼らの仕事は、あくまでも上流工程。
そこを担当している人が、私のやっている工程について考えることは、
まずない。
そんな部分の情報を、『変わってたら教えてくれ』なんて言っても、不可能。

上司は言うさ。
どんな情報が欲しいか言ってくれれば、おくる。

そりゃ無理でしょ、どう考えても。
何が変わってるか分からないのに、何が動いてるか分からないのに、
何がどう検討されて、何がどう決定されてるか分からないのに、
この情報をくれって、私に何が分かるっていうの!!!!!!

どうしたいの!
このまま、閉ざされた情報で、
今の段階だけの情報で、作っちゃえばいいんであれば、つくるよ。
その後は、しらない!

その2:作業量の違い

今回東京へ行って思った。
3人(上司1人除くメンバー)の作業量が、すっごく多いこと。
自分の単元を持ちつつ、単元以外の検討事項、考えねばならないこと・・・
それは、たいへんでしょ。
それに引きかえ、名古屋の私たちの仕事の少ないこと。
わたしは、先月末から、今月最初の3週間仕事がなかったし、
4人いる下の子たちは、別のグループに貸出だったし。
滞ってる、上流部分を、私たちがやるわけにはいかないの?

上司に言ったら、『そんなこと言ったって東京のメンバーでやるしかないだろ』
やるしかないだろじゃなくって、
それが、可能なのか、そうでなくって、本来の業務が滞るのであれば、
リモートで出来ることはないのか、
人を呼ぶのがいいのか、
それを検討して、一番いい状態に持っていけるように、
人の動かし方を考え、上席に持っていくのがあんたの仕事でしょ。
それを最初っから、上席がいい顔しないと言って、
今東京にいるメンバーの仕事の負担増やして、
名古屋にいるメンバーが遊んでる状態がいいとは、決して思えない。
そうは言っても、っていいたいことはたくさんあるとおもうけど、
私が見る限りでは、
人の動かし方、かなり悪いと思う。

ほんとに上席に相談してる?
状況分かってもらう努力してる?
すごい疑問。

その3:自分の立場。

1年目は、プログラマーとして、言われたことをこなしてた。

2年目は、少しずつ、設計やテストを任され、
スケジュールがめっちゃくっちゃ遅れて、大好きなとなりの上司に反省文の提出をさせられたな(苦笑)

3年目の夏前、一緒の仕事をしている先輩が妊娠し、
体調不良で2ヶ月ぐらい会社来れなくって、一人ぼっちで、頑張って勉強したなぁ。
そして先輩が会社を辞め、先輩と同期のおねえさんが、私の業務にやってきた。

4年目、私のシステムを知らないお姉さんと、上司。
なかなか理解してもらえず、苦しんだ4年目。
おうじに助けられ、自分自身が大きくなった気がする4年目。

5年目。プロジェクトに巻き込まれる。
期間の割にやることが多かった。
設計者として、頼りなかっただろうなあ。
わがままなユーザーとの折衝。
言いなりにはなれない、こちらの台所事情と、いいシステムを作りたい自分との葛藤。
子ども(プログラマー)が、6,7人ついて人を動かす苦労も味わった。
徹夜もした。
でも、いろいろな人との関わりがあった。
自分なんかより、もっともっと、大変だっただろう、上司。
でも、文句をいったり、相談したりすることで、人が動いた。
適任であろう人が、適所の手伝いに入った。
頼りに出来る役務者も手伝いに入っていただけた。
そんな日が、6年目まで続く。

6年目の途中、所属が変わり、上司は一緒であるものの、
グループとしてのTOPが変わった。
その人は、なんか違う。なんかおかしい。
上司たちも、その人の下で苦労していた。
1人、また1人、グループから抜けていった。
組織長の、あんなグループ長の下で苦労する必要はないと言う、
ありがたい配慮なのだろうか、残った私たちは、
もろ上司がいなくなり、
上司の力で、自分のやりやすいように仕事を進める方法で生きてきた私にとって、
上司がいないのは、とっても困った。

そして、わたしは、
開発をさせてもらえなくなった・・・・
たぶん、理由は、5,6年目のプロジェクトでの、ミスがかなりたくさんあったから。
(実際、今の部で、最高記録保持者かも・・・)
ドキュメント整備と言う名の窓際仕事。
来る日も来る日も、インデックスはったり、背表紙作ったり(笑)

それが、8年目の5月まで続く。
もう、本当にやめようと思っていた8年目。
8年目は、主任に上がる年。
TOPな人はわたしに言い放った。
『あなたは、設計書が書けない。あなたの書いたものは何が言いたいか分からない。
あなたは折衝能力がない。ユーザーに意思を伝えられない。
あなたは、話し方がなってない。
相手に対して、話す内容は違ってくるのに、レベルを気にせず話すので、
何が言いたいのか分からない。
だからそういうところができてないから、努力するように。
出来るようにならない限り、当然、上には上がれないから。』
分かってたさ。
自分に実力がないことぐらい。
でもさ、だからって、ここ2年ぐらい、
設計させてもらえず、開発させてもらえず、
窓際仕事ばっかやらせてりゃ、そういうことを勉強していく機会すらないさ。

そして、彼が、わたしにしたことは、
『レンタル』
よその業務に、放り出した。
7年間ずっと、1つのシステム(しかもホスト開発)しかやってこなかったわたしを、
違う業務の、しかも、違う言語の、しかも、分散開発の、しかもしかも、研修無しの。

これは、完全に、肩たたきだと思った。
実力無き者は、去れと。
そこも、3ヶ月契約が、2ヶ月半でクビになったんだけど(笑)

そんで、今回、
わたしの立場は、PGMリーダーとかで、
設計でもなく、開発でもない、よく分からない立場。
2,3年目の男の子が設計者として頑張ってるのに、
自分はなにやってるんだろ。

その4:自分の実力の無さ

そんな過程があるから、
今、東京で、ひっ迫してる仕事、手伝いたい気持ちはあるものの、
わたしにやらせてくださいって、言えない。
なぜって、わたしには、設計能力がなく、折衝能力がないから、
わたしがそこに入ると、余計に、足を引っ張るから。
わたしに設計能力のないことが、今度の上司にも分かったらしく、
3月まで、1本のプログラムを2年目とかの子に混じって組むさ。
しかも、わたしってば、この新しい環境で、プログラムを組んだことないし、
4年目くらいから、自分でプログラムなんて組んだないから、
2年目の子以下なんだよね。

そしてそこで、プログラムは、下の子に任せて、設計させてくださいなんて言えない。
だって、設計能力がないって言うレッテルは、 なにか実績を作らないとはがれないだろうし、
それをこの、今のプロジェクトで行うには、
きっとリスクがでかすぎる。

その5:情報に閉ざされることの不安

プログラムを組むと言うことは、プログラマーになると言うことで、
今わたしが、ちょっとだけかかわっている、リーダー会からも、切り離されるわけでしょ。
QAの収集・検討〜解答の吟味。
閉ざされた環境の中での、ちょっとした最新情報の展開。
いま、収集した情報を、プログラマーの子たちには、すべて全部を展開するわけでなく、
私たちの所で、取捨選択し、やりやすいように展開してる。
わたしは、その、下の部分になるわけだから。
ますます、情報が閉ざされちゃうな。
情報、ちゃんと、伝えてね。
ちゃんと必要な情報は、キャッチアップしてね。
割り込んで、収集してね。

わたしは、言われたことを、言われたように、作るから。(←なげやり)

その6:上司の立場

彼は、仕事を持っている。
わたしは、基本的に、上司が単元をもって仕事をすることについて、反対です。
会議、調整、相談。
自分の仕事なんて時間が取れるんだろうか。
中途ハンパで、人に引き継ぐくらいなら、最初っから、名前入れちゃ駄目だよ。
わたし、もう一つ言えば、プロジェクトが大きくなるのであれば、
取り纏めをするくらいの立場の人には、大きなタスクは持たせないで欲しい。
できっこないもん。
調整、それも大きな仕事であることは、見えてるジャン。
それをいかにうまく、振り、うまく下の者達にやらせるかは、上司の実力のみせどころ。
いかに上席との調整を取り、自分のやりやすいように人を動かせるかは、
上司の実力だと思ってる。

その7:人脈

昔ちゃんと仕事をしていた頃、わたしは、上司の力をうまく使って自分が楽をする子だった。
関わりのある部署へ出向くときは、最初は必ず、上司と行く。
この上司が、顔が広くって、ちょっと怖くって(笑)、
彼の頼みなら仕方がないなあ、って聞いてくれるの。
わたしが1人で行くときも、彼が1本電話を入れてくれてたの。
3年目〜4年目ぐらいかなあ。
で、一度、そうやって顔見知りになってお願い事した人に、
次からは、お願いに行く。
向うが、ごねたら、もちろん、上司同伴or電話をかけてもらうことで、
いやと言わせない(笑)
だんだん、5年目、6年目となることで、自分一人で、お願いしても、
しかたないなあ、と受けともらえるようになる。
仕事ってこういうものだと思う。
ようは、人と人とのつながり。
表向きなものもあるけど、人の力って大きいと思うよ。

依頼書とかのはんこって、
部長、中身分かってないよね。なんて言ってるばあいじゃない。
わたし、あのはんこの意味は、
『○○部の、やることです、お願いします。』
のよろしく挨拶だと思ってる。
○○部さんのところか、仕方ないな、忙しいけどやってやるかって思わせる、
それが部長の実力だと思う。
なぜそう思うかっていうと、
依頼書のはんこを見て、◎◎部長はいいねえ、と言われたり、
前の上司のときは、○○さんの依頼?仕方がないなあ、ほんとにって受けてもらえたのが、
嫌いな上司のときは、●●さんのところ?。そんなの無理だろ〜。ほんとにやらなきゃいけないの?
っていわれたことある。
その時は、わたしは『どうしても・・・』って無理して聞いてもらったんだけど、
他の子は同じように、断わられて、すごすご戻って来て、出来ないっていわれたって報告してた。
その時かな、仲良くしてもらっておいてよかったって感じたのは。
絶対仲良しな人作っておけば、仕事は楽だよ。

で、今回。
新しい会社。新しい環境。新しい人。
わたしには、人脈がない。
聞ける人、頼める人がいない。
困ったときに助けてくれる人がいない。
上司は頼れない。

なにかきっかが必要だな。人脈作る。
でも、名古屋にいては、それは無理だし、あっちに行っても、やっぱ最初は、上司の紹介が必要でしょ。

物作りにかかわっていない立場の人が、この苦悩を分かるはずもなく、
ちょっと、苦しい。
とりあえず、東京にいる間は、ほそ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いつながりで、
変更になったり、方針を変えた所の報告をすこしずつもらってたけど、
名古屋に帰ったら、また無法地帯(笑)
いいなら、いいけどね。(←またまたなげやり)

その8:取り越し苦労

このすべてが、
そんなこと気にしなくても、やれる環境で、
やれることだけやっとけばいいんじゃない
って言うのであれば、
こんなない頭フル回転させて、
何が一番いいかなんで考える必要ないし、
文句いって上司にいやなおもいさせることもないし、
ただ言われたことを言われたようにやっていけばいいんだよね。

それでいいのであれば。
それが私たちのやるべきことであれば。

ただ、こんな状況に不満を持ってるのが、わたしだけで、
それが、わたしが力ないくせに、馬鹿みたいにやりたいって考えてて、
やらせてもらえないってだけの、わがままなら。

他の人が何も言ってないってことは、
やっぱわたしのわがままか。

その9:相談

この話(文句)を聞いてもらいたかったけど、
今の上司は、1/7ぐらい聞いた所で、話聞いてくれなくなっちゃうし、
彼からでることばは、『でも、しかたがないだろ、やるしかないだろ』だし。
もう一人の、グループの上司に聞いてもらおうと思ったけど、
なかなか時間取れないし。

前までは、
すぐ聞いてもらえたし、
ほんとに、考えてくれたし、対策とってもらえたし。
なんて恵まれた環境にいたんだろう。
なんて力のある人と一緒にやってきたんだろう。
なんて懐かしんだり。
大好きなとなりの上司も、うまいよね。そういうの。
わたしのまわりには、いいお手本がいっぱいある。
わたしにもっと実力があったら。
こればっかりは、努力しても、どうすることも出来ないからなあ・・・

いきつくところは、
実力無き者はされなのだろうか。

2000.12.30 21:12