09a 植物の世界「食虫植物の世界」
〈捕食による大きな利益〉
タヌキモの最大級の個体として,主茎が長さ110㎝,4分枝を出してそれらの全長も
110㎝,総全長220㎝のものが知られています。この個体についている捕虫嚢ノウの数が
1万3860個であったと云います。そして,幅数㎜の1個の捕虫嚢の中に,小形のミジンコ
が平均12匹捕らえられていたのが観察されました。そうしますと,全植物体で実に16万
匹以上ものミジンコを捕らえる計算になります。事実,タヌキモが繁殖する池にはボウ
フラが少ないことで知られています。無限生長を続けるタヌキモやムジナモの捕虫量が
如何に莫大なものか,そして,捕食による養分の吸収量が如何に大きいか推測出来まし
ょう。
一般に,緑色植物は第一次生産者であって,動物に食べられるのが当たり前です。と
ころが,それが逆転した二つの例外があり,その一つが食虫植物で,他の一つがアリ植
物(特にアリに養われる植物)と云われます。 両者は,何れも熱帯を中心として分布
する多年草の植物で,極めて貧栄養の土壌に生育し,動物から窒素,リン,ミネラルな
どの養分を得ている点においては似ていますが,アリ植物は乾燥地の明るい森林の樹冠
に着生し,アリに涼しくて安全なシェルター(避難場所)を提供する代わりに,食害者
から身を守ってもらうのです。その上,虫の死骸や食べ残しの植物片などの分解物を利
用する,いわゆる相利共生の関係を保ちます。
それに対して,食虫植物は湿った処に生育し,腺を持って消化・吸収を行い,昆虫と
は敵対関係(捕食する)にあります。捕食による利益は,アリ植物とは比べものになら
ない程絶大である点において著しく異なります。
〈一見逞しいが,実は弱者〉
群馬県尾瀬ヶ原や北海道のサロベツ原野などにおいて,モウセンゴケの大群落を観察
出来ますが,こうした湿原においては,ミズゴケなどの厚い堆積があっても,低温と多
湿,そして水が酸性のため微生物の働きが抑えられて,植物遺体の分解が進みません。
そのため根から吸収出来る栄養分(窒素,リンなど)が極端に不足し,草丈が高くなる
植物の生育が阻止されて,ツルコケモモ,ガンコウランなど地表を這う低木類が疎生す
る程度の植生となります。
このような日照を遮るものが少ない湿原に優占して生育出来る植物群の代表の一つが
モウセンゴケです。葉が虫を捕らえて消化し,栄養分を摂取することが出来るため,根
から吸収する栄養分が欠乏していても平気なのです。
西オーストラリア州には,世界に野生するモウセンゴケ属140種のうち約半数が分布し
ています。パース市周辺から州の南西端にかけては比較的降雨量が多く,年間1000㎜を
超える地域もあります。ところが降雨は7~8月の冬に集中し,その後の長い乾季に屡
々野火が発生して,ユーカリ林を焼き尽くします。
ミネラルたっぷりの灰が積もった二次的荒野には,最初に侵入して盛んに生育し繁殖
する,いわゆる先駆植物が見られます。バンクシア属(ヤマモガシ科),モウセンゴケ
類などです。一般の植物,特に樹木にとっては壊滅的ダメージを受ける野火のような災
害でさえ逆手にとって利用し,子孫の繁栄と進化へのチャンスに替えてしまいます。こ
の逞しい生命力には感嘆するばかりです。
しかし,月日の経過に伴い,丈の高い植物群が侵入し,次第に繁茂してモウセンゴケ
群落の上空を覆うようになりますと,モウセンゴケ群落は急速に狭められ,遂には消滅
します。わが国の湿原においても,自然の遷移による乾燥化と富栄養化に伴い,ヨシ,
ワラビなどが優占するように替わって,モウセンゴケ群落は駆逐されます。後は別の新
しい自生地へ移るか,遷移の逆転チャンスを待つことになります。"食虫能力"と云う一
見逞しい適応力を備えているとは云え,生活レベルの異なる大型の他種植物との間にお
いての生存競争には,あっさり負けてしまう,実に弱者なのです。
〈多面的な小動物との関係〉
食虫植物と昆虫など小動物との関わりについて考えましょう。
①餌(獲物)として・・・・・・周囲に生息していて,たまたまトラップに近付いた獲物の
うち適当な大きさのものが捕らえられます。食虫植物において最も大きな獲物を捕らえ
ることが出来るのは,ウツボカズラ類です。フィリピン産のネペンテス・メリリアナの捕
虫袋は長さ40㎝,入口の直径は15㎝にも達し,中に小型のネズミやカエル,小鳥などの
死骸が入っているのが観察されています。死にかけたり傷付いた動物たちが袋の中へ落
ちて,逃げ出せず水死したのでしょう。
②消化のための協力者として・・・・・・ウツボカズラやサラセニアなどにおいては,消化
液を作るのは葉が若い初めの頃だけで,袋が古くなりますと,単なる"水溜まり"に過ぎ
なくなります。動物体に付着して持ち込まれたり,空中から落下した微生物が獲物の消
化を進めます。
③略奪者として・・・・・・ウツボカズラの捕虫袋やサラセニアの筒状葉の中には,様々な
小動物が棲み付いていて,折角捕らえた獲物を横取りします。ボウフラなど幼虫は,成
長して蚊などとなって飛び去ります。モウセンゴケなどの腺毛の間を粘着せずに上手に
歩き回り,獲物を横取りするメクラカメムシとかモウセンゴケナンキンムシも多い。つ
まり,食虫植物に寄生して生活する略奪者です。
④食害者として・・・・・・モウセンゴケの葉を食べるトリバガの幼虫など,捕獲されるど
ころか,食虫植物を食草とする昆虫も知られています。
⑤花粉媒介者として・・・・・・食虫植物の多くは虫媒花です。従って,餌として昆虫をお
びき寄せるだけでなく,花粉媒介をする昆虫をも誘引します。蜜腺を持ち,臭いや鮮や
かな色彩,紫外線反射などのサインを送ります。
〈人間生活への利用〉
最後に,これら食虫植物と人間との関わりをみてみましょう。
食虫植物は民間薬として,世界各地において利用されて来ました。中国においては昔
から,イシモチソウを煎じて胃痛や下痢止めに服用し,また打撲傷,止血,鎮痛のため
の塗り薬としました。モウセンゴケは百日咳,気管支炎,喘息ゼンソクの薬として煎じて服
用されました。現在においてはもスイスにおいて,モウセンゴケのエキス入りハーブキ
ャンディーが市販されています。イギリスのウェールズ地方においては19世紀頃まで,
ムシトリスミレの葉を採取して,チーズ製造のための牛乳の凝固剤(レンニンの代用品
)としました。ボルネオ島においては,ウツボカズラの未だ開いていない袋の中に溜ま
っている液汁を,目の炎症や火傷の治療薬として用いました。アメリカインディアンは,
天然痘の治療薬としてサラセニアを利用しました。このような民間薬としての利用に加
えて,極最近,サラセニア・フラウァの根から抗癌剤が抽出され,人工合成にも成功しま
した。
園芸植物としては,主に食虫植物の生態を観察するために栽培され,いろいろな交配
種も作られて,世界的に普及しています。
そうして人間との関わりの中において最も重大なのは,人間による開発などの環境の
変化のために,これら食虫植物の生育地の多くが消滅しつつあり,幾つかが「絶滅危惧
キグ種」や「危惧種」となっていることでしょう。
[次へ進む] [バック]