第153回 再考「ハゲワシと少女」の写真(08・11・30記)

 

(1) 「ハゲワシと少女」の写真とは

(2) ケビン・カーターさんの告白

(3) 撮影に同行した友人の証言

(4) 中学生の作文コンテスト受賞作


 今回は、およそ15年前、人命か報道かで論議を呼んだ「ハゲワシと少女」の1枚の写真について、再び考えてみたい。それというのも、このところ、「ネットジャーナルQ」第27回に書いた「『ハゲワシと少女』のカメラマン自殺〜人命か報道かの論議の中で〜」について、大学院の入試問題や小中学校の教員研修の教材、それに児童生徒の「道徳」の時間の副読本に取り上げたいので、許可してほしいという依頼が大学や地方の教育委員会などから寄せられているからだ。

 もう一つ加えれば、最近、「カメラマンは少女の母親の目の前であの写真を撮ったらしい。だから人命か報道かの論議そのものがナンセンスだ。」といった話をよく耳にするからだ。世界中で絶えない戦争と貧困と飢餓、さらに日本でも人命軽視の事件が多発しているいま、人命か報道かは格好のテーマなのだが、それだけにあの衝撃的な写真のイメージだけが独り歩きしていないか気になっている。

(1)「ハゲワシと少女」の写真とは

 飢えでしゃがみこみ、両手で目を覆う少女の背後にいまにも襲おうとする1羽のハゲワシの写真。これを撮影したのは南アフリカ出身で、フリーカメラマンだったケビン・カーターさん
(当時33歳)

 時は、1993年3月11日。場所は、内戦と飢餓に苦しむアフリカ・スーダン南部のアヨド村。この写真は『ニューヨーク・タイムズ』(1993・3・26)に掲載され、200点の候補作品の中で1994度のピュリッツァー賞・企画写真部門賞を獲得した。

 しかし、この写真が『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されて以来、人間の尊厳優先かプロ意識の徹底かをめぐって、全米のジャーナリズムは賛否両論に分かれた。具体的には、「少女を見殺しにしたカメラマンこそ本当のハゲワシだ」「ピュリッツァー賞は取材の倫理を問わないのか」といった非難の声が上がり、これに対して、ジャーナリズム専攻の学者などから「少女の命を救うことはカメラマンの仕事ではない。」「残酷だが、カメラマンはハゲワシが子どもの肉をついばむところを見届けるべきだった。」と肯定する意見が表明され、両者が真っ向から対立する形となった。

『ニューヨーク・タイムズ』には、「なぜ、カメラマンは少女を助けなかったのか。」などという非難の声が殺到した。そこで、掲載から4日後
(3・30)「カメラマンは撮影後、ハゲワシを追い払った。しかし、少女が食糧センターに無事たどり着いたかどうかははっきりしない。」という異例の「Editors’Note(編集部からの「お知らせ」)を載せたほどだった。

(2)ケビン・カーターさんの告白

 では、撮影したカーターさんはどのように言っているのか。以下は、カーターさんがNHKのスタッフのインタビューに応じ、直接答えたもので、番組
(NHK教育「メディアは今―人命か報道優先か・ピュリツアー賞・写真論争―」94・6・30放送)で放送された肉声(約12分)のうち、肝心の部分を要約したものである。国立国会図書館のレファレンスによれば、「ハゲワシと少女」の写真撮影に関するカーターさん本人の書誌への記述はないようで、それだけにこの番組の告白は貴重なものといえる。

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「国連などの食糧配給センタ−から500メ−トル離れたところで一人の少女に出会った。こんな風にうずくまって
(真似をして見せる)必死に立ち上がろうとしていた。その光景を見たあと、いったんはその場を離れたが、気になってもう一度引き返した。すると、うずくまった少女の近くにハゲワシがいて、その子に向かって近づいて行った。

 その瞬間、フォト・ジャ−ナリストとしての本能が“写真を撮れ”と命じた。目の前の状況をとても強烈で象徴的な場面だと感じた。ス−ダンで見続けてきたもののなかで、最も衝撃的なシ−ンだと感じた。自分はプロになりきっていた。何枚かシャッタ−を切ってからもっといい写真を撮るのにハゲワシが翼を広げてくれないかと願った。15分から20分ひたすら待ったが、膝がしびれはじめ諦めた。起き上がると、急に怒りを覚え、ハゲワシを追い払った。少女は立ち上がり、国連の食糧配給センタ−の方へよろよろと歩きだした」

「この後、とてもすさんだ気持ちになり、複雑な感情が沸き起った。フォト・ジャ−ナリストとしてものすごい写真を撮影したと感じていた。この写真はきっと多くの人にインパクトを与えると確信した。写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、少女が歩き始めると、また、あんたんたる気持ちになった。私は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。木陰まで行き、泣き始めた。タバコをふかし、しばらく泣き続けていたことを告白しなくてはならない」

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 カーターさんは、ピュリッツァー賞受賞決定から3ヶ月後、受賞式から1ヶ月たった94年7月27日、ヨハネスブルグ郊外で自分の車のなかで遺体となって発見された。当時のメディアは、「地元の警察では自殺とみているが、自殺の原因は不明。遺書には『ハゲワシと少女』の写真のことは書いていない。したがって、この写真とピュリッツァー賞受賞とに関係があるのかどうかはわからない。」と報道していた。

 ただ、カーターさんの父親は、葬儀の日、日本の小学生から送られた手紙の中に飢餓の惨状を教えてくれたカーターさんに感謝する気持ちが綴られていたのを知って、「死ぬ前にこの手紙を読んでいたら息子は自殺しなかったかもしれない」と語ったという。

(3)撮影に同行した友人の証言

「ハゲワシと少女」の写真が本当のところどのような状況の下で撮影されたのか知りたかったのだが、本人の告白以外これまで明らかになっていなかった。私もこの写真を最初に見たとき、一瞬、「やらせでは」と思ったほど、うまく出来すぎていた。だいぶ経ってから、「カメラマンは少女の母親の目の前であの写真を撮ったらしい。」といううわさがどこからともなく伝わってきた。「母親の目の前で」となれば、カメラマンが「少女を助ける必要もない」わけだが、それにしてもハゲワシが置物でない限りどうしてあのような状況が撮影出来るのだろうかと疑問に思っていた。

 同じような疑問を持った毎日新聞の藤原章生記者
(元アフリカ特派員)は、現地で取材した結果を「あるカメラマンの死」(著書『絵はがきにされた少年』集英社2005の1章)のなかで紹介している。

 藤原記者は、アフリカに赴任して2年目の1997年、カーターさんの友人で同じカメラマンのジョアオ・シルバさんにインタビューすることが出来た。ジョアオ・シルバさんはカーターさんをスーダンに連れて行った人でもあった、という。「あるカメラマンの死」はジョアオ・シルバさんの話が中心になっている。

 当時のスーダンは1988年の大旱魃で畑や家畜が壊滅状態になり、餓死者が25万にもなったため、国連とNGOが共同でスーダン生命線作戦
=オペレーション・ライフライン・スーダン=という名の緊急食糧援助を空輸で行っていた。

 ジョアオ・シルバさんは、仕事がなく「生活が完全に破綻していた」カーターさんを誘って国連機に乗り込み、現地到着後離陸まで30分という制限時間のなかで、ジョアオ・シルバさんはゲリラ兵に、カーターさんは飢餓にレンズの目を向け、絵になるものを探して必死に走り回ったという。

 ジョアオ・シルバさんは「ケビンがあの写真を撮ったとき、数百メートルのところにいた。」「ケビンはそのとき飛行機近く、数十メートルのところにずっといたみたいだ。」と話している。

 ジョアオ・シルバさんも似たような少女の写真を撮ったが、そのときの様子について「親はすぐそばで食糧もらうのにもう必死だよ。だから手がふさがってるから、子どもをほんのちょっと、ポン、ポンとそこに置いて。」「ケビンが撮った子も同じ。母親がそばにいて、ポンと地面に子どもを置いたんだ。そのとき、たまたま、神様がケビンに微笑んだんだ。撮っていたら、その子の後ろにハゲワシがすーっと降りてきたんだ。あいつの目の前に。(略)あいつ、『アイヴ、ガッタイトゥ(撮った)、やったんだ、撮ったんだ、すごいの撮った、俺、撮ったんだ』なんて涙流さんばかりに興奮して」いたという。2人はナイロビに戻り、写真を焼いて、ジョアオ・シルバさんが『ニューヨーク・タイムズ』の知り合いに売り込んだのだと話している。

 藤原記者の「あるカメラマンの死」には、カーターさんは「愛用の薬物、マンドラクスを吸いながら、車内に排ガスを引き込み自殺した」と書いてあり、遺書の最後に「すべて手に入れたのに、結局、自分自身であり続けることがすべてを台無しにしてしまった」と結んでいることを紹介している。

(4)中学生の作文コンテスト受賞作

 カーターさんは「ハゲワシと少女」を撮る以前に「俺はただ、自分の写真が紙面に載ればいい、それだけだ。」と地方紙の写真コラム(89・8)に書いたことが藤原さんの「あるカメラマンの死」に出ている。これを読むと、戦場で衝撃的な写真を狙ったり、例えばダイアナ妃を狙ったりするパパラッチのようにみえなくもない。その人が薬物を愛用していて、自らを死に追い込んだことになる。

 世界の飢餓人口は増え続け、9億6300万人に達する勢いだという。内戦による飢餓と貧困。旱魃による恒常的な穀物不足。人口増に対する政治の無策。子どもたちの親の責任。これらすべてについて国際的な支援を求めているのはスーダン1国だけでない。その意味で、カーターさんの友人の話は話として知った上でなお、カーターさんが残した1枚の写真「ハゲワシと少女」の重みは何にも増して貴重なものであり、その役割はいまでも変わらないと考える。

 2年前、「全国中学生人権作文コンテスト東京都大会」で東京新聞賞を受賞した作品に「『ハゲワシと少女』から学んだこと」
(江戸川区立二之江中学校3年 水野谷古都さん)があった。作文の題は「紛争の怖さを知る努力続けたい」で、他の受賞作とともに東京新聞(2006.12.16)に載った。当時中学生の作者は結論を次のように結んでいる。

「『私に救うことはできないから何もしない、何も考えない』では、やはり嫌だと思いました。内戦や飢餓などで苦しむ世界の子供達の為の活動があると聞いて、インターネットで捜してみました。それは、内戦などのさまざまな紛争や、貧困、飢餓に苦しむ子供達を支え、その子供達の教育環境や、地域開発を共に支えていこうという国際NGOでした。今その資料を取り寄せているところです。内戦をとめる力はないけれど、こういう国や子供達がいて、私はそのことを知っている、という意識を持って暮らしたいからです。カーターの残した写真は、私達に『知る努力をやめてはいけない。考えることをやめてはいけない』と教えてくれているのだと思います。」

 ここには、人命か報道かといった二項を対立させて議論する大人たちを超えた未来があると感心した。#