ここは、このHPの開設者であり、先代管理人のあけだの部屋です

この画の無断転載はご遠慮下さい・なお、転載防止のため一部加工してあります 画:高橋真琴


あけだと突然の別れをして、今日(平成17年9月26日)でちょうど1年がたちました
長いようで短い1年…

このHPも閉鎖を考えたときもありましたが、彼女の友人たちの励ましもあり
また、ある意味では彼女の生きた証の一部でもありますので
2代目の管理人として、このHPを引き継ぐ事にしました

そして、もう一つ何か彼女の想い出を形に残せないかと思い
彼女が生前大好きだった画家の高橋真琴先生に
彼女の画を描いてもらおうと思いお願いしたところ、ご快諾頂き、無事完成しましたので
ここに彼女の一周忌の記念として、公開させていただきます

衣装はお姫様のように…
そしてかわいがっていたキャバリア犬のトミーと、リカちゃん・わたるくんに囲まれて、
彼女も満足していると思います…

(平成17年9月26日:けんぼう作成)

額装した状態:画の大きさはB5サイズです
初代リカちゃんとわたるくん
服はそれぞれ
「写生のお時間」と
「タキシード」です
トミーもかわいく描いていただいています

リンダさんが作ってくれた彼女の追悼ページは「こちらです
アンリスさんが作ってくれた彼女の追悼ページは「こちら」です






貴方と出会ったのは、1981年頃、当時私がのめりこんでいたあるアニメ作品のFCを作り作品集を作ろうと仲間を募っているときだった。

 この作品と同じ方が原作をされた別のアニメ作品のFC活動を既にしていたあけだ、貴方に出会ったとき、私は何か運命的な出会いを感じていた。

貴方は当時確か18歳、でも私には無い快活さや、人なつこさを持っている人だった。

 作品集を作る過程でも、貴方に惹かれるものを感じていた。

無事作品集の発行も完了し、活動も一段落した頃、FC仲間と海水浴をしたり、花見をしたときも、貴方の事ばかり見ていた。

花見では、仲間の見ている前で、お酒を飲んだ貴方が私に膝枕をして寝てしまい、少し照れくさかったけど、とっても嬉しかった。

貴方と一緒になれたらいいなと淡い気持ちを抱き始めたのはこの頃だったた。

プロポーズしたのは、今の職場に勤める前、H建設設計という会社にいた頃でだった。

まだ若かった私は、しゃれたレストランで決めようと、わざわざ下見に行った上で、池袋のレストランに誘い、

しばらく会話をしたあとで「付き合っていただけますか」と切り出した。

貴方のお返事は確か「はい、私もそうなればいいなと思っていました」という嬉しいものだった。

それからしばらくは、埼玉から都内の短大に通われていた貴方と、

やはり神奈川から都内に通っていた私のデートの場所は主に丸の内線と山手線の交差する池袋だった。

デートのあとは、まだ埼京線がなかったから、最寄の京浜東北線のN駅まで送った。

休日は、埼玉や三浦海岸に足を伸ばし、ドライブしたっけ。

貴方の成人式の日もデートしました。着物姿がまぶしかった。

それから私が公務員試験を受けるためにH建設設計を辞め、無職となり試験活動をしていたときも私を信じていてくれたね。

昭和62年、無事試験に受かり、S市の職員となった。

貴方はそれを一番喜んでいてくた。

仕事も一段落した昭和63年の5月に、横浜のホテルニューグランド旧館で結婚式を挙げた。

式の前に降っていた雨も上がり、素晴らしい晴天の中の挙式だった。

今はもう亡くなった、貴方のお父さんが、バージンロードを貴方の手を引いて現れたとき、貴方の美しさに息を呑んだ。

結婚式の夜は、ホテルニューグランドに泊まった。

貴方は、落ち着いているようで、本当は長年住んだ家を離れる不安を訴え、泣いていたね。気丈に見えた貴方の優しさを感じた。

新婚旅行はヨーロッパ、二人だけの個人旅行。

約3週間、イギリス、フランス、イタリアの3カ国をのんびり回った。

個人旅行だったのでツーショットの写真があまり無くて、かろうじてノートルダム寺院の前で撮った写真を絵葉書にして

「結婚しました」という葉書を作った。

通りがかりの日本人の方に撮ってもらったので、ちょっと写真が斜めになってしまったのもいい思い出だった。

それからは、何回か夏休みになると2人でヨーロッパを旅行をしたね。

パックツアーは使わず、いつも貴方と2人の個人旅行でしたが、貴方と2人なら何の不安もなく。どこに行っても楽しい旅だった。

私たちは、ヨーロッパの美しい街を楽しみ、貴方は、その傍らビスクドールを集めていたね。

新婚旅行でも、パリのクリニャンクールというのみの市で大きなジュモウのビスクドールを買いましたね。

それをぶら下げたままシャンティーというパリ近郊の町まで観光に行ったね。重かったでしょう?

貴方が特に心を惹かれたのは「エデンベベ」というタイプの人形でした。

ヨーロッパや、日本で買い求めたエデンベベは3体、今でも部屋のショーケースの中で微笑んでいる。

他にも貴方の好きな人形達がケースの中で微笑んでいる。

2回目のヨーロッパ旅行はパリとロンドンのみに滞在し、2都市とその近郊をのんびり楽しんだ。

パリでは、2人の好きなアールヌーボーの建物を見て回ったりした。

3回目のヨーロッパ旅行では、パリから寝台列車でドイツに入り、ロマンティック街道をバスで回った。

ロマンティック街道に連なる「ローテンブルク」「ディンケルスビュール」「ネルトリンゲン」などの美しい街々に2人で息を呑んだ。

「ローテンブルク」では、ふらりと寄った小さな演劇場で人形劇を見り

「ディンケルスビュール」はあまりの美しさに「ここに将来住もう!」などと夢を語り合ったり。

ロマンティック街道の終点は「フュッセン」そしてここの見どころは「ノイシュバンシュタイン城」!

ここでも好奇心とパワーあふれる2人は、息を切らせながら山を登って、

お城が見渡せる高台まで行きましたね。絵葉書と同じ情景に息を呑みました。

4回目のヨーロッパ旅行のとき、思い切って、ドイツでレンタカーを借りて2人で運転した時、

慣れない道で不安もありましたが、若さでカバーしたね。楽しかった。

「眠り姫」のモデルになった「ザバブルグ城」という古城にも泊まったね。

木組みの古い家が300軒も並ぶ「ツェレ」、戦災で壊滅したのに昔の街を忠実に再現した「ニュルンベルグ」、

ハルツ山脈のふもとの静かな街「ゴスラー」

「ローテンブルグ」「ディンケルスビユール」は2人のお気に入りだったので再び訪問した。

それから「アウグスブルグ」から再び寝台列車に乗り、ベルギーへ。

古都「ブルージュ」では何件か探した後偶然泊まったホテルが絵葉書に写っている運河沿いの有名なホテルでびっくり。

街中に運河が張り巡らされていて、ボートでの観光を楽しんだ。中世そのままの美しい街だった。

5回目のヨーロッパは、思い切って、ベルギーのブリュッセルからオーストリアのウィーンまで全てレンタカーで旅をした。

若かったから出来たのかな。とっても楽しい想い出だった。

ツアーではなかなか行けないヨーロッパの田舎町を訪ねる旅はとっても楽しかった。

ふらりと寄ったルクセンブルグ近郊の「VICRYMUSEAM(戦勝博物館)」では、思いがけず第2次大戦の軍用車両がたくさん展示してあって、

興奮して写真を撮りまくる私を撮影が終わるまで微笑みながら見守ってくれたね。

ウィーン近郊の「デュルンシュタイン」という街も綺麗だった。

山の上にある古城まで2人で息を切らせながら登った後、城跡から見えるドナウ河のパノラマは素晴らしかった。

それから長男のY君が生まれて、しばらく海外旅行はお休み。

Y君の育児、貴方は本当に一人でがんばっていたね。

1歳半まで母乳で育てて、幼稚園の送り迎えも、全部ひとりでやっていたね。

「Yちゃん、Yちゃん」と一生懸命かわいがり、慈しんでいたね。

Y君が1歳を過ぎたころから、ずいぶん国内旅行をしたね。

その頃、しばらく休んでいた、おもちゃの趣味も再開し、旅行の度におもちゃ屋さんめぐり、

場合によっては、旅行よりそちらの方が目的になったりした。

貴方の集めていた「リカちゃん」「ジェニー」、私の集めていた「超合金」「プラレール」なども、古いものや探しているものが見つかると、

お互い自分のことのように喜んでいた。

南は沖縄から、北は北海道まで、随分あちこち旅行したね。

行った場所も数知れず、長崎、ハウステンボス、立山黒部アルペンルート、金沢、能登、会津若松、山中湖、

伊豆高原、甲府、札幌、函館、旭川、知床、日高、飛騨高山、妻籠、大内宿、那覇、鬼怒川、蒲郡、静岡、鴨川、九十九里、銚子、

日光、那須高原、りんどう湖、マザー牧場、スパリゾートハワイアンズなどなど。

旅のメンバーはいつも貴方と私とY君の3人。楽しい時代でした。

Y君の幼稚園の卒園式、つい昨日のような気がいたします。

そしてY君も小学生、入学式の姿が晴れがましかった。

小学校も、S先生というパワフルな先生に3年間も担任していただき、運動会や百人一首に優君も大活躍だった。

Y君小学校2年の夏休み、ずっとお休みしていた海外旅行に行った。

今度はY君もいるのでパッケージツアーで、スイス周遊8日間。

アイガー、マッターホルン、モンブランやスイスの美しい街を満喫し、幸運にも全日晴天に恵まれ、忘れられない旅になったね。

あのスイスの美しさは、いまでも思い出と写真ににしっかり残っている。

翌年は、オーストラリア旅行を計画したが、貴方のお父さんの病気でキャンセル、

「いつか行こうね」という事になり、そして結局行くことはできなかった。

その年、平成14年の11月、鎌倉に紅葉を見にハイキングに行ったあと、貴方から2人めの妊娠を告げられた。

Y君に弟か妹がいてもいいなと漠然と考えてはいましたが、もう出来ないかと思って2人ともほとんど諦めていた矢先の嬉しい知らせだった。

その時、年末に中国旅行を計画していました。貴方の体調も良さそうだったのでそのまま参加した。楽しい旅行だった。

同行の方から、「一人っ子じゃかわいそうよ」と言われて、こっそりと「実は2人目が来年産まれます」と言うと、

その方は自分のことのように喜んでくれた。

安定期に入ったので、4月に沖縄と石垣島、西表島などの旅行をした。

沖縄は、前年の4月にも行って、本土には無い景色や風物が気に入っていましたので、2度目の訪問となった。

貴方はどこに行っても元気で、パワフルで、私を励ましてくれた。

私が「仕事で疲れた」と愚痴をこぼしたときも、夕方電話をしてきて「駅前のお店を予約したから寄って!」と誘って励ましてくれた。

貴方は、私と同じ価値観を持ちながら、合わせて、私に無い快活さ、人なつこさを持った人で、いつも私の憧れだった。

昨年(平成15年)の7月26日、無事次男が産まれた。

長男の名前は私が付けたので、「次男は私に付けさせて!」ということになりH君という素晴らしい名前を考えてくれた。

でもその頃からだんだんと貴方の体調が悪くなり、病院に通う姿を見て心配してたが、

きっと一時的なもので、またすぐ以前の元気な貴方に戻ると思っていた。

入院生活、いろいろ辛い事、苦しい事もあったけど、外出するときはお昼を一緒に食べてから、いつもいろいろ話をした。

そして5月半ばにはすっかり元気になって退院することができた。

それからの1ヶ月は、貴方は病気のことなんか嘘みたいに元気で、

大好きだった高橋真琴先生の展覧会に行って原画を買ったり、友達と食事に行ったり楽しそうだった。

6月末には、延び延びになっていた「ディズニーシー」にも行った。あの時、私も貴方も病気なんかすっかり治ったと思い込んでいた。

「ディズニーシー」の写真の中の貴方は、病気になる前と同じ笑顔で笑っていた。

きっと、それは神様が与えてくれたひとときの、そして最後の休息だったのかもしれない。

それからすぐに、また貴方の病気は再発した。


…そして平成16年9月26日、貴方との別れは突然やってきた。

結婚してから約17年、結婚前に交際を始めてから約22年、思い出せば楽しいことばかりだった。

天国に持って行けるようにと旅行の写真などを何枚もプリントしましたが、その中の貴方はいつも笑っていた。

貴方は、自分の信念を貫き、そして40年の人生を駆け抜けて行ったのだと思う。

今はただ、安らかに眠って下さい。

天国に行ったら、大好きだったお母さんとお父さんと3人で仲良く、暮らしてください。

高橋先生のお姫さまの絵が好きな貴方は、きっと天国であこがれのお姫さまのような暮らしをしてるのでしょうね。

そして、私とY君とH君はきっと元気に生きて行けるから、心配しないで見守っていてください。

いつか私が天国に行ったとき、また会えるかな。

幸せをいっぱいありがとう。

さようなら、あけだ。

天国でお元気で。

平成17年9月

けんぼうより

(この手紙は、葬儀の時に彼女に宛てて書いたものに加筆修正をしたものです)



追伸:再婚しました。この間お墓にも連れて行ったからどんな方か見てくれたよね

まだ若いけど、一生懸命がんばってくれています

YくんやHちゃんのこともとても可愛がってくれて、二人とも彼女にもなついてくれてます


これからは、私は彼女と2人の子供のために全部のエネルギーを使います

どうか天国から見守っていて下さい

平成18年4月