Pierre Clementi ピエール・クレマンティ


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人 と 作 品
『昼顔』より 「ただでいいのよ」
「わるいね、いつも」

1942年9月28日、フランス、パリ生まれ。十代は、病的といえるほどの美少年ぶりをほこり、いっときは、もはや無敵といったおももちであった。細くて華奢すぎるのと、骨っぽい顔立ちが冷たい印象をあたえたためか、あまり日本の婦女子にはうけなかったらしく(ま、やってた役柄も異様っていっちゃ、異様なものばっかりだった)、60年代後半から70年代にかけて多作をほこっていたわりに、日本における公開作はすくない。一方で、一部愛好家(?)の間では、熱い支持をあつめていた。

ジャック・リヴェットのミューズ、ビュル・オジェらとアングラ劇団を結成し、舞台役者としても活動したが(このコンビ、ナマで見るには美しすぎる)、67年のブニェルの『昼顔』に美しい顔をうらぎる凶暴な下層階級の青年を演じて評判となり、以後、徐々にカルトでアートな作風の監督作品にばかり多数出演するようになる。

72年には麻薬売買が発覚し、17ヶ月の禁固刑をうけるが、出所してマカヴィエフの『スウィート・ムーヴィー』で復活。ころんでもただでおきない性格から獄中体験記も出版(ピエール・クレマンティの『獄中日記』とか? よんでみたいものです)した。以後は「美青年」としてより「性格俳優」(性格破綻俳優だったりして)としてあぶない個性をみせつづけてくれてる。80〜90年代にはいってからも、舞台においてはひとり舞台にチャレンジしたり、映画を監督したり、アート魂は健在の模様。この先、ますます怪優に化けつづけるかもしれない、要注意人物である。

▲このサイト始まって以来のかなしい出来事。1999年12月28日、パリ市内の病院にて、クレマンティさんはガンのため逝去。享年57歳でした。このサイトをたちあげたとき、彼が病床にいるとはつゆほども知らず・・・。ほんとうに、これからの活躍がたのしみでしたのに。
最後の作品は、イギリス映画の『グッバイ・モロッコ』(1998年)になってしまいました。

この訃報に気づいたのは日本時間の2月16日。ギロさん、おおしえくださって本当にありがとうございました。


                  


『山猫』撮影風景より 
なんか、えらそうなぼうや
中央はヴィスコンティ
右端はドロンちゃん

うちひしがれつつも、
以下、続く。



その華麗なるフィルモグラフィ

カルトぞろいなので、難渋しそう?
でも・・・。
ブニュエル、パゾリーニ、マカヴィエフは
登場予定。



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