セルギャラリー 12

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1975年4月7日−1975年9月29日


毎年12月になると思い出すひとつの光景がある。
それは8歳の私が雨の中、神社に立っている光景。

何故かは知らないが父がボーナスを前に会社を辞めてきた事があった。
母は、私が小さかった頃から、内職などでコツコツと貯蓄し
数年後にはマンションを購入しようと思っていた。
そんな矢先の事であり、また親戚関係のイザコザもあり、
心労で母は寝込んでしまう事があった。

浦和の調神社(つきのみやじんじゃ)では、毎年12月12日に
「じゅうににちまち」という酉の市がたつ。

母が元気になり、勤めに出る様になったその年の12月。
朝から天気ははっきりしなかったが、夕方から本格的な雨になった。
母が仕事を終え、家で待っていた兄と私に電話をくれた。
「雨だから行ってもお店やってないわよ」

それでも子供は縁日、屋台が好きだから、母と駅で待ちあわせて調神社へ行った。
案の上、何もやっていなかった。
(見世物小屋で)「ヘビ少女といってヘビにリボンをつけているのを見た」
なんてぼやいている人がいた。
帰りに3人でラーメンを食べた。

昭和49年、10月にマンションを購入、戸田市へ越した。
「ガンバの冒険」は、我が家がそんな状態の時に放映していた。

毎週、毎週、「ガンバ!ガンバ!ガンガンガンバ!」を食い入る様に見た。
それは今まで私が見てきたアニメとは、なにもかも違う!

母は家事をしながら「私達もがんばらなくちゃね」といつも言っていた。

その後、私は結婚して親元を離れてしまった。

数年後ガンバのLD-BOXが発売されすぐ購入。
(ジャケットが全部、作監の椛島さんの書き起こし!)

あの頃を思い出しボロボロ泣きながら3日で全部見た。
落ち着いたら母と見ようと思っていたのに
母はもうこの世にいない。

今回は作品と関係ない事で、すみません。
ただ、私が何かに悩む時には
出崎作品を見て勇気づけられている事が多いです。

ガンバでは「これ!」としぼれませんが
イエナ、クリークのあたり(7−9話)
15話「鷹にさらわれたガンバ」
24話−最終回あたりがオススメです。
ガンバは声優さんもよかった!
LDが最近、再版されていますので未見の方は是非ご覧になって下さい。

母は3年前にガンで亡くなりました。
父はその後、勤め上げ、現在も一人暮らしではありますが、
元気にやっております。

ガンバ ソフビ人形

ガンバのプラモ(略してガンプラ)も物置のどこかにあるのですが
ウォーターラインシリーズに取り囲まれて、出てきませんでした (^_^;)

1998年12月10日作成


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