どこからどこへ




どこからどこへ

 二〇世紀が終った。人はこの時代を科学技術の進歩の時代、戦争と革命の世紀などと呼んでいる。私自身は人生の半分程度を二〇世紀で過ごし、残り半分は二一世紀で過ごすこととなる。二〇世紀を生きた人々はどこから来てどこへいくのか。このような疑問を持って、二〇〇〇年末から二〇〇一年初めにかけて幾つかの本をよみながら考えてみた。

1 どこから

 二〇世紀は人間の歴史が大きく変わったときかもしれない。しかし、一方で人間が歴史の中で蓄えてきた何かを忘れてしまった時代であったともいえる。  忘れた何かは、例えば民俗学の対象となるようなものもその代表である。民俗学者柳田国男の作品に『遠野物語』があることは有名である。「遠野」は地名であるが、この表題からは「遠い野原の物語」というような感じの、何か民俗学上の桃源郷のようなものが想像される。  『遠野物語』は一九一〇年の刊行である。まさに二〇世紀の初頭の時期といえるが、その時代の農山村の生活の中には、山男、山女、天狗、ザシキワラシ、河童などを含め様々な民間信仰が息づいていた。興味深いのは、子供と神仏との間柄を示した個所で、「神体仏像子供と遊ぶを好み、之を制止するを怒りたまうこと外にも例多し」として、子供が神体仏像で遊ぶのはむしろ神仏からは好まれていると述べられている。  二〇世紀の初頭には人々はこのような集団的な無意識と日常の生活とが渾然一体となった世界に生きていた。一方で八幡製鉄所が操業を開始したのが一九〇一年であることを考えると、二〇世紀の初頭は大変不思議な時代である。  二一世紀のはじまりは二〇世紀の思い出を忘却することにはじまるのか、思い出を残した新たな覚醒であるのか、私にはいまだわからない。

2 いま

 二〇世紀の特徴は、世界が一つの関連体となって、国々が相互に発展や競争をくりかえしたことである。 ポール・クルーグマンの『 POP INTERNATIONALISM(邦訳:良い経済学 悪い経済学)』は国際競争について一般の人々が持っている通俗の観念を批判したものである。 「経済成長率が高い国は、国際政治のなかで地位が向上していく。だから、他国と比較するのは、いつでも興味をひくことである」  しかし、「ECでも日本でも生活水準の向上率は、国内生産性の伸び率とほぼ等しくなっている。--(中略)--各国の生活水準を決める要因としては、国内要因が圧倒的な比率を占めており、世界市場での競争の影響は小さい。」  このクルーグマンの議論は、一九九〇年代の前半に米国経済の先行きを懸念する風潮のなかでなされたものであって、その後、一九九〇年代後半の経済の好調によって、米国にとってのこのような議論の意味は一時的には小さくなったものの、二〇〇一年に入ってからの減速下の米国経済やいまの日本経済にとっては意味を持っていると思われる。  クルーグマンの一九九一年の論文ではつぎのような言い回しもみられる。「競争力を懸念する人たちは、根拠のないまま懸念しだしたわけではない。--(中略)--国を企業に似たものとする素朴な考え方は間違っているが、国際競争に対応できなければ、国の経済の健全性が失われていくことがあるとの見方は正しい。」  二一世紀のはじまりの日本は、経済の不況が続いたまま久しい。ある人は土地バブルの後遺症であるといい、ある人は一九四〇年体制の制度疲労だといい、ある人は護送船団方式と情報化技術(IT)革命との対立の図式であるという。  いずれもあたっているかもしれないが、診断の的確さにもかかわらず、現実の経済が一向に改善しないのはどうしてなのだろうか。

3 どこへ

 いまの経済生活のあり方を支えている現代の経済学は個人主義を考え方の基本においている。その論理の組立には数学の成果が大いに取り入れられている。数学は一定の前提のもとでの論理的思考には適しているのだろうが、経済というのは人間の心理現象の一つであって「前提」なるものが常に変化しながら動いていると考えられる。  例えば、携帯電話の爆発的な普及について、人は情報化技術(IT)革命の勝利を予想するかもしれないが、実はつねに他人と話していなければ落ち着かないという寂しい現代の若者の心理を抜きにしては説明できない。『遠野物語』の時代よりもずっと寂しいのがいまの若者の姿であろう。技術によって癒される若者の寂しさの程度が落ち着いてしまえば、産業面の必要性を超えた情報化関連投資の急上昇も頭打ちとなろう。  いずれにしても経済振興の上で重要とされる「需要」は、心理現象から生み出される物質に対する欲求に基づくものであって、この意味では経済現象と心理現象は密接な関係にあると考えられるが、心理学の領域では二〇世紀はフロイト、ユング、ロジャース等の数多くの業績を生んだのに、これと経済学との架け橋は見るべき成果はない。  二〇世紀の怪物は、帝国主義というよりもほかならぬ指令型経済運営による社会主義であったが、これの現実世界での展開は一九一七年にはじまり一九九一年に終った。この背後にあったのも、物質的な条件を極度に重んずる唯物論の経済学であったことは興味深い。  個人主義と数学を柱とする経済学にしても、唯物論の経済学にしても、心理現象を軽んじた経済学は現実の動きについていくことができない。この教訓は二〇世紀の遺産の一つであろう。


参考文献:柳田国男『遠野物語』新潮文庫
ポール・クルーグマン『良い経済学 悪い経済学』日本経済新聞社
                 

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