19a 植物の世界「植物ホルモンとそのはたらき」
B器官分化と老化を調節するサイトカイニン
植物のバイオテクノロジーにおいては,ある遺伝子を移入して遺伝し転換植物(トラ
ンスジェニック植物)を作る場合,その植物体から得られた培養細胞に遺伝子を組み入
れます。問題は1個の細胞から1個体を再生することです。普通まず細胞を増殖させて
胚様体ハイヨウタイを分化させます。この胚様体を更に培養して幼植物体を導き,そして成体
へと育てます。或いは,増殖して出来た細胞の塊カタマリから芽と根を分化させ,最終的に
個体を得ます。このような操作の過程において,サイトカイニンはオーキシンと協力し
て分化の調節に重要な役割を果たします。サイトカイニンはオーキシンの存在下におい
て細胞増殖を著しく促進しますが,サイトカイニンのオーキシンに対する濃度比が高い
と芽が分化し,その逆ですと不定根が分化します。
植物病原菌のアグロバクテリウム・ツメファシエンスは,植物体に感染して腫瘍を形成
します。このバクテリアが持つTiプラスミドのT領域と呼ばれるDNA部分だけが,感
染時に切り離されて植物自体の染色体DNAの中に組み込まれてしまいます。このDNA
部分の主要遺伝子は,オーキシンとサイトカイニンの合成に関わる酵素の遺伝子で,こ
れらの遺伝子が組み込まれた植物細胞は,オーキシンとサイトカイニンの合成が異常と
なり,その結果,異常な細胞増殖が起こって腫瘍を形成します。人為操作によって,T
領域からオーキシン合成に関する遺伝子だけ,或いはサイトカイニン合成に関する遺伝
子だけを取り除いた組み替えDNAによるTiプラスミドを作って感染させますと,前者
においては腫瘍部から芽の分化が,後者においては不定根の分化が著しくなります。矢
張り植物病原菌にテングス病菌と云うのがあります。この菌(カビ或いはマイコプラズ
マ)が感染しますと,その部位から多数の芽の分化が起こります。わが国においてはこ
れを天狗の巣と見立てましたが,英語では「魔女のほうき(witches'-broom)」と云い
ます。テングス病においては,病原菌が直接サイトカイニンを合成するのか,或いは感
染によって植物組織のサイトカイニン合成が促進されるのかは明らかではありませんが,
感染部位におけるサイトカイニンの含量が増加するために多数の芽の分化が起こります。
サイトカイニンのもう一つの重要な働きは,植物組織・器官の老化の抑制です。葉を
切除して暗所に放置しますと(ただし水分は与える),クロロフィルの分解が起こり黄
色化が進行します。これに伴って蛋白質や核酸も分解します。ところが,サイトカイニ
ンを与えて置きますと,分解の進行が抑えられます。
C植物の老化を促すエチレン
エチレンは気体のホルモンと云う点でユニークです。リンゴを他の果物や葉の付いた
切り枝と密閉した容器の中に一緒に置きますと,他の果物は追熟が進み,切り枝は落葉
を促されます。これはリンゴが多量に放出するエチレンの作用によります。エチレンは
一般に果物が熟すときに放出され,また熟す過程を始動させるホルモンです。エチレン
は落葉を促進したり,花を早く凋ませたりするなど,老化を速めます。
その他のエチレンの作用としては,休眠しているチューリップ,グラジオラス,ユリ
などの球根の発芽を促します。これらの球根は気温が高いときに休眠し,低くなると発
芽しますが,エチレンを与えますと温度が高くても発芽します。昔から早く芽を出させ
るために煙によって球根を燻すのは,煙中にエチレンが含まれているためです。
エチレンは,接触,振動,機械的損傷などの物理的刺激や病原菌の感染等,植物体に
いろいろな刺激を与えることによって発生させることが出来ます。
エチレンは一般に生長に対してはGAと異なり,伸長を抑え,茎などの肥大をもたら
します。豆モヤシを作るときにはエチレン処理をして,軸の太いモヤシにすることが行
われています。
D水分の蒸散を防ぎ,種子形成を調節するアブシシン酸
トマトの突然変異体フラッカは,地植えによって育てようとしますと直ぐに萎れてし
まいますので,水耕が必要です。この植物は,正常体と異なって葉の気孔が常時開いて
いるために水分の蒸散が激しい。フラッカは正常体の10〜30%程度しかアブシジン酸(
ABA)を含んでいない,ABA合成異常の突然変異です。そこでフラッカにABAを与え
て遣りますと,正常体と同じように気孔を閉鎖することが出来ます。
他の植物においても,同様の突然変異が知られています。このようにABAは,気孔
の閉鎖のために必要なホルモンです。普通の植物においても,水不足状態(水ストレス
)に置かれますと,直ちに葉又は根においてABA合成の速度が高くなり,葉組織の
ABA含量が短時間に上昇して気孔が閉じ,植物体からの水分の損失に対応しようとし
ます。ABAは植物体の水分のホメオスタシス(恒常性)を調節するホルモンであると
云えます。
種子の形成は胚の発達,貯蔵物質の蓄積,完熟に伴う乾燥化に対する耐性の獲得など,
一連の生理・生化学的過程からなり,これらはABAによって調節されています。種子
の発芽は,種子中において形成された胚の生長の再開ですが,普通種子が親植物体上に
あるときは発芽は起こりません。しかし,親植物から離脱する前に発芽が始まってしま
う突然変異体があり,このような現象を胎生タイセイ発芽と云います。トウモロコシにも胎
生発芽をする突然変異体があり,9個の異なった遺伝子座のものがあります。これらの
変異体は何れもABAに関連したものであり,一つを除いて,他は全てABA合成能が
異常です。胎生発芽が起こらないためには,種子中にABAがあるレベルまで含まれて
いることが必要です。
ABAは胚の生長を抑えますので,種子にABAが多量に含まれていますと,播種ハシュ
してもABA含量が低下するまでは発芽出来ません。種子の休眠の原因が,種子(特に
種皮)に含まれるABAである場合も多い。この場合は種皮を除去してやれば発芽出来
ます。
E新しい植物ホルモン
動物には,性ホルモンなどステロイド系化合物のホルモンが多数知られていますが,
植物にも新しいタイプのステロイド系の構造を持つブラシノライドと云うホルモンが,
セイヨウアブラナの花粉から取り出されました。ブラシノライドとその関連化合物は植
物界に広く分布しており,非常に低い濃度(1〜10ナノモル)において効果のあるのが
特徴的です。オーキシンやジベレリンに似た作用を示しますが,不良環境条件下の植物
の生長全般を改善する効果のあることが知られています。
もう一つのホルモンは,ジャスモン酸及びその関連物質です。ジャスモン酸は,一般
に老化を促進する作用があります。関連化合物のチュベロン酸は,ジャガイモの塊茎カイ
ケイ形成を誘導する物質として発見されました。
〈植物ホルモンの作用機構〉
植物ホルモンはそれぞれ特定の遺伝子(複数)の発現を調節しています。植物ホルモ
ンを植物組織に与えますと,遺伝子情報の転写産物であるメッセンジャーRNA(mRNA
)が新しく出来たり,それまであったmRNAがなくなったりします。このことは,ホ
ルモンが転写を調節している可能性を示唆しています。これまでに,ホルモンによって
特異的に発現したり,影響を受ける遺伝子は幾つも取り出されてクローン化されていま
すが,現在のところ,これらの遺伝子がどのような蛋白質の遺伝情報を持っているのか,
また,その蛋白質はどのような働きをしているかについては,十分に分かっていないこ
とが多い。
最近,シロイヌナズナを始めとして植物ホルモンに関する様々な突然変異体,即ち植
物ホルモンの合成異常や植物ホルモンへの感受性異常が知られて来ています。例えばね
トマトのdgtと呼ばれる突然変異体は,茎は屈地性反応を示さない,側根が分化しない,
外から与えたオーキシンによって胚芽ハイガが伸長しないなどの特徴を示し,オーキシン
に対する感受性異常です。このような植物を実験材料に用いることによって,遺伝子の
方から解析を進める研究が盛んになって来ています。
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