「今、そこにあるオタクの危機」 第6回

ヌルさが生み出す危機

text : 岡野勇

2004/12/28


 ここまでに断片的に書いてきたことをまとめると、僕はオタクライト層の…あるいはオタクライト層が“もたらしている”問題(あえて問題と書きます)というのは、大まかに分けて2つあると思っています。

1)ヌルさの問題
2)伝える能力の問題

 この2つによって、仲間内では偽りの共同幻想・ぬるま湯の場の一体感が生じているため、人によっては「居心地の良さ」を感じてしまうのかも知れません。

※以前書いたように今回のシリーズは「オタクにとって」で書いてますから、「市場にとっての問題」はほとんど割愛しています。
 その問題と、今回メインとしている受け手の問題を一緒にすることは、思考において衝突しか生まないからです。
 自分の中で「市場側にとっての、オタク経済があることのメリット・デメリット(社会人ならある程度想像つくでしょ)」と「受け手側のオタク経済があることのメリット・デメリット」を箇条書きにするなりすればわかりやすいと思います。
 双方のメリット・デメリットは妥協点が見いだせません。だから一緒くたに考えるとコンフリクトするんです。
 この双方は、繋がってはいますが「問題としては全く別」です。


 で、話を戻します。
 主にこの「ヌルさ」と「伝える能力」という2つ問題の増加に対し、僕は「危機感みたいな物しか感じていない」と書きました。
 この2年ほどたびたびBBSでも使ってきていた言葉ではありますが、危機感を禁じ得なかった。
 この危機感という物を大雑把に書くと
・「ヌルさの問題」は主に“オタクという場”の内部に対して
・「伝える能力の問題」は外部に対して
 発生させています。
 このようにそれぞれ危機感の質が異なっているので、分けて書いていきます。
(一緒くたにしてしまうと、これも問題が完全にコンフリクトするので。僕は文才があまり無いんで、このテキストも3稿目くらいまでは完全にコンフリクトしてました。 ^^;;)




 まず「ヌルさの問題」について。
 正直この項目は、

・テーマがぼやけかねないような気がした。
・またすでに第2回の村上隆について書いた「本質を見ようとしない」で書き終わっていると思った。
・「なんか僕自身の愚痴っぽい感じがする」(^^;;)

 なので、途中の稿で一度丸ごと破棄しようかと思ったんですが、しかし自分が感じた危機感をもう一度思い返していたときに「それはやはり“問題”でしかなく、“危機”ではない。危機は別の物である」と至ったために再考しました。
 なので、内容的に少し「すでにここまでで何度か書いている」ことが繰り返されますが、ご容赦を。

 一言で書けば、「ヌルさがもたらしている危機」は、僕らがいるこの“オタクという場”そのものに発生させつつあります。

 主にライト層を中心としたヌルさの増加は、低いラインで「ヨシ」としちゃっているために、すでに情報も資料も山のように溢れているにもかかわらず「濃い方向の知識や行為」、原典などに全然興味を持たない。
 で、興味を持たないから知識がなく、その薄い意識の中で「薄いことにも気づかない」で主張している。
(「グッズをたくさん買っているから自分は“濃い”」なんてのはその最たる物です。) 本質を理解しようとしないので、ありとあらゆる場面で無知と勘違いを平然と主張する。勘違いを勘違いだとも思っていないので、自分がやっていることがどういうことなのかもわからない。

 もちろんこれらは、対オタク的な物全ジャンルにおいて起こりえていますし、またオタク同士のコミュニケートなどでも発生しています。

 たとえばアニメなら、「どういうものが“良い作画”“動き”なのか」「どういうものが作劇であるか」の判断が曖昧になっている。
 曖昧じゃないな。“間違っている”ものが多い。
 最近では、止め画のイラスト的な画が描けるアニメーターを「上手いアニメーター」だと言い出してみたり、画が崩れていないことを「作画が良い」と言ってみたり。(後者はまあ、今のアニメ業界の「そのレベルでもよしとしなければならない」状況もあるんで一概に受け手のせいってだけでもないですが。)
 あと、以前あるベテラン脚本家の方が書かれていたことで、僕は納得した言葉ですが「つじつまが合っていて整合性があることと“よく書けた脚本”“面白い作劇”ということは別である」。
 でもこれの区別が付かずに、なんというか揚げ足取り的な作品批判なんてのもよく見かけます。(で、それを「批評」だとほざいていたりするのがまた泣けるんですが。)

 立体物だったら「これまでガンプラしか作ったこと無いし、ガンプラにしか興味がない」とか「GKは全く興味がない。フィギュアといえば完成品にしか目がいかない」のだけど(別にそれ自体はかまやしないんですが)、その知識で“模型や造形全般”を語っているような。
 中には完成品フィギュアに対して平然と「これは塗装がひどい。この原型師にはもう作って欲しくないね」とか、バカ200%増しみたいなことを平気で言うヤツすらいます。
(原型師が何千、何万個の完成品を、1個1個全て作っているとでも?)

 例えばフィギュアなら、「たまたまそれが気に入ったから買った」「その造形モチーフになっているキャラクターや作品が好きだから買った」という人とかそういう人にまでそれを要求する気はありません。
 その人達にとってはそのフィギュアは「立体物系のオタクアイテム」ではなく、「自分が好きな作品(あるいはキャラ)のキャラクター商品」ですから。
 また、「別に僕はオタクじゃないですよ」というような、市場を支えている大多数も例外です。
 けど「フィギュアを買っている濃いオタク」を名乗っていてソレってのは、「どうよ?」と。

 アニメやその他のジャンルでもオタクを自称していたり「俺は濃いよ」とか言っているのにこのレベルってのが山のように増えてきているのが現状なわけで。
 それで「僕もそれが好きです。オタクですよ」と言われても、ニセモノ感しか感じないというか…。

 むちゃくちゃ濃い「オタク温度が100度!」な人たちが数人集まって築いてきたジャンルに、「自分は温度が高いと思ってるけど、実は15度くらいしかない」人たちがワンサカと入ってくりゃ、どうやったって“場”の平均温度は一気に下がります。
 それはもう熱くもなんともないし、濃さだって希釈されてしまう。
 以前から場にいて「100度の環境」を楽しんでいた側にとっては、そのヌルま湯状態は面白くないわけですが、数の論理によって彼らが少数派。「なんか屁理屈ばって考え、なんか(自分たちに理解できない)考え方をする人たち」にされてしまっている。
 一方、場をヌルくした多数は「それがヌルい」こともわからないで、「いやあ、俺たちは熱いねえ。濃いねえ」と思いこんでいる。
 平行線というか、温度的には下降線ですか。
 人数は増えたけど、場の温度自体に高まりを感じてこれなかったこの10数年間の理由は、おそらくこういうことだったんだと思います。
 当たり前だけど「環境をただ楽しむ・楽しみたいだけ」ならヌルい方が全然“楽”なんですが、そういうのが爆発的に増えてきている…と。
(あくまで「環境を楽しむ」です。「オタクを楽しむ」ではありません。)

 が、そういうのが多数を占めると、結局市場には「ゴミみたいな物」だけが氾濫し、それでいて実は出来のイイ物が正当な評価を得られない。
 また。数の限られている生産ラインは圧迫しますからクオリティコントロールも難しくなる…という悪循環を生み出します。
 アニメやライトノベルなんかも同じです。
 昨今の「作品数の爆発的増加」に比例した良作の減少は、もしかしたら近いことなのかも知れません。


 ヌルさの増加って、実は結果的に多くの受け手(それはライト層自身も含めて)にとってデメリットにしかならないんですよ。
 良い物への要求値もオタクからライトまで合わせた平均値が下がりますから、どんどん下がる。
 いくら濃い側が「こんなのいらねー」と思ってもそれは少数であり、多数であるライトが「そんなヌルいのでも喜んじゃう」以上、しょうもない物をリリースしても市場側には問題がありません。だって売れちゃうんですもの。
 市場にアイテムは増えますが「もっと良い物を」という要求値は下がっているわけです。
 そしてその結果、良い物に接する機会もどんどん減っている。
 「目が肥えてきている」「要求値が上がっている」というようなニュアンスの意見をよく聞きますが、逆です。
 だって、ホントにそれが上がっていて、ホントにその要求値の物を望んでいるなら、「コレが売れるなんてことはないだろう?!」なんてものが山のようにあり、かつそれらが「商売として成立出来てしまっている(ヒットなんかもしちゃったりしている)」ことの説明が付かない。
 「それに愛情がない」のが丸わかりな受け手を舐めきっている物が、それでも消費されていることの説明も出来ない。
 ライト層の視点そのものは大して上がっていない。けど場の平均値が下がっているから「自分たちが上がったような錯覚」を感じているだけです。

 「そういうのはリリースサイドの問題」だと言う人が多分多いんだろうけど、それってあまりにも自分たちに“お客さん根性”を染みつかせすぎている。
 送り手に「なんだ。目が肥えたとか言っていながら、結局この程度で満足出来ちゃうんだ」と受け取られるのは当然でしかない。
 僕にはこういう考え方は「自分が送り手・受け手を含めた、“場”の中にいる」という意識が根本的に欠落しているがゆえだとしか思えないです。
 別の言い方すると「その“場”の中に入っていくという覚悟がない」。

 「消費し続ける覚悟」じゃありません。(これだと勘違いしてるっぽいのが結構多いですが。)
 僕がここで書いているのは「“場”の1人になるという覚悟」と「社会に対する覚悟」。
 「社会に対する覚悟」は必要性に疑問を感じる方もいるかもしれませんが、“後ろめたい趣味である”ことを考えたら、やはりコレは避けられません。


 ここまでは大体「ソフトウェア」的な部分について。
 んで、“場”のハードウェアについても。

 さらに
> 本質を理解しようとしないので、ありとあらゆる場面で無知と勘違いを平然と主張する。勘違いを勘違いだとも思っていないので、自分がやっていることがどういうことなのかもわからない。
 と前述したことですが、この部分でも僕のイライラと危機感は、今年夏のワンダーフェスティバル後の諸々の騒動などで強く感じたことです。(またもや立体物系な例えで、わからない人には申し訳ない。なるべく補足は入れていますが。)

 転売屋、事前入場のディーラーによるダッシュや、「禁止事項」であるとわかっていながら徹夜行列する連中によって、開場と同時にめぼしいものは壊滅状態。そのことについて様々な模型イベント関係のBBSなどが大荒れに。
 で、その「買えなかった」怒りの矛先が、脊髄反射的に向けられたのが主催者と「当日版権システム」。
 海洋堂バッシングは毎度のことですが「変な主張や理念なんか掲げなくていいから、販売イベントとしてもっと買えるようにしろ!」みたいな。
 当日版権に関しては「なんでもっと許可しないのか」とか「版元が受け手を無視するなら、僕たちもそれを無視してもいいのでは?」とか「申請した以上の数を作って売ればいい」などの勝手な(自分に都合の良い)珍解釈をブチまけはじめるバカが激増。
 かつてのワンフェスや、その他の「立体物系イベント」に来る人口なら、たかが知れている人数でしたが、近年の完成品ブームでこの人口自体が劇的に増えています。
 新規参加層は「原点にも目を向けない」ので、そのイベントが何であるのか? などにも無関心。この「最も人口増加に貢献した層」の中でこういったことを言い出している人の数も比例して相当数になってきた。


 根本的に当日版権は版元がファンサービスで行っているものです。(同時に「版元のためにある物」です。)
 義務でもなんでもない。
 審査の手間は一般流通している物に対する手間と変わらないのに、アマチュアへのサービスですから利益なんて物はほとんど無い。
 同時に、サービスですから受け手には「それを求める権利」もありません。
 (しかし当たり前ですが、著作権に対して法治国家である以上、「受け手がその著作物を扱おうと思ったら、そこに対して版権を降ろしてもらう義務」は存在しています。)

 多くの珍解釈はそもそもこの“お約束”を理解出来ていないし、受け手根性が極度まで染みこんでいるから「受け手には何が何でも権利がある」とでも思いこんでいるものもある。
 こういったことの増加もあり、正直今のワンフェスを取り巻く版権問題は、決して先が明るい物ではなく、タイトロープ状態が続いているだけです。
(目に見える一例が、大手版元からの版権許可が減っていることです。この数年、会場内にある版権物ガレージキットでは、版権許可が下りやすいアダルトゲーム系の物が増えました。これは「今、人気があるから」という理由だけではありません。)

 人によってはここまでバカっぽいと「レアケースを上げている」と思われるかも知れませんが、最近のワンフェスなどでは終了後に毎回コレが問題になります。
 すでに「それはレア意見だ」ですませられる問題ではなくなりつつある。
 このように特に立体物形は、完成品フィギュアブームのためにここ1〜2年で入ってきた新規層の「自称:フィギュアファン」の連中が、勝手な理屈を振りかざし始めている現状がうっすらと(それでいて確実に)生まれつつあります。

 こういった挙げ句に、「そんなメンドくさいイベントで売るんじゃなく、コミケで無版権のまま数を制限しないで売ればいいんじゃないか?!」とか、さも「俺は今、クレバーなことに気づいたぜ!」みたいなバカ案をふりかざしてみたりするヤツも出現。

 すでに「レアなバカ意見」ですませられる数でもなくなってきたため、立体物趣味はなくても「こういった騒動や状況を知った他ジャンルの人」の中には同様の危険性を感じた方が多かったのか、今夏のワンフェス後にはいくつかのオタク系サイトで「まずいのではないか?」的なところから広げた様々な意見を目にしました。
 何が危機かって、こういうバカがアベレージになられると「立体物には興味がない」けど「同人は好きでコミケにも参加している」という人にも一挙に問題が無関係ではなくなるからです。

 当然ですが、そこで販売される物は「版権無視商品」です。
 よく「なんで同人は大丈夫で、立体物だけこうも厳しいのか?」という意見が出ますが、立体物系に版権問題がつきまとってきたのは「玩具会社」という作品の版権によって大きな商売をしているところがあるからです。
 彼らの商品の多くは、この「版権を正規に許諾を得、それで作った商品で利益を得ている」わけですし、ロボットなどのガレージキットは彼らが販売しているプラモデルとバッティングしてしまう。
 こういったことから、当日版権ができた当時は「7000円のガレージキットが1つ売れたら、ウチが出している700円の同様商品が10個売れなくなる!」と本気でほざいていたメーカーもいたくらいで。

 同人だって認められている訳じゃありません。
 現在は「ファン活動として黙認されている」だけです。
 コレを根本的にはき違えたり、理解できていない人があまりにも増えましたが。
 版権もののパロディ(含・エロ)を書いている人の中に、「自分の行為が版元から黙認されているだけ」ということを理解できておらず、中には「ファン活動して当然の権利」的な珍解釈をしてる人も出始めている始末。
 中には「表現の自由だ」とか、なんか日本語を根本で間違っている意見をぶち上げているのも見かけます。
 挙げ句に「黙認しているってコトは(版元が)認めているってコトだろう」と勝手な(自分に都合の良い)珍解釈をしているバカも見かけます。
 (このへんの問題意識はタレント系の同人やっている人はかなり高いですが。よくタレント系同人誌に「本人および関係者には絶対に見せないでください」と記されているは、「恥ずかしいから」ではなく「彼らは自分たちがやっていることが肖像権等に違反していること」をわかっているからです。)

 この「版権問題」の矛先がコミケなどにも向けられたとき、現状で出版などの版元がエロを含めた二次創作同人に対して「黙認している状況」も終わる可能性が高い。
(一部業界が違法版権への規制という「正当な理由」で動く以上、同じイベントについて出版の方だけは動かない…なんて訳にはいかんわけで…。業界総出で動き出してくる可能性は捨てきれないと。)
 というか、そもそもここ数年間。コミケにおいてもこの「パロディ同人誌」と「版権」の問題は幾度と無く取り上げられているわけで、「黙認はされているが、オールグリーンな訳ではない」。常に危険と背中合わせな状態が続いているだけなんですが、この辺に対する認識がものすごく低い。

 さらに書けば、こういう甘さの背景に「コミケは無くならない」というような、全く根拠のない思いこみも感じられます。
 主催者が無くしたくなくても、一部のバカが「自分たちが無くしてしまいかねないことをやっている」ことに気づいていない。

 ワンフェス、コミケというたぶん一番目に見えている・見えやすいもので書きましたが、このへんも、前述した「ヌルさの増加で、実は結果的に多くの受け手(それはライト層自身も含めて)にとってデメリットが生じ始めている」わけです。


※こういうこと書くと、またぞろ「自分が批判するのに都合のいい解釈」をする人ってのがいるんで書いておきますが、僕は同人活動を非難しているつもりも否定しているつもりもありません。
 「自分たちがやっていることの認識をもつ」ってことです。(←こう書いても「批判してる」という人がいるのであれば、それはもう、僕は「言語が違う」としか言いようがない。)


 こういった事象とは全く無関係な内容ではありますが、『モデルグラフィックス』05年1月号の「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」レポート記事の冒頭で書かれていた、

 オタクに根城を構える者がこの事象に完全無視を決め込んでしまうのは、あまりにも「オタクとしての当事者意識が低い」と思うのだ。

 という言葉はチョット、僕的にはキました。
 この一文が指している「この事象」ってのは、もちろん記事本分である9月に行われた「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館」で「OTAKU おたく:人格=空間=都市」が取り上げられたことについてですが、でもこの「オタクとしての当事者意識が低い」ってのは、今のオタクの“場”全体に広がってることだよなあ…と。

 本質も文脈も理解出来ないから、トンチンカンな評価とアサッテな脊髄反射批判しかできない。
 しかもその不理解・不勉強から出た考えが、“場”全体すら危機に陥れようとしている。


 「そんな問題、具体的にどの辺にあるんだ?!」なんて意見に対しては、申し訳ないけど僕は「“魂の視力”に致命的な欠陥を抱えている」としか思えないです。
 ここまで各地でほころびが出始めていて、何でそれが見えないのかが全く理解できない。

 「完成品フィギュアブーム」はまさにこういった状況をカタチとして表しました。
 イヤラシイ見方ですが、僕はそういう「今のオタクとオタクの場を縮小象徴しわかりやすく見える物にしたミニモデル」としても、食玩・完成品フィギュアブームと、それに直面した造形物全般(含・ワンフェス)の状況・考え方・動きは面白かったです。

 もちろん、そういう視点で見ること以上に、リリースされたいくつかの「スゴイ物」に接し、諸々考えたりすることの方が圧倒的に面白いのは書くまでもありませんが。
 僕は「そういうスゴイ物を輩出している市場」は無くなって欲しくないんですよ。


【了】


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