男声合唱団

志木グリークラブ
      こんなこと・あんなこと        
晩秋の坂戸市で“希望(のぞみ)の島 (しま)”を歌う
2010.11.23 第36回埼玉県西部地区合唱祭 坂戸市文化会館“ふれあ

 今年は秋の訪れが例年に比べ遅いといわれていますが、公園の木々の紅葉も鮮やかになってきた11月23日、坂戸市文化会館“ふれあ”で、第36回埼玉県 西部地区合唱祭が開催され、志木グリークラブが出演した。

 今回の参加団体は、37団体(女声コーラス24団体、混声10団体、男声コーラス3団体)であった。今回から、第1部、第2部に別れ日頃の練習の成果を 発表した。

 グリークラブはメンバー13名が、矢澤千宜先生の指揮により“希望の島”“ふるさとの”“そうらん節”の3曲を第1部の17番目に演奏した。この 合唱祭に参加するのは4回目になるが、女声コーラスの参加が圧倒的に多く男声合唱はモテモテである。選曲はそこら辺りを意識して、定番の男声合唱曲にし た。

 1曲目の“希望の島(のぞみのしま)”は、「いざ起て戦人よ」と並んで定番中の定番である。今でこそ気楽に歌っているこの曲もルーツを辿れば興味深い。 この曲は、1894年頃、D.B.Townerが、Mark.M.Jonesの原曲を男声四部合唱に編曲した。原曲は、アメリカのキリスト教福音派の賛美 歌(Gospel Song)の“That Beautiful Land”である。
 日本語の作詞者である小松玉巌(1884〜1966)は、秋田県生れで山田耕筰とほぼ同じ時代に活躍した。小松耕輔が本名で、玉巌(ぎょくがん)はペ ンネームである。彼は、全日本合唱連盟の設立に参加し、初代と3代目の理事長を務め、日本の合唱コンクールの基礎を築いた。小松玉巌は、1909年9月、 日本語の歌詞を付けた“希望の島”の楽譜を出版した。その歌詞は、『遥か隔つ海のあなた、波風静かに、四時花咲き、香りは満つ、あわれこの島よ、希望(の ぞみ)の島、希望の島、ものみな、たりみち、日は落ちず、花散らぬ、喜びの、とこよべ。天地(あめつち)には光充ちて、み空に星かかり、力たらい、心あが る、あわれこの島よ(繰返し)』である。
 1917年同志社大学グリークラブが、初めて“希望の島”を演奏した。ただ、太平洋戦争中は、原曲がアメリカの讃美歌であることを隠すため作者不詳 の曲として歌われた。約100年間に亘って、歌い継がれてきた“希望の島”を私たちは何度も歌ってきたが、皆が良く知っているだけに感動を与える演奏をす るのは難しい。今回はどうであったであろうか。

 2曲目の“ふるさとの”は、石川啄木(1886〜1912)の処女詩集「一握の砂」全551首の中から2首を選び曲にしたものである。その2首は、『ふ るさとの山に向いて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな』と『柔らかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに』である。
 石川啄木は、1912年4月13日、東京都小石川区久堅町で肺結核のため、家族、友人の若山牧水に看取られながら、26年の生涯を終えた。彼の一生は、 波乱万丈に充ちたものであったが、郷里の岩手県を慕う気持ちは人一倍強かった。
 「一握の砂」を始めとする歌集には、郷里を詠った和歌が多数収められている。私達も年をとってくると、故郷が恋しくなるもので、郷愁を感じさせるこの曲 に魅力を感じ選曲したのである。聴衆の皆様にその気持ちが伝わったに違いない。

 3曲目の北海道民謡“そうらん節”は、清水脩(1911〜1986)作曲、福永陽一郎編曲による定番である。北海道の日本海沿岸(積丹半島)には、春に なるとニシンが産卵のためにやってくる。
 “そうらん節”は、そのニシン漁の際に唄われた「鰊場作業唄」の一節「沖揚げ音頭」が分化したもので、「ソーラン、ソーラン」の囃し言葉に因んで「ソー ラン節」と呼ばれる。勇壮な漁師の労働歌であるだけに、力強く、歯切れ良く歌うのがポイントである。
 この曲は、指揮者によって、微妙にテンポ、ヘルマータの長さが違うのに戸惑うことがある。、大勢のメンバーで歌えば迫力満点の曲である。

 予定通り17時、37団体の演奏が終了、場所を3階に移し、懇親会・反省会が行われた。この席で、審査委員の先生から、団体毎に講評があった。グリー クラブに対しては、纏った良い演奏であった。欲を言えば、暗譜で歌えればもっと良かったとの講評をいただいた。


(2nd-Tenor:和氣敏夫)



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