(8)改憲の次に来るもの?
イラク戦争の不正義については、開戦前からサイードが「民主主義の破綻」という結果を予言していた(註2)。サイードの慧眼には驚かされる。小泉内閣はこのイラク戦争を無条件に支持し、自衛隊のイラク派遣を決定した。今度は早々と多国籍軍への参加を表明し、自衛隊が直接的・間接的に「戦闘」に加わる道を切り開いた。自衛隊は人道支援を目的に派遣されたはずだが、実際にはイラク・クエート間で米兵の輸送や武器・弾薬の補給を手伝っている。自衛隊は既にアメリカの戦争に荷担してしまっている。さらに戦争状態にあるイラクで米軍指揮下の多国籍軍に加わればどういう事態が起こりうるのか?
戦後初の「日本兵」の戦死者が出るのも時間の問題だ。小泉内閣は戦死者が出るのを待っているのだろうか? 弾が飛んできても応戦できず、他国の軍隊に守ってもらわなければならない軍隊。平和憲法を足かせのように引きずる普通でない軍隊。小泉内閣は、戦死者が出た時、「自衛隊は普通の軍隊になるべきだ」「交戦権を持つべきだ」と主張するだろう。平和憲法の矛盾を一気に清算する方向で国論を操作しようとしてくるだろう。一部の保守系メディアの力を借りて憲法改正に持ち込もうとするだろう。その時、戦後初の戦死者は小泉内閣にとって改憲のための捨て石になるに違いない。
自衛隊のイラク派遣は確実に改憲への道を加速させている。恐らく、近々、日本は平和主義の衣を脱ぎ捨てることになる。平和憲法が60歳の還暦を迎えることはできそうにない。この戦後最大の方向転換は何を意味するのか? 対米追随主義からの脱却なのか? 北朝鮮の脅威という東アジア安全保障のイニシアチブをとることが狙いなのか? (特に北朝鮮問題には拉致事件が微妙に影を落としている。感傷論と感情論が入り乱れ、保守派政治家やメディアが好戦的な論調を生み出している。それが改憲への道をさらに加速している)。
昨年12月のル・モンド紙の記事(註3)は傾聴に値する。「紛争解決の手段として武力行使を禁止している日本の憲法が、自立に向けたすべての野心の拘束衣になっている。アメリカから脱却するために、日本は憲法という閂(かんぬき)を取り除くことが避けて通れない道のりだ」と分析。そして「イラク派兵には多くの疑問があるが、それについて日本政府は一切語ろうとしない」と結論づけている。日本外交の方向転換は中国との武力衝突に向かわせるかも知れない。少なくとも、東アジアに不必要な緊張を生み出すのは間違いないだろう。韓国も北朝鮮も本音の部分では日本という国家を信用しているとは思えないからだ。
小泉内閣は多国籍軍参加について国会で議論しようとさえしなかった。イラク特措法の改正も検討しなかった。日本の国民と民主主義がかつてないほど愚弄され始めている。日本の市民社会はそれに気づこうともしない。日本の市民社会にとってイラク戦争も多国籍軍参加も改憲も自分たちに直接関係のない問題なのだ。この無責任さが日本の市民社会の未成熟ぶりを象徴しているように思えてならない。何故、国の将来を決定付ける政策転換について真剣に論議しようとしないのか? 何故、民主主義の手続きを踏みにじる政府に怒りを感じないのか? 今、市民社会そのものの在り方が問われている。
(註1)ル・モンド紙の社説「イラクについての嘘」(4日付)は、ブッシュ氏のイラク開戦を断罪し、「その結果としてアメリカは信用されなくなり、イスラム世界で前例がないほどの憎しみがうねりとなってわき上がっている」と指摘している。
(註2)「ブッシュ政権が戦争に向かって一方的に、容赦なく突き進んでいるのはさまざまな理由から深く憂慮すべきことである。だが、ことアメリカ市民に関する限り、このグロテスクな見せ物は民主主義のとんでもない破綻を意味している。おそろしく裕福で強力な共和国が、ほんのひと握りの人間たちの秘密結社によってハイジャックされ、あっさりと転覆されてしまったのだ。この戦争は近代史上もっとも不評なものといっても過言ではない」(EWサイード「裏切られた民主主義――戦争とプロパガンダ4」みすず書房) (註3)2003年12月18日付ル・モンド紙「イラク派兵の隠された意図」
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