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こだわりの店 久し振りの人と、青山で会うことになった。その人は、以前勤めていた会社の、取引先の人である。当時、私は調味料会社に勤めており、その人はあるコンビニチェーンの弁当企画製造に携わっていた。お互い、当時の会社を辞めて、別の仕事を始めていた。 「とびきりのソバをご馳走しますよ」とその人は言った。とびきりのソバってなんだろう、とびきりウマイソバのことだろうな、と私はぼんやり当たり前のことを思っていた。そうして到着した店はおよそ和のイメージとはほど遠かった。おしゃれなイタリアンカフェのようなインテリアが広がっており、店内は間接照明の光であふれていた。 何年かぶりに会うその人は、相変わらず話題に事欠かない人であった。今、その人の抱えている新しいプロジェクトについてや、このイタリアンのようなソバ屋のコンセプト等、わたしはただふんふん、と頷いて聞いていた。 気が利かずに、いきなりお手洗いに立とうとする私に、その人は「ここはトイレのインテリアも面白いですよ」とすかさず声をかけた。観れば、手洗い場には流れる水を受けるシンクというものがなく、水道の蛇口の下で、斜めに設置されたガラス板の上を水は流れて、奥に排水がされるようになっていた。そのガラスの下には間接照明が仕込んであり、手洗い場全体が光でキラキラとあふれていた。 その人は以前この店で、異業種間交流の集まりをしたことがあるという。「こちらは場を設けるだけですけどね。名刺交換から始まって、どういう企画が出てくるのかは、彼らにお任せなんです。楽しいですよ。」こだわりの店を肴にして、人は出会ってまた流れていくのだな、と私はやはり当たり前なことを思った。 青山からの帰宅途中、友達から電話がかかってきた。「みんなでこれからいつものラーメン食べるけど、くる?」小ジャレたソバは確かに美味しかった。道具立てもすばらしかった。お腹が空いていたわけではなかったけれど、「行こうかな」と私は返事をしていた。気がつけば、だいぶ肩の力が入っていた。帰りがけ、さりげない会話があって、なんとなく大人になり損ねたような気もしたけれど、それはそれで良かった。猫に小判かもしれないが、普通のラーメンをみんなと食べたい気分だった。 こだわりの店、そこを流れていく人や水や時間。行きつく先は、帰りたい所。「ニュートラルなソバ屋」ということをふと思った。 当たり前なソバ屋が舞台のドラマ。 木村史子 (『タライの中の水』パンフレット掲載のものを一部改稿) |
ある梅雨の晴れ間の月曜日の朝。いつものようにマクドナルドの脇を通り抜け、ファミリーマートを一周し、私は職場を目指していた。ふと気付くと、道端に1冊の新書判の本が落ちている。どうやらマンガの単行本のようだ。物珍しさも手伝って、私はその本を手に取ろうとした。が、その時ある事実に私は着目した。その本は、几帳面に茶色のブックカバーが装着されている一方で、わずかに覗くその小口が奇麗な小麦色に焼け切っているのである。私はその小麦色のチラリズムに目まいを覚え、取るものも取り敢えずその場を立ち去ったのであった。 2003年6月末日 演出家 (『タライの中の水』チラシ掲載) |