「今、そこにあるオタクの危機」 第1回

取材も知識もない「報道」のむなしさ
― 大谷、オタクちゃんを萎え化 ―

text : 岡野勇

2004/11/28



 久々の更新となります。
 別に放置が好きだとか、「今年、とにかくオレの中で流行っていたのが放置」というわけでもなく。
 この数ヶ月の間にも、夏ワンフェスに行って思ったことだの、たびたびBBSで書いている「オタクライト化」について一度まとめておきたいだの、BBSで話題になったマイケル・ムーア関連で「僕は何を思っていたのか」だの、あまりにも諸々思うところはあったのでそれらを書こうとは思っちゃいたんですが、さしたる理由もなくダラダラと。
(なんか今年は1年とにかくそんな感じだったので。年齢的なものなのか体力なのかはわかりませんが。ちょっと我ながら「マズイなあ」と思いましたが。)

 どれも漠然とした下書きレベルみたいな物ってのまでは書いてるんですけどね。
 先ほどそれらの断片を1ファイルにまとめてみたら、それだけでもかなりの分量があってビックリです。(その分量を全然アップしなかった自分にもビックリですが。)

 今のところあまり好きなフォーマットではないんですが、こうなると改めてblogに移行して、「思いついたら断片をすぐにアップ」みたいな方式の方がイイのかなあ? とか思ったり。
(ただ、この半年、blog移行を考えつつも躊躇してしてしまっている最大の理由が、好きなところを見て回っていて強く思ったことなんだけど、「書かれている人がどんな温度や思いでそれを書いても、コメントやリンク先に無責任で脊髄反射的な反応しかしないバカ」ってのがあまりにも多く見受けられることに気分が萎えてるからです。
 反面、そういうのにいい加減ウンザリとかストレスを感じている人たちが、こぞって『mixi』に居心地の良さを感じているのも当然だろうと。)




 んで、今回は先にBBSで「まとめますね」と書いて自分で後戻りできないようにしたんで、久々の更新だと。(^^;;)

 ここだけ読むとなんでこの文章が書かれたのかの経緯がわからないと思うので、まずそれをサクッと書いておきます。
 ことの経緯は、今月中旬に奈良県で発生した女児誘拐殺害事件について、解決はおろか、全く捜査内容も犯人像も見えていない現状の中、ジャーナリストの大谷昭宏氏がTVメディアや新聞において以下のような発言をしたことに始まります。


 大谷氏のサイトに再掲載されている、『日刊スポーツ』で書かれたコラムです。
『対話も感情もない「萌え」のむなしさ ― 犯人、楓ちゃんをフィギュア化 ―』
http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n041123.htm
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 これはたまたま新聞媒体で書かれた物で書かれていませんが、氏はTVでも(このコラムで書かれているような)大雑把なフィギュアファン像を「フィギュア萌え族」と括り、「犯人はフィギュア萌え族で間違いない!」と、長井秀和みたいな自論をブチ撒け中です。


 スゴイですね。「フィギュア萌え族」
 僕はガレージキット創生期から20年近くフィギュアファンやってますが、そんな言葉は始めて聞きましたよ。
 よくそんな珍妙な言葉を思いついたもんだ。
 「無いものは作れ」という、大谷氏のジャーナリストとしての姿勢がよくわかる言葉です。
 むしろコピーライター的というか。(そのわりにはゴロが何か悪い言葉ですが。言いづらいっていうか。)


 書かれている内容に関しては、当たり前ですが(少なくともオタクという場の中にいて、自分自身がそうであるという人間の側から見ても)完全否定というか、アサッテの方向どころか全く別の物について語られているとしか思えず、悪い言い方をすれば

 「この人、ホントに多少なりとも取材ってのをし、多少なりとも理解しようとした上でこの結論が出てるんだろうか?」

 ということに、巨大な疑問が拭えません。…というより「してねーだろ」としか思えないんですけど。

> もちろんまだ犯人像が絞れないいまの段階で、今度の事件の犯人を直接、この萌え現象と結びつけることはできない。ただ、解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。

 めちゃくちゃなロジックレスです。
 これが結びつけていなくてなんだってんだ。

 そもそも今回の事件について現状で事件についてわかっている“事実”からは、「フィギュア萌え族なるオタクの仕業で間違いない!」と言っているのは大谷氏の思いこみでしかありません。
 「被害者をフィギュアにしたかった」なんてのも、氏の思いこみと推測でしかない。
 FBI心理分析官にでも憧れているのか知りませんが、彼は「犯罪者が犯罪を犯した」ということを、彼は無根拠な思いこみと決めつけで「オタクが犯罪者」「犯罪者がオタク」であり「彼らはコミュニケート出来ない」という全く結びつかない自説にしているだけです。
 なんというか、「前から思っていたことを、この事件に引っかけてムリヤリ展開した」と思えなくもありません。

 結果がどうなるかはわからない。
 早く犯人が捕まることを望んでいますが、もしその結果犯人がほんとにフィギュア萌え族だったとしても、「現状と、今わかっている“事実”」からそれを語っていることには意味がありません。
 当たり前です。「何をフライングで言っても結果論でOKよ!」が報道やジャーナリズムで許されるわけがない。
 それはそれこそ、長野県警が「松本サリン事件」などで行った「思いこみ捜査」と何ら変わりません。
(僕は報道においても「推定無罪が貫かれるべきである」と考えていますから。)
 いずれにせよ大谷氏が現在ブチ撒けているのは「思いこみと推測」でしかありません。

 それをジャーナリストを肩書きとしている大谷氏が、堂々と臆面もなく公の場でブチ撒けるって事に対して、「こんなバカがジャーナリズムの現場にいる」ことに怒りすら感じています。


 ですが、この“ジャーナリズム萎え族”である大谷氏(妄想)発言の問題とは別に、僕の中では別の事が気になる。
 気になるというより、以前から漠然と思っていた不安が外れなかったという情けなさです。
 それは、『ヴェネチアビエンナーレ』に日本が「OTAKU」をテーマに出品しただとかマニアックなことならともかく、オタクを扱った(それを知る手がかりになる)ものは書籍などを含めても山のように存在し、経済という分野においてさえ野村総研ですら「オタク市場は2900億円」だのなんだのと言い出している今のご時世において、

 「なんでこんなバカ発言がいまだにあり得ているのか?」

 …に目を向けたとき、大谷氏への不快感や憤りや嘲笑とは別に、同時に「オタク自身が身から出した錆」的な側面も感じたからに他なりません。



 先に書いておきますが、この件(奈良で発生した事件そのものではなく、あくまで「大谷氏発言」)に関しては僕は「相変わらず」なマスコミのオタクの取り上げ方にはいい加減辟易してます。

 これについてはすでに多くのオタク系テキストサイトなどでも取り上げられていますが、その部分については僕も多くの書かれた怒りに同調していますし、同じ思いです。
 「またかよ」っていうか、事件が起こるたび、強引に僕らに疑いの目がかけられ、強引に結びつけて考えられる。
 ウンザリです。

 なので、怒りの部分に関してはほとんどのところがもう書かれているし、石黒さん(http://haguruma.2log.net/archives/blog114.html)みたいに大谷氏に質問状送った人だっている。
 なので、今更それについてはそれほど書く気はありません。すでに書かれた方がいるんだから、同じこと書いても意味ないでしょ。
 他の所にも目を通している人にしてみれば「他と同じようなことが書いてある」にしかならないし。
(で、そういうことを「萌えオタがムキになっている」と脊髄反射するバカってのがこの世には山ほどいるんで。)



 なのでちょっと違う視点というか、僕の中にあるそれとは別のもう少し違う腹正しさについて書いておきます。

 あー、あと、最近とにかく「ネットに都合のいい部分だけを拾って脊髄反射しかできないバカがほんとに増えている」と思っているんで、逐一細かく書いています。
 そんなことしなくても文意が読み取れる人にはうっとおしいかも知れませんが。



 正直に書くと、この「大谷氏のせいで再びわき上がったマスコミへの怒り」って、僕の中でものすごく複雑なんですよ。
 複雑って言うか、コレに関して僕はたぶん多くの人たちより遙かにやりきれない気分です。
 「ストレートに怒りの感情で批判できる」人が相当に羨ましいとすら思ってる。

 理由は簡単です。
 だって僕は「そのマスコミの中にいる人間」ですから。

 昔サイトに書いたように、僕の中で「宮崎事件における報道」ってのはものすごいトラウマになっている。
 で、当たり前だけどそれをもたらしたマスメディアってのに対して僕は完全に敵意を持っているし、その敵は何なのか? を知りたいから数年前にはさんざん悩んだ末に、「報道」っていうその仮想敵のど真ん中に自分から入っていきました。
 僕自身はフリーですが、当時出入りしていた会社から「某局の報道で作家を欲しがっている。ついては、行く気はないか?」との話を受けたのがきっかけです。
 あれだけ嫌悪している敵陣の本拠地みたいな中への派遣を、なんで引き受けたのか?
 周囲からはものすごく不思議がられたんだけど、他にも人間関係的な部分であるとか諸事情もあったとはいえ、やはり最終的にこの要素は大きかった。

 「それは一体なんなのか?」

 それが知りたかったんです。
 コレに関しては自負として書きますが、「行きたい・行きたくない」じゃなくて、「わざわざ敵のど真ん中に入って行くヤツ他にそうそういるか?」と思ってます。
 少なくとも僕は批判するにしろ「敵の正体」を知りたかった。

 で、それで「見て、経験し、かつ自分自身もリリースサイドに回った」上で書きますが、当たり前ですけど中にいる人間の全員が全員ああいう見方してるわけじゃあないんですよ。
 今やアニメやゲームの話を学校でしたって、同好の士を見つけるのは難しくないのと同様、数十人もいる番組だったら1人くらいそういうの好きなのがいるわけです。
 読売新聞の(オタクの中では)名物記者である(福)さんがそうであるように、TVでも番組によってはそういう人材を上手く活用できています。
 また、自分の興味対象の事件じゃなくても、「悪意の視点で入ること」に巨大な疑問を持っている人だっていくらでもいる。
 少なくも僕はコレを知ったし、それは救いだった。


 また、中に入ってわかったことに、「マスコミはオタクを知らないまま批判している!」とかよく言われているわけだけど、同時に「オタクがマスコミを知らないまま批判してる」ってのもわかりました。

 僕はこういうことがおこるたびに、ここのBBSや他の所でも「報道局と社会情報局は違いますよ」ということを書いてきた。
 なんでかっていうと全然違うから。

 「マスコミはオタクと犯罪者をごっちゃにしている!」

 でも、そう言っている人の批判を読み聞きしていると、かなりの割合で「情報番組と報道番組の区別がついてない」んですよ。あるいは「報道とゴシップの区別」。
 ワイドショーを「報道」だと言い、ヘアヌード写真と風俗情報の間に挟まった記事をジャーナリズムだという。彼らの看板を鵜呑みにしてしまっている。
(ワイドショーは情報関係の部署が作っています。彼らが報道を名乗ることは、報道局の人間は快く思っていませんし否定的です。じゃあなんでそれが改善されないか? というと後述する「システム」のせいです。)
 中にはバラエティーとドキュメントの区別が付いていない物も見かけます。
 新聞にだって一般紙、専門紙、タブロイドなどの違いがある。

 たまたま「オタク」ネタという、自分たちにとって身近でわかりやすいものだから「それは違う。間違ってる」って批判がわき出すし噛みつくけど、そこに

「なら、ソレ以外のもの(それは伝えているメディア自体)に対して、批判している自分は認識が正しいか?」

 って、反対側の視点を想像するってのが入っていない。

 「これは萌えキャラだ」「イヤ違う」とか、ロボット物の違いには敏感なのに、そういう部分の区別が全く付いてない。
 根本的なところで間違っている批判に力があるわけないじゃないですか。
 根本的なところで間違っているオタクの描き方・伝えられ方に、自分たちが反感しか感じなかったのを思い返せばわかるはずです。

 ほんとに報道がそういうことをやっていたのなら「対報道」として考えなくてはならないし、報道を騙っているだけのワイドショーがやっていたならまた違う。
 ものすごくわかるように書くと、例えば何かの“萌えアニメ”について、『Megamiマガジン』や『電撃系』のそういった方面に通じているメディアが間違ったことを書いたりした場合と(この二誌がそんなコトするわけ無いんだけど、あくまで“例え”です)、なんか聞いたこともないようなオヤジ向けの大衆三流ゴシップ誌みたいのがトンチンカンなことを書いた場合。
 想像すればわかるだろうけど、この2つで僕らの反応は違うでしょ。
 批判をする方向性やスタンスもかなり異なった批判になる。


 また、これは自戒としても書きますが、「はじめからマスコミの言うことを否定するつもりで見聞きしている」物があまりにも多い。
 そりゃそういう腹づもりで接するなら、何をどういったって批判的にしか受け取れないですわね。

 わかりやすく別の言い方します。
 批判する相手に対して、オタクのくせにオタク的な視点で挑めていないんですよ。
 本気で批判し否定したいなら、不勉強では戦えないです。
 僕が見た敵の正体はそれほど大きいし、それほど力を持っている。

 なんか、BBSでムーアとかについて諸々書いてきたののを読まれて「オカノはドキュメントが好きなのだ」とか思われた方もいるかも知れないんだけど、実際はその真逆で、学生時代とかの僕のドキュメントに対する嫌悪って群を抜いていたんですよ。生半可な嫌い方じゃなかった。
 ドキュメンタリー映画の某監督とは、とにかくことあるごとにぶつかった。
 けど、目の前にいる実際の作り手や作品に本気でケンカ売ろうと思ったら、「不勉強なままの、思いこみの批判」なんてのには微塵の意味もないわけです。だからはじめの一撃目は、僕はコテンパンにやられ否定されたし、根拠も裏付けもない批判がいかに無力かを徹底的に思い知らされた。
 そこで本気で批判しようと思ったら、一度批判的な思いこみを全部捨てて勉強するしかないんですよ。
 だから、クラスで一番ドキュメントを嫌っていたけど、課題で出た作品には全部目を通したし、それ以外の物にも自ら目を通した。
(課題で…つっても、その量が結構尋常じゃないんですよ。そもそもが大して売れている本や映画じゃないんだから、まず見つけるだけでも大変。映画に関しては「今週の土曜に池袋でオールナイトがあるから見てこい」とかそんなのなわけで、1チャンスです。
 深夜2時に、何言ってるかわからない上に映像がガタガタの『沖縄のハルモニ』を観なくちゃならない苦痛ってのはちょっと説明のしようがありません。)

 「それに対して本来全く興味がない」僕にとっては苦痛でしかないんだけど、批判するにしろ肯定するにしろ、結局それって最低限の“条件”なわけです。


 以前日本テレビ系で放送されたTVドラマで『ストレートニュース』という作品があります。
 TV局の報道局を舞台にしたドラマですが、あのドラマを僕は高く評価しました。
 また、実際に報道に携わっている中でも「まともなヤツ」には評価の高い作品です。
 多くの映画やドラマで描かれている「TV報道」の描写ってのは、実際にその現場を知っている人間からすると(それこそマスコミが描く“オタク像”同様に) 「全く違う。わかってないヤツが作ってるとしか思えない」 。
 けどこのドラマの反応だけは違う物が多かったです。
 なんでか? というと簡単で、おそらくは一般視聴者にはわからない描写だったと思うけど、あのドラマって「そういった悪意はなぜ発生するのか?」をちゃんと描いて批判していた。(なんでこれが「一般視聴者にはわかりづらいか?」というと、後述もしますが相当にシステムと組織の話なんで。どうにも説明が難しい。)
 また、そういった部分も含めて、あのドラマって「報道やっている一部の人間が苛立ちを感じている」「その反対のスタンスにいる人間にとっては触れられたくない部分」をちゃんと取材して描いている。


 誰かによって生み出される悪意もあれば、結果的に自然に生まれた無自覚な悪意もある。
 それが送り出されている敵陣で、破裂しそうな憤りとやりきれなさを思いつつも、結局僕に出来ることってのは「少なくとも周りにいる、オレの目に付くTV屋がそれをやろうとしてるんだったら異を唱え、そのオタク観自体が間違ってる」ことを伝えるのが限界です。
 そういう場合の労力を僕は惜しんでこなかったし、そのためにはベラボーに言葉を使いました。
 おかげで僕は一部から「ものすごく話す男」だと思われてしまっている。(^^;;)

 でも、それ以外の、悪意の視点に疑問を持っていないヤツらってのはどうにもならない。
 「数十人もいる番組だったら1人くらいそういうの好きなのがいる」って書いたけど、実際それが限界なんですよ。現状って。
 その理由が『ストレートニュース』で描かれていた「相当にシステムと組織の話」だから。


 こういうこと書くとまた「そんなシステムや組織が間違ってるんだ!」とか脊髄反射で反応するヤツってのが必ずいるから書くけど、そりゃ間違ってると思いますよ。
 思うけど、個人でどうにかなる物じゃない。
 どうにかなるものなら、とっくにどうにかなってます。
 それはもう、僕はほんとに疲れ果てるくらいモメまくった経験で書くけど。

 それがいかに難しいかなんてさ、無職ヒキコモリだとか学生なら仕方ないけど、(こういう問題に限らず「食玩テキスト」でも触れたことだけど)そんなの「自分の仕事や会社」に照らし合わせて考えてみりゃわかることじゃないですか。
 それ考えないんだよね。みんな。

 過去に何度も書いてきたけど、民放TV局なんて「企業であり会社」でしかないんです。みんなが働いている会社と何ら変わりません。
 社内政治は渦巻いているし、自らの出世を最優先に番組を振り回すジジイだっている。
 一番振り回されるのは、僕などの外部スタッフも含めた「番組の現場にいる人間」です。
(あ、余談で書いておくと、報道という「局内制作」のものですら、現在のTVではその7割近くが外部スタッフです。)

 しかも企業の規模としても、働いている人間の数も、かなりデカイ。
 その中でさ、たかだか外から来た二等兵みたいのが数人異を唱えたくらいで変わるわけないじゃん。
 自分の職場や会社で考えてみて欲しいのだけど、何千万、何億円が動いているプロジェクトやら、社内のシステムに対し、「それはヘンじゃないでしょうか?」とぺーぺーが言ってそうそうすぐに変わらないでしょ。

 というか、それで「在り方が変わっちゃう」くらいなら、それって(その考え方が間違っている・正しいという問題とは“全く別の問題”として)「組織として成立できてない」んですよ。
 で、組織として成立してないってんなら、実はもっと危険なんです。もっとリスキーな見方に進んでしまう可能性の方が遙かに高い。

 加えて「まともな人もいる」って書いたように、裏を返せば(それは皆が批判しているように)「おかしな偏向視点と、悪意を持って伝えることを何とも思ってないヤツ」ってのの方が圧倒的に多いわけでさ。
 で、そういうのに限って社内政治だけは上手くて、変にポジション持っていたり権力持っていたり。

 同時に、たぶんこれは「オタクに関する話題が間違って伝えられる」最大の理由の一つだと思っていますが、組織やメディア自体の規模が大きくなり、それに「歴史がある」古くからやっている物の場合、必然そこには「古くからそこにいる人たち」ってのがいます。
 例えばTV局なら、報道のトップ仕切っているだとか、番組の部長やっているだとかの「番組の方向性や論調に対して、かなりの権限を持っている人」ってのは、当然「そこそこ年齢がいっている世代の人たち」です。
 対して、なんだかんだで「オタク文化」って、たかだか20年チョットしかないわけですよ。その人達にとっては全く無縁だった文化でしかない。
 別の言い方すれば、オタク系の雑誌などはもちろんだとして、その他の若者向けの情報雑誌メディアなどでオタクネタが好意的視点(それは間違っているとしても)で取り上げられることがあるのは、このトップを仕切っている人自体の年齢が「自分は興味が無くても、そういう文化があることを知っている」世代だったりするわけです。
 この違いが「方向性や論調の違いに大きな影響を与えている」と思っています。


 だから本質を変えようと思ったら「組織としては維持しつつ、下の人間の意見を汲み上げるシステム」であるとかしないとムリ。
(余談だけど、僕が昔から「『踊る大捜査線』って、TV業界のことだったんじゃねーの?」と言ってるのもこういう理由です。あまりにも被っている部分が多い。でもまあどの会社もそうなんですかね。)

 また、僕がよく言っているのは、そもそもオタクも含めて“文化”ってのがこれほど多岐にわたっているわけで、その多様さってのは実は政治なんかより遙かに複雑で多い。
 だったら政治部や社会部同様に文化部をもっと充実させて、「このジャンルに関しては誰々が詳しいから外部ブレーンになってもらう」的なシステムを作るとかしかない。

 もしくは「そういうのがわかる世代が、番組への論調を考え直す権限を持ったトップに立つ日が来るまでじっと待つ」。

 けどこれにしたって外部の、名もないような非売れっ子系放送作家なんていう二等兵風情がほざいたって意味ないんですよ。


 じゃあ、ホントにそれはムリなのか? いつまでもこういったおかしなオタク観でマスコミは伝え続けるのか?


 それは「二等兵風情が数人」だからムリなのであってさ、結局、「多数が何かしなけりゃどうにならない」んですよ。
 「オタクだからダメなのだ」っていう論調で彼らは来るし、その悪意のインパクトをなんとも思っちゃいないんだ。
 けど違うでしょ。
 TVをはじめとした多くのマスコミが間違ったオタク像を描き、「いかに彼らはダメか」的なバッシングや蔑んだ描き方をしても、僕らはわかってるじゃないですか。
 それはオタクだからダメなんじゃなくて、それは「ダメなヤツだったからダメ」だったでしかない。

 で、ホントにその伝え方がおかしいと思うなら、何も「今からTV屋になって報道行け」とか言う気は全くないけど、「なぜそれがおかしいのか? を論理的に彼らに伝える」ことくらいしないとムリなわけです。
(なので、それを行った石黒さんの行動を僕は支持しています。「あ、ちくしょう、先にやられた!」とすら思いましたから。 ^^)

 前述したようにたかだか二等兵が数人叫んだくらいじゃダメなんだから。一番重要な視聴者サイドが「それはおかしい」を「ちゃんと伝える」ことをしない限りどうにもならない。
 で、この「ちゃんと伝える」ってのは、例えばどっかのBBSで書いただとか、自分のサイトで書きましただとかなんてのじゃなくて、メール書いて送るとかしないとダメなんですよ。
 「2ちゃんで話題になってます」なんてのは論外です。「こんなにみんな書きこんでいるのに、それを無視しているなんてオカシイ」とかさ。よく見かけるけど、その考え方自体がオカシイでしょ。
 それがいかに無意味かは、さっきも書いたように「自分の仕事や会社に照らし合わせて考えてみりゃわかる」でしょう?
 「2ちゃんで叩かれていたからこの商品を引き上げましょう」なんてことになるか? と。
 「2ちゃんで言われていたんで、部長を別の人に替えましょう」なんてあるか? と。
 「最大手のBBSである」ことと「オフィシャルな反映される場である」ことは、全ッッく違うわけですから。

 そもそも僕自身について書きますけど、僕は自分の関わった仕事などについて何度か2ちゃんねるなどで単独スレッドが立てられていますが、一度も見たことがありませんし、今後も見ることはないと思います。同時に「そこで書かれていたからと言って、自らの仕事にそれを反映させる」ことは考えたこともありません。

 記名でメール送る方が遙かに有効なんですよ。幸いどの局だって今ではそういうメールを送るるためのアドレスを公開してるんだし。



 ああ、予想通りだけど長くなってきたなあ。
 そもそも短く済むわきゃないと思って書き始めたけど。

 てなわけで今回はここまで。


【了】

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