09d 植物を支配する
 
〈我々は食べて行けるか〉
 ところで,食物連鎖から採り入れることのできるエネルギーの量の問題は,人間の将
来にとって差し迫った重要な問題です。一般に動物が他の動物,又は植物を食べるとき,
各々の食物連鎖の環には90%の損失があり,特に海においては甚だしいことです。マグ
ロや他の大きな魚は小さな魚を食べます。小さな魚の餌は主に甲殻類のプランクトンで,
このプランクトンは藻を食べています。従って人間がマグロを食べるときは,海におけ
る熱エネルギーの一般的な損失の点から言えば,海中で藻類に与えられる最初の光エネ
ルギーの1/50万より少ない食物価のものを得ていることになります。これは藻類によ
る海水の高い一次的生産力(少なくとも海岸近くや浅い海水中)にも拘わらず,大洋が
人間の主な食糧源にならない理由の一つです。
 では,植物学のあらゆる新知識は,人間にとってどんな意味があるでしょうか。答え
は単純明快です。医学は世界の人口を警戒すべき数にまで増加させました。一方植物学
の研究は,膨大な数の人間を飢餓の恐怖から,今のところどうにか救っています。現代
生活におけるこの二つの財産の間に保たれた際どいバランスは,我々の生きる時代の苦
境をはっきり示しています。爆発的に増加する世界の人口を,食糧生産の一層の増加に
よって養えるという見通しは果たしてあるでしょうか。
 現在,地球上の陸地の表面で農作物の生産に使われているのは,10%程です。その他
19%が放牧地,牧場として用いられ,殆どが間接的に肉を生産しています。もし必要と
あらば,後者の一部分は農作物の生産に使うことができるでしょう。また,今は森林で
覆われている30%の部分も,農作物の生産に当てられるし,砂漠や荒廃地を潅漑,排水,
施肥によって耕地に変えることも可能です。こうみてくると,必要になれば耕作面積は
現在の倍まで増やせると,楽観的に言うことができるでしょう。
 食糧生産に当たって考慮すべき第二の要因は,単位面積当たりの収量です。アメリカ
においては集約的栽培と,多量の肥料のため,平均収量は殆どの国より多くなっていま
す。それでもトウモロコシの平均収量は4a当たり190gで,全力を上げればこの数字は
3倍以上に増加できるでしょう。世界を全部ひっくるめて,経済を無視して考えれば,
4a当たりの全食糧生産もまた,4倍に増やすことが可能と言えます。
 また動物性食物から主として植物性食物に切り替えれば,食物カロリーも増すことが
できます。これは特にアメリカ,ニュージーランド,その他肉の豊富な国について言え
ます。しかし,動物性食物が全食物カロリーの5%以下であるインド,日本,中国,東
南アジアの諸国には当てはまりません。以上を全部まとめて,現在の農業知識を適用す
ることにより,現在の世界の食糧生産量を20倍に増やすことができるでしょう。これは
希望に満ちた数字ですが,反面なんとも陰気な見通しです。というのはもしそうなれば,
レクリエーションや生活のための空間が無くなるばかりか,肉の好きな人々に肉は無く,
肥料工場が無数に増え,加えて食物の価格が非常に上昇することになるからです。
 食糧増産の他の手段として,"植物による"生産の効率向上の方法があります。自然の
状態では,植物は僅かに大洋エネルギーの2%を化学エネルギーに転換しているに過ぎ
ません。そして食物として使用できるのは,その半分だけです。しかし理論的に言えば,
植物は光エネルギーの10%を転換でき,現在の最大の光利用を5倍に増すことができる
筈です。この5倍の増加に近いものが実現できるかどうかは疑問ですが,ある程度の増
加は不可能なことではありません。そのために科学者は,植物による光利用の効率を増
大させるような全く新しい方法を考え出さなければなりません。これは,私達が光合成
と植物の生長について,更に深い理解に到達したときに実現されるでしょう。
 こうした生産性を増すための計画は,今日でも農業生産を破壊させ得る害虫や病気を,
完全に支配できることを前提条件として考えられています。ゴムの栽培地を例に採ると,
ジャングルの中にぽつんと孤立している野生のゴムノキは,その地方の葉枯れ病には罹
らないが,同じ地域でも栽培園のゴムノキは非常な害を受けます。昆虫の害についても
同じことが言えます。孤立した植物は一般に酷く害されることはないが,多くの個体が
生育しているとアブラムシやチョウの幼虫などの害を受けます。集団栽培の条件の元で
は,これらの害虫の天敵も存在し得ません。植物が収穫されると,これらは引き続いて
食物が供給されない限り生きては行けないからです。こうして,人間は害虫や病気を化
学的に駆除するようになりました。人間が進歩した農業なしに生存できないのと同じよ
うに,農業も殺虫剤や殺菌,除草剤の適宜な使用がなくては続けられません。
 こうした毒薬の使用の是非を論ずるのは本稿の目的ではありません。毒薬は無差別に
使用せず,慎重に取り扱わなければならないが,しかし人間はこれなしでは生存できな
いところにまで到達してしまったのです。しかも,害虫,病気,雑草に脅かされ,飢餓
の瀬戸際で生活しています。この問題とそれがもたらす危険を避ける方法を持っている
のは,技術の進歩した国々だけです。新しい殺虫剤や殺菌剤,除草剤を注意深く選択し
て使用することが,豊穣を維持し続け,それを世界の他の部分にまで及ぼすことのでき
るただ一つの道なのです。
 これまでは,人間の生活がどれ程植物と密接に結び付いているかをみてきました。動
物や人間の身体が生命を維持するために必要とするエネルギーは全て,植物が炭酸ガス
の光合成的な還元で手に入れた光エネルギーから採ったものです。動物や人間の細胞は,
生化学的に植物と非常に似ているので,植物が貯蔵した食物は直ぐ人体に使うことがで
きます。これは核エネルギー,風,水,電気,熱に由来したエネルギーなど,他のどん
なエネルギーとも違っています。だが植物も同じように人間から利益を得ています。植
物学,農学,園芸学,林学,植物病理学,昆虫学,土壌学,植物育種学,その他多くの
部門の専門学者は毎日植物の改良に寄与しており,農家の人々も作物が豊かに実るよう
長時間働いているのです。
 楽観的な人々は,最も良い農地を上手に管理している処では,土の生産性は消耗の兆
しもなく改良されていると言います。其処では人間は,無機養分を均一に撒いているか
らです。また塩類の堆積層の中に不用の状態で濃縮されているカリウムや燐酸を掘り出
し,最も良質な農地を造るために散布しています。人間は,本来の植物相の単調さに趣
を添えるために,公園や庭園に植物を植え,探究と品種改良によって,美味で収量の多
い食用植物を作り出しています。
 しかし一方では,人間が屡々膨大な数の森林や,その他の植物相を不必要に破壊し,
しかもそれらの再生手段を怠っていることを認めなければなりません。人間は無思慮な
土地の使用のために,恐ろしい洪水や,風による侵食の原因を作っています。また人間
は,進化が数十億年以上かかって創造した,決して取り返しのきかない数千種の植物を
失いつつあり,近い将来に絶滅させてしまうでしょう。繰り返して言えば,将来の農業
や林業でどんな植物が真に重要なものになるか,誰も言えません。したがって,森林保
護論者の警告と提案に耳を傾け,これらの品種が絶滅してしまう前に,何らかの手を打
たなければなりません。
[次へ進んで下さい]