Franco Citti フランコ・チッティ


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人 と 作 品
『アッカトーネ』より

1935年4月23日、イタリア、ローマうまれのローマ育ち。代表作はピエル・パオロ・パゾリーニの『アッカトーネ』『アポロンの地獄』。
演技に関してはまったく無知であったが、パゾリーニにくどかれて映画に出演。デビュー作がパゾリーニの処女作『アッカトーネ』(1961年)で、この作品でいきなり世界各国の高い評価をうけた。公開時の英国での評価はとりわけ高く、その年のBAFTA外国映画俳優賞にノミネートされている。しかし、その実、この映画では彼のセリフはすべてふきかえであった。

デビュー段階ではしろうと同然だったので(以後も、ずっと、そう?)、役者人生としては幸運なスタートをきったといえる。もちあじは「いるだけで異様な存在感をもたらす」。パゾリーニの映画に数多く出演し、勢いと迫力を画面にもたらした。個人としての技量は、あくまでしろうとくさいのが本分。デビュー当時はけっこうかわいらしい顔立ちをしていたが、年をとるにつけ、人相が悪く、色も黒くなっていったのは、ロケ地(パゾリーニはそのロケを多く砂漠など、荒涼としたところでとった)でひやけにむとんちゃくだったからか。後年の映画をみると、案外、白い。

パゾリーニ映画をいろどるほっそりした質朴な美青年たちとはかなりことなるルックスをしており、がっしりした体格、ぶこつな手、いわゆる貴族的でエレガントな美貌とは対照的な容貌で(いや、それゆえに)、パゾリーニの映画のなかで、人間が本来もっているエネルギーとはかくあるものか、という気を発散し、大きな目をひからせて周囲を睥睨していた。そんなときには、えもいわれぬ高貴な顔立ちにもみえるから不思議である。パゾリーニがこよなく愛したイタリア労働下層階級の人間の美しさ、哀しさ、猥雑ななかからわきあがる生命力。そしてそのプライドと価値観を体現し、もっともわかりやすい形でみせることのできた稀有な俳優といえるだろう。パゾリーニ亡き後はさすがに代表作にはめぐまれないが、それでもベルトルッチや兄セルジオの映画、またコッポラの映画などにでたり、他愛もないアクション映画にちょい役ででたりして、役者生活を送っている。普通の映画で、ごく普通のイタリア人を演じるには、もちあじが強烈すぎるのだろうか。

                  
役柄の傾向
『アポロンの地獄』より

パゾリーニの映画にでつづけていたとはいっても、役柄は 一様ではない。『アッカトーネ』と『マンマ・ローマ』でこそ、かってしったるローマのスラム街にすむヒモ野郎を好演したが、そのあとはイロモノ的扱いといえるほどに幅広いのが特色。『アポロンの地獄』ではオイディプス王を演じ、これが自他ともにみとめる彼のシゴトの頂点である。『豚小屋』では人肉をくらっていきる野盗を、『アラビアンナイト』では超能力をもった赤毛の魔王を、『デカメロン』では人殺しあがりの聖人を、『カンタベリー物語』では収税人に同道する悪魔を、というように、かなり極端な役が多い。
60年代には、文学的作品に数本、それから当時大変人気があったマカロニ・ウエスタンにも数本ほど客演している。70年代にはいり、パゾリーニの死後は、ベルトルッチの映画にふらりとでていたり(ベルトルッチは『アッカトーネ』撮影にスタッフとして参加している)、コッポラの『ゴッドファーザー』ではシチリア島民として出演。その後もアクション映画に悪役ででたりして、今日まで役者稼業をつづけている。イタリアでは近頃、TV番組にも出、兄セルジオと共同執筆で映画を撮ったりもしているらしい。残念なことに日本で公開された最新作は『ダブル・レイプ/魔性のいけにえ』(1989年)、『ゴッドファーザーPART3』(1990年)どまりである。

パゾリーニとのなれそめ
もともと、詩人として高名だったパゾリーニだが、映画の原作や脚本をかくなど、若いころから映画と関係がふかかった。40代にはいろうとするとき、これまでの芸術活動のすべてをそそぎこむべく、メガホンをにぎったといわれている。
わたしが兄のセルジオです
のちに一本だちして監督になりました



1940年代、北イタリアで教師をしていた20代のパゾリーニは、無実の罪で共産党に放逐され、スキャンダルをおこしたものとして故郷をおわれ、貧困のうちにローマのスラム街にすみこむこととなった。そしてそこで、生命力あふれる下層階級の若者たちを「発見」した。趣味と実益をかねて、下町の若者たちを取材し、同化し、親しくまじわるうち、家族ぐるみなかよくなったのがチッティ家である。
フランコのふたつちがいの兄、セルジオ・チッティは、パゾリーニがローマ下層階級のことばを取材するにあたって尽力し、その後も助監督になってパゾリーニを補佐し、長年にわたり映画制作に際してパゾリーニに協力をおしまなかった人である。『アッカトーネ』では脚本の口語チェックにあたったほか、フランコ・チッティ演じるヴィットーリオがのんだくれる酒場のウェイター役でちらりと出演している。小柄だがなかなかひとのよさそうなハンサムである。
チッティ家に何人の弟(あるいは姉妹)がいるのかさだかではないが、あと一人、最低弟がいることが確認されている。シルヴィオ・チッティといい、彼も『アッカトーネ』で、これは実際にチッティの弟役で出演している。勤労意欲がない兄貴を心配する、背の高い無骨な印象の勤労青年をもくもくと演じている(映画『アッカトーネ』の項参照)。

チッティ兄とパゾリーニがしりあったとき、たまたまフランコ本人は少年鑑別所におくられており、彼が出所してきたときには、一家そろってこの監督を家庭にむかえいれていたので、ひどくおどろいたという談話がつたえられている(チッティが収監されていた罪状は不明。ドキュメンタリー映画『パゾリーニ・ファイル』で本人がかたっているかもしれず。ただし、現在みるてだてがない。パゾリーニが当時のローマ下層プロレタリアートの少年たちを素材にして描いた小説『生命ある若者たち』を読めばわかるが、当時の経済復興前のローマでは、そんなことは日常茶飯事だった模様)。パゾリーニも、ローマの下層プロレタリアートの生活によくなじもうと努力したらしい。パゾリーニがローマにすみはじめたのは1950年初頭。そのころからのつきあいだとすると、フランコは当時15歳くらいだったことになる。後年はともかく、そのころは大変かわいらしかった・・・と想像にかたくない。

なぞめいた経歴
ここまで書いてきて、どうしても理解にくるしむフランコ・チッティの経歴がある。彼が鑑別所にはいっていたというくだりである。なにがおかしいかというと、さきごろ(1999年11月)発売されたDVDの、キャストプロフィールをみると、堂々と8歳のときに鑑別所に入り、出所後パゾリーニと知り合う、とかいてあるのだ。どういう罪状ではいったかにもよるが、いかなフランコ・チッティといえども、8歳ではいって、15歳くらいになるまでずっと鑑別所にはいりっぱなしであった、などということがあるのだろうか(出所、収監をくりかえしていた、ということはあるかも。でも、どんなガキだよ〜)。すでにして生涯の半分をくさいめしをたべていたと? 親の顔すらもみわすれてしまいそうな年月だが、はたして真実は? どなたか、資料があったらおしえてください。

▲その後、日本でもっとも充実したパゾリーニ研究のサイトを運営しておられるヴィンセント・ギロ氏より(ギロさん、このハンドルネームだと、ちょっと○○みたいよー)、この一件は『未来の記憶(邦題「パゾリーニファイル」)』をみれば氷解するのではないかという示唆をいただきました。機会があったら、是非みてみたいものです。

誤解にいろどられて
ここまで書いてきたフランコ・チッティ経歴その他は、信頼性のおける資料のほかは、最低数カ所でチェックしてから書くようにこころがけているのだが、ふときになってキネマ旬報社からでいている『外国映画人名事典 男優篇』(1997年)をみてみたら、これはこれでかなりユニークだった。この事典自体たいへんな労作で、しっかりした本だとは思うのだが、チッティに関しては独創的ともいえる内容。以下、引用部原文ママではないが、ざっとこんなかんじ。パーレン内は筆者(やまもと)によるつっこみ。
「こどものころから映画に興味をおぼえ」(←この世界ではめずらしくもないといえるが)「子役として数々の映画の端役に登場」(←すくなくとも「8歳で少年鑑別所」よりはマシか? でもこれはほかの人の経歴なのでは? 地元小学校の聖劇に天使の役ででた、とかいうんならまだしも)「高校を卒業してのち」(←え、出所してすぐパゾリーニにあったという、ご本人の談話はどうなる? 年齢があわないし、そもそも彼はそんな高学歴なはずは・・・失礼)「・・・パゾリーニにみいだされた」とあるのだが。うーん、これまた奇怪な。
こんなところからも、90年代後半になったいまもなお、イタリアの俳優で、情報がすくないというその一点だけで、依然として誤解と曲解にいろどられている彼の役者人生がたちのぼってくる。しかし、2000年こそは、彼の人生に真実の光があてられる日がくるのかもしれない・・・! このサイトはそのさきがけかも? というところで、以下作品論に続きます。

                              1999年12月下旬記す


その華麗なるフィルモグラフィ


その1 『アッカトーネ』ほか




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