2.地方自治体の開発協力への取り組みへ向けて
(1)国際会議――ケルン憲章からベルリン憲章へ
地方自治体が開発協力に取り組むべきことを問題意識とした最初の国際会議は、1985年にケルン(ドイツ)で開催された「タウン・アンド・デベロップメント」(Town
and
Development)会議(都市と開発に関する欧州会議)である。この会議では、地方自治体とNGOが南北関係へ強く取り組むよう「慈善から正義へ」をモットーとする「ケルン憲章」が採択された。この憲章ではじめて、自治体の開発協力コンセプトとしての「CDI」(Community
based Development
Initiatives/地域社会を基盤とした開発へのイニシアチブ=地域主体型開発協力)という言葉が使われた。この会議を契機に、自治体の開発協力を推進する国際ネットワーク組織「タウン・アンド・デベロップメント(以下T&D)」が設立された。
次いで、地方自治体の開発協力に対し明確なインパクトと理念を与えたのは、1992年10月14〜17日にドイツのベルリンで開催された「T&D」主催の「持続可能な
(サステイナブル)
地方自治体イニシアチブ国際南北会議」で採択された「ベルリン憲章」である。この憲章ではケルン会議で提示された「CDI」が自治体の開発協力コンセプトとして本格的に認知され、位置づけられることになった。CDIは「相互依存と自立の精神に基づく南北・東西の地域社会の協力」を促進するもので、NGOと自治体が協働して行う「地域主体型開発協力」で、南北双方の人々の対等な協力、参加、学び合いによって、貧困、人口、疾病などの地球的諸問題を地域から解決し、公正で持続可能な地球社会の実現を目指すものとして位置づけられた。
ベルリン憲章は、以後の世界の自治体の開発政策に大きな影響を与え、国際的な運動となっていった。地域の市民によるグループ、地域の代表機関である自治体、そして地域に根付きつつ国際的な開発協力に取り組んでいるNGOが、開発途上国の人々・地域と対等なパートナーシップのもとに協力・連帯して取り組んでいく開発協力運動となった。
このベルリン会議の成果を分析した『Towards a Global
Village』(マイケル・シューマン著、1994年、注3)は、「グローバル・ビレッジ」という言葉と共に、当時国際的なベストセラーとなり、地域の国際協力の基本的文献となった。
地方自治体を開発協力に導くことになったこの「T&D」という組織は、85年のケルン会議後に正式にできた組織であるが、この結成にはオランダが有力な一翼を担ってきた。 オランダ国内のNGOや自治体の開発協力を支援し、開発教育活動を行ってきた中心的機関として、NCO(全国開発教育委員会)である。
NCOはすでに80年には自治体の開発協力への取り組みを促進するための活動を本格的に開始しており、自治体への啓蒙運動を行ってきた。
上述のケルン会議もこのオランダのNCOが中核となって国際会議を開催したものである。ケルン会議以降、88年にはニカラグア(ラテンアメリカ)と連帯している欧州
150の地方自治体がアムステルダムに集まって米ソに対し中米への軍事不介入について訴える会議を開催したり、90年にはジンバブエ(南部アフリカ)のブラワヨで「開発のための提携に関する国際会議」が開催され、南北提携によって市民参加システムを構築していくことの意義が強調された。
さらに91年には、チェコのプラハで東西の自治体の協力関係についての会議が開催され、同年インドのセバグラムでも地域の開発協力会議が開催されるなど、各地で自治体の開発協力への取り組みに関する会議が開催されるようになっていった。そして、こうした経験と交流を踏まえて、1992年に、コロンブスのアメリカ
"発見"500年の年に、ベルリンで南北東西の自治体が一堂に会し、新しい理念を確認しあったのである。
92年には、ブラジルのリオデジャイロで地球サミット(環境と開発国連会議)が開催され、「アジェンダ21」を採択した。その中の「ローカル・アジェンダ21」が、その後の自治体の環境問題への取り組みに大きな影響を与えた。
自治体の開発協力理念として、CDIが定着するようになったが、95年9月3日から7日の5日間、オランダのハーグでIULA(国際地方自治体連合)の第32回世界大会が開催され、そこで新しい自治体の国際協力のコンセプトとして「自治体の国際協力」(MIC/Municipal
International Cooperation)が提示された。この会議には100
を越える国々から1500人以上が参加した(筆者も参加)。この会議を通じて、地方自治体の開発(国際)協力は、やっと本格的に国際的に認知されるようになったと言っていいであろう。
(2)オランダの自治体の取り組み
参考までに、この世界の自治体の開発協力への取り組みを先導してきた、オランダにおける自治体の開発協力への取り組みの歴史を書いておこう。
オランダは自治体による開発協力への取り組みの中核となる組織が1970年に設立されたNCO(全国開発教育委員会)であり、その中心人物が同委員会委員長(当時)のファン・トンヘレン氏であった。彼はNCOの代表として、80年代にオランダの自治体の開発協力への取り組みを推進し、かつ世界の自治体の運動へと展開した。
オランダの地方自治体の開発協力への取り組みの経過を次のようなものであった。 1969年、国連の第2回開発協力会議の決議
(国連開発の10年決議)
には、「政府は国際協力への情報・教育を促進する活動を行うべき」という政府への諮問が含まれていた。この決議を踏まえた組織として、オランダ政府はNCOを設立した。オランダはこの国連決議の諮問に最初に忠実に従った国となった。NCOの設立が自治体の開発協力への参加を、オランダでとくに進展させ、世界に波及させていく役割を担うことになった。
オランダではすでに60年代後半頃から自治体による開発協力のケースが見られたが、1972年まで地方自治体が開発協力に関わることを政府は公式には禁止してきた。しかし、議会は72年に次の二つの条件をつけて地方自治体の開発協力への参加を許可した。 1)
地域社会住民が直接的に参加するものであること。 2) 国の外交政策に干渉しないこと。
さらに政府は1976年に法律を改正し、公式に自治体の開発協力への参入を認め、その際再度上記の@の条件である「開発協力には地方自治体の住民からの具体的アクションがともなうべきものであること」を求めた。つまりオランダの自治体の開発協力のカギはコミュニティ参加(CDI)にあると、この時定義されたのである。
以後これを受けて、1970年代にはすでに多くのオランダの地方自治体は開発協力活動を始めていた。プログラム・リンク、地方の民間イニシアチブへの財政支援、姉妹都市、第三世界フレンドリー製品の購入(フェアトレード)や情報提供活動等々である。 またオランダの各自治体は政府方針に従い、注意深く地域NGO
を支援するかたちで国際的な開発協力に取り組んできたが、しかしもう一つの条件である政府の外交政策との関係に対しては、ニカラグア連帯運動などにみられるように、時には意識的にロビー活動やアピール等の採択によって実質的に政治的影響力を発揮してきたこともある。
NCOが自治体の開発協力への取り組みを促進する活動を本格的に始めたのは1980年であった。当初は、オランダの地方自治体の連合体であるVNG(オランダ地方自治体協会)
は関心を持っていなかった。自治体が開発協力に取り組むに至る典型的ケースとしては、アムステルダム市とニカラグアのマナグア市の提携のように、地域のNGO
が市役所へ書類を提出し、市役所がそれを取り上げ、市議会が採択し、市長がイニシアチブをとるという形で波及していく形態が中心であった。
1985年にNCOとVNGが共催で自治体の開発協力に関する全国会議を開催した。これには
400人の参加者と30の市長が参加、大成功を収めた。この会議後、VNGは手さぐりながら自治体の開発協力問題に取り組みを始め、87年に臨時の開発協力担当者の設置、自治体の開発協力問題に関する本の発行、年次総会での開発協力問題の討議、関係機関との定期協議の開催等を行い、80年末にこれまでの活動を評価し、開発協力をVNGの正式業務とすることを決定、フルタイム職員の設定、開発協力プロジェクトの導入などを行っていった。
以後はVNGも自治体の開発協力への取り組みを重要活動として展開するようになり、現在ではオランダでは3分の2以上の自治体が開発協力に関わるに至っている。しかし、こうした急速な拡大は、オランダでも90年代に入ってからのことである。 |