04 自然の化学工場
 
〈糖分子の活躍〉
 生物界には次のような原則があります。それは,ただ一種類の化学成分,若しくはそ
の限られた同類だけで,いろいろな働きをするというものです。
 この例に最もよく当てはまるのが糖です。糖は光合成によって作られる重要産物であ
るばかりでなく,植物が必要とする化学エネルギーを貯蔵する役目も果たす重要産物で
もあります。世界中でどの化合物よりも多量に,年々数百億tも生産されるのが糖です。
多くの植物,例えばサトウキビ,サトウダイコン,タマネギ,エンドウ,サトウモロコ
シなどでは,糖はそれらの茎や根や球根や種子に貯えられています。
 糖は化学的に極めて安定した性質のものですが,あらゆる動植物の細胞の主要なエネ
ルギー源として活発に働きます。細胞内である化学反応が引き起こされる場合は,何ら
かのエネルギーが必要です。そこで活躍するのが糖です。
 この化学的に安定した産物は,エネルギーとして求められると,大変反応しやすくな
り,細胞内のあらゆる化学反応に貴重なエネルギーを供給します。そのために,糖に火
を着ける引き金の役をする物質が燐酸です。燐酸は,光合成が行われる際に大変精力的
な活躍するATPから供給されます。糖はこの燐酸と結び付くや忽ち細胞の中で最も反
応しやすい活発な化合物に変化します。
 このように糖の分子が燐酸と結合すると非常に反応しやすくなりますが,逆にそれか
ら燐酸を去ってしまうと,途端に反応しにくくなります。糖分子と燐酸が結合すると長
い鎖のような形を執ります。この長い鎖から燐酸が去れると,世界で最も安定した有機
物質に変わります。これがセルロースです。セルロースは,綿やリンネルや紙というよ
うないろいろな形を執りますが,濃縮した酸やアルカリやその他の溶媒を用いて処理し
ても,変化することはありません。
 また,植物がその細胞膜にセルロースを着けると,その植物自身は最早その細胞の大
きさや形を殆ど変えることはできません。セルロースを分解できないのは,それを作っ
た植物自身ばかりではありません。動物もまたそれを壊すことはできません。
 例えば,ウシは草を食べて生きているが,ウシ自身はセルロースを消化できないので
す。ウシの消化器官に共生しているバクテリアの働きがあって,初めてセルロースは分
解されます。更に堅い木質の成分であるリグノセルロースとなると,最早それを食べた
動物の腹をただ通り抜けるだけで,口に入ったときと全く同じ化学的状態で排泄されて
しまいます。この頑固な細胞成分を分解できるのは,極少数の動物が作る酵素だけです。
 フナクイムシやある種のカタツムリとかシロアリなどは木を喰って生きています。し
かし,家をも喰い尽くすシロアリでさえ,堅い木質のセルロースを消化するには,自分
の腸に飼っている原生動物の助けを借りなければなりません。
 しかしセルロースはまた,大抵の微生物に対しても抵抗力があります。木の葉や枝が
地面に落ちても直ぐには腐らないのが,そのことを示すよい例です。林の落ち葉を分解
できるのは,極めて限られたある種のバクテリアと菌だけです。
 
〈糖分子の様々な形態〉
 セルロースは,糖分子の長い鎖が全部その端と端で結び付いた形をしています。それ
と少し違った方法,つまり糖分子の鎖がちょいちょい枝分かれを作った形で結合すると,
違った物質ができ上がります。これがデンプンです。デンプンは非常に大きな分子であ
るため,水には溶けません。しかし,セルロースのような化学的抵抗力はありません。
いうなれば,デンプンは糖を多量に貯蔵するための一つの形なのです。
 デンプンはジアスターゼと呼ばれる酵素によって細胞内で簡単に分解され,再び一連
の化学反応に入って行きます。これはデンプンを口中で噛むと分かります。人の唾液に
はジアスターゼが含まれているので,デンプンを時間をかけて噛んでいますと,次第に
甘く感ずるようになります。
 種子はデンプンを食糧として貯えています。種子が発芽するとき,何時もジアスター
ゼが作られます。従ってジアスターゼを取り出すための最良の原料は,発芽中のオオム
ギの種子から作られる麦芽です。麦芽を十分な量の麦芽を挽いたオオムギと混ぜると,
ムギのデンプンは麦芽のジアスターゼによって分解されて糖に変わり,更にそれが酵母
のため発酵してビールになります。
 糖には非常に多くの種類があります。それらは全て化学的によく似ています。しかし,
複雑な実験法が発達したお陰で,それらの糖の各々がはっきり分離され区別されるよう
になりました。
 それぞれの糖は細胞の中で違った性質を示します。それらが長い連鎖状になると,少
しずつ異なった性質の物質ができます。例えば,セルロースの代わりにヘミセルロース
が作られ,これはセルロースと同様に細胞膜を強くする働きをします。植物はこれを再
び分解してエネルギー源に使うことができます。
 このように細胞膜そのものが,食物の貯蔵庫の役割をすることがあります。例えば,
ナツメヤシの発芽孔近くにある細胞膜は特に厚くできていますが,それさえ種子が発芽
してエネルギーを必要としてくると,溶けて吸収されるのです。
 糖分子の一寸した化学的な違いにより,それが鎖になったときは全く性質の違うもの
ができますが,粘液やペクチンなどはその好例と言えましょう。粘液は乾燥に対する抵
抗力をつける性質があります。例えば,サボテンなどが傷付くと細胞の中から粘液が滲
み出し,傷口を保護します。その粘液は乾くと傷口をしっかり封じてしまいます。一方
ペクチンは,セルロースで固まる前の若い植物の細胞膜に適当な強さを与える働きをし
ます。
 糖の化合物に限らず,植物体内における化合物は,全て少数の比較的簡単な物質から
でき上がっています。エネルギーを貯蔵し供給するにも,器官に機械的な強さや堅さを
与えるにも,また細胞膜の生長や耐干性を増すにも,基本的には糖分子という同じよう
な化学物質が繰り返し使われていることが分かります。これは,明らかに世界で最も優
れた自然の創意工夫の一つでしょう。また,最も偉大な自然の摂理と言ってもよいでし
ょう。

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