Franco Citti フランコ・チッティ
フィルモグラフィ その1


アッカトーネ(1961年)
監督&脚本 ピエロ・パオロ・パゾリーニ /撮影 トニーノ・デリ・コッリ /原題 Accattone (乞食)
子沢山
『アッカトーネ』より
「俺の子じゃないってば」


パゾリーニの映画処女作であり、ほとんどのキャストを市井の人々を用いて撮った、イタリア映画史に輝く傑作である。貧乏人を徹底したリアリズムで描く、という点ではネオ・リアリスモといわれる終戦直後のイタリア映画運動の延長線上にとらえられがちだが、その実、幻想的な要素もつよく、いい加減よい年齢なのに非現実的なまでに現実とおりあいをつけられず、どんどん深みに自分をおいこんでいく主人公「アッカトーネ」は、ある種の受難者にみたてられているようで、これはひとつのパゾリーニ流逆説的聖人伝とよんでもいいだろう。

チッティは主役ヴィットーリオ。自らをなぜか「アッカトーネ」(乞食)と人によばせて得意になっているこの男は、下層労働者階級に生まれながらも肉体労働をうとましく思い、ヒモ稼業で生計をたて、女からせしめた小遣い銭で日がな一日、にたような仲間とつるんで無為に日々をすごしている。暑くなると、生活排水でおせじにもきれいといえない河でおよぎ、賭事をし、仲間と飲み歩いてばか騒ぎをして夜を明かすという、たわいのない毎日。女にみつがせているので、みなりもこざっぱりしていて、みためだけはこじゃれた青年たち。そんなヴィットーリオがプライドをもってつける職(そんな都合のいいものがあるとすればだが)はローマにはなく、どこか不満と自己憐憫をたたえてぶらいついている。本物のやくざ稼業に足をつっこんでいる兄ちゃんたちにくらべれば、はるかにかわいい存在だが、自分にみついでくれる女を、稼ぎがたりないと夜の街へおいたてるほどに、ろくでなしな男にはなっている。

そんなある日、かわいい娘ステラにであう。どうやら処女であるらしい彼女に心底惚れ、彼女のためなら働いてもいいとすら思うのだが(そんなら、はたらけよ、おい)、どうせこんどの娘も街娼にしてみつがせるんだろうと周囲からいわれると、否定もできない大バカものである。ステラはステラで、自分の母親は、貧しさから自分をそだてるため、街頭にたっていたことがあるとヴィットーリオにうちあけ、自分はそれをヴィットーリオのためならやってもいいとすらいう純情ぶり。そこまでいわれると、いっそやってみろやといってしまう、破滅的ヒモ野郎である。

チッティは、この映画で、どうしようもない、それでいてどこかなげやりで悲しい青年を、ほとんど演技をこえてその全存在で観客に納得させてしまったことに功績がある。仲間とつるんでいるときの、少年のような笑顔。貢がせていた女が刑務所にいれられ、カネにこまってハラがへり、さすがに自分に嫌気がさしたときのなさけない顔。仲間からほれた女もすぐに娼婦にさせてしまうといわれて、自己嫌悪におちいったときの投げやりな顔。窮地におちいると、上目づかいで相手をうかがってしまう幼い顔。警察に任意出頭させられたときの、爆発的に自由をもとめてあらがう激情の奔流。妻(いるんですよ、ヒモのくせに。カトリックは当時離婚できなかったから)の男親たちにゴミあつかいされて、屈辱で妻の兄と喧嘩をはじめるときの暴力的だがカタルシスをあたえるいきいきしたようす。チッティとは旧知の仲である監督が、彼の幾多の表情からフィルムに定着させたナマな若者の感情は、ベテランの役者ではだせない、この動物的といってもいいような、感情だけでつっぱしる青年像にぴったりとあてはまっている。

その後、ステラは結局、アッピア街道で「たちんぼ」をするはめになるのだが、おそろしくなって泣き叫んだため客に追い返されて、ひとり泣きながら夜道をとぼとぼと歩く。まるで彼女をためしていたかのように、それをひそかにみていて、そっとバイクでおってきたヴィトーリオと再会し、ふたりすがって泣くシーンは、なさけなさといとおしさがないまぜになって
ぼくが弟のシルヴィオです
兄とちがって、勤勉な青年なんです


美しい。
この一件からステラを街娼にしないとちかったヴィットーリオは、弟の口ききで(彼の実際の弟が演じている。写真右)屑鉄はこびをするのだが、なれない労働ですぐに根をあげてしまう(すんごい、ガタイがいいのに、なぜそんなに体力がないの! キミは王子さまか! 注:のちにチッティは『アポロンの地獄』で王子さま役もこなしている)。その夜、つかれて眠ってみた夢で、彼は自分の葬式に参列する。白昼、暑さにゆらめくような道を、自分の葬列をおってさまよう場面がまた美しい。自分の破滅的な生き方が、いずれ自分の命をうばうと、本能的にしっているのである。

そして、目覚めてのち、出所してきたばかりの仲間とつるんでくだらないこそ泥をする(ソーセージ泥棒・・・)。かねてよりヴィットーリオを売春強要のうたがいでマークしていた警察に逮捕されそうになり、その場にあったバイクをうばって逃走、事故死するというあっけない幕切れをむかえる。そこでかかるマタイの受難曲(この映画のテーマ曲は終始一貫してバッハだ!)。そしてかけよる仲間に、もらすいまわの際のことばは「ああ、いい気分だ」。悲しいと同時に、ふしぎな救いもかんじられるラストは、やはり崇高なイメージにいろどられる。

この映画は、ローマ社会の恥部を描きだした、ということで、当時のイタリアの世評はかんばしくなかった。しかし、かつて共産党員だったからといって、パゾリーニは、決してただ貧乏人の実態を克明にえがきだし、彼らが団結するユートピアを提示したかったわけではなかった。彼がこうした素材をあつかったのは、プリミティブな人間同士のぶつかりあい、あけすけな感情の奔流に、彼自体カルチャーショックをうけ、魅せられつづけていたことのあらわれであろう。
そして、はらが減ったアッカトとそのなかまたちが、貧乏人用に支給された1キロのパスタをもって、鍋を借りに行く場面があるが、パスタがゆであがるまでにくりひろげられるアドリブのような会話の応酬、「ここにいるみんなでくったらわけまえがへるな」、などといってしまういじましさと、こっけいさなどにみえる、こづきあいながらももたれあっている青年たちの共同体意識というものに、監督自身が深く愛着をもっていたのではないか。ここでみせるチッティの笑顔は、全編をつうじていちばん自然な明るさにみちており、こづきあっている、歯のそろっていないようなお仲間も、じつにはつらとしていて愛すべき存在にみえる。

また、アッカトのまわりには、「父親」の影が欠落していることも指摘しておきたい。彼をたしなめるオトナはついぞでてこないし、アッカトが相談する相手はやくざの兄ちゃんや、どろぼうである。この映画のビデオのパッケージには、アッカトが自分の息子をだきしめている「一見感動的なイタリアシネマ的スチール」がつかわれているのだが、これはステラにみつぐために(なにごとも、みかえりをうるには初期投資が必要!)、息子のつけている18金かなにかのネックレスを、だきよせているかのようにみせかけてちょろまかしているところなのである。この常識を逆転させたシニカルな笑いの感覚は、この映画以降もパゾリーニの映画には散見される。

セリフこそ、ふきかえてもらったものの、この映画でチッティがみせた演技は、やはり高く評価されるべきものであろう。たとえ、それが檻にとじこめた野犬がほえるたぐいの、かなりおいこまれてからひきだされたものであったにせよ。後年のふてぶてしい様相はこの当時はまだなりをひそめ、その初々しい演技は、30年以上たったいまみてもこの映画を普遍的な青年の身の上におきた悲劇としてうけとめさせ、観客の胸をうつ。

白黒映画だが、これ以降、ほぼすべての映画でパゾリーニとくんだトニーノ・デリ・コッリの撮影もすばらしい。


                  

その華麗なるフィルモグラフィ

以下続

予定
「マンマ・ローマ」
「アポロンの地獄」
「殺して祈れ」
「ダーティ・デカまかりとおる」



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