3.第1回例会「夜咄の茶事」報告
日 時 |
2003年6月27日 17:00〜18:00講演 18:00〜茶事 |
会 場 |
京都市大原の里 古知谷 老松所有茶室「無心庵」 |
参加者 |
亭主・講師:有職菓子調進「老松」店主 太田達(理事) 半東・運び:京漆器「象彦」副社長 西村毅(代表理事) 釜師:大西清右衛門(会員)
東京大学大学院学生 濱崎加奈子 客:住まいの工房 松井薫(会員)ほか計9名 |
懐石料理 |
柿傳 | (1)「夜咄の茶事」とは 茶事には「朝茶事」「正午の茶事」「暁の茶事」「夜咄の茶事」等七式ある。茶事は一服の茶を楽しむために茶、菓子、料理、道具などを総動員して客をもてなす茶のもっとも完成されたかたちで、「夜咄の茶事」は席入りから初炭―懐石―菓子―中立−濃茶―続き薄茶―止め炭の順に進行する。「夜咄の茶事」は日没から蝋燭の灯りのみで行う幽玄な茶事で、日が短く夜に虫などがでない冬場に行うのが常であるが、今回は蛍の舞う大原の草庵で幽玄の世界を味わうこととした。
(2)進行 席入り 午後6時過ぎ、小雨の中、露地下駄を履き路地笠を持って客は腰掛待合へ向かった。路地行灯が路地を照らす中、亭主は手燭を持って迎えに出、手燭を交換すると一同総礼。客はそれぞれ蹲居(つくばい)で手、口を清め躙口(にじりぐち)から席入りした。席は膳燭のみの明かりで薄暗いが、床には毛利元就の消息がかけられており、床、道具を拝見して席についた。 前茶 亭主は「幸い湯もたぎっておりますゆえまずは一服」と前茶を点てた。 初炭 亭主は炭と道具を仕組んだ炭斗(すみとり)を持ち出し、茶を点てるときにもっとも火、湯の状態がよくなるよう炭をついでいった。 懐石 まず折敷(おしき:膳のこと)に飯椀(飯は三角形に似た形に飯を掬った一文字と呼ばれる盛り方がなされている)、汁椀、向付がのせられ、客に渡される。食べ終わるころ亭主は燗鍋と盃を持ち出し、一献すすめる。続いて焼き物、進肴(しいざかな:酒が進む食材で酒を強いるところからこう呼ばれる)が出され、二献目の酒、飯、汁が出る。 次に亭主は八寸(木地の盆)に海のものと山のものを盛り、燗鍋とともに持ち出す。正客に一献すすめ正客に八寸のものを盛り付け、正客が飲み終えると「お流れを」と一献請う。亭主の盃を借り、そこに次客が酒を注ぐ。その盃で次客に酒をすすめ、正客と同じように「お流れを」と一献請う。これを全ての客と交わしていくのが千鳥の盃である。あいにく亭主の太田氏は酒が飲めず、手伝いの西村、大西が半分ずつ担当してお酒をいただいた。 煮物、箸洗いなどすべての料理が終わり、客が揃って折敷に箸を落とすと亭主は折敷を引く。 菓子 折敷が引かれると亭主は菓子の入った縁高(ふちだか)を持ち出し客にすすめる。 中立 客は菓子をいただくと再び拝見をして躙口から腰掛待合に戻る。亭主は席中をあらため、後座の準備ができたところで喚鐘を5回鳴らせ合図する。客は踏石の上にしゃがみ、心を静めてその音を聞き、鳴り終わると順に蹲居で手・口を清め席入りする。 後座 濃茶 手燭の灯りひとつで亭主は濃茶を練り、客にだす。客は一椀を5人で分け合っていただく。 続き薄茶 濃茶がすむと、亭主は干菓子を持ち出し、次に薄茶を点てる。 止め炭 亭主が止め炭をすると釜の煮えがつくのを待って客は席を出る。 以上で茶事は終了した。
(3)道具 亭主の太田氏はいろいろな道具を取り合わせている。毛利元就の書、高取焼の茶入、永楽和全・大樋長左衛門・安南焼の茶碗などにあわせ、ネパールの僧から譲り受けた托鉢の鉢を建水に使ったり、ミャンマー・アカ族の壺を煙草盆の火入れに使うという太田氏らしい見立ても味わった。
(4)講演内容(抜粋) 「茶」 茶は中国から薬として日本に入ってきた。栄西が持ち帰ったこともあり、禅院での茶礼から栂尾でとれる茶が最もよい茶とされていたのでその茶を飲み当てるゲームである闘茶、能阿弥の書院茶、村田珠光の草庵茶といった変遷をしていくが、室町時代の北山サロンまでは唐物信奉が強く、舶来ものは最高であるという扱いがされてきた。それが東山サロンの時代に銀閣寺に日本初めての四畳半ができ、床飾りの香、花、茶が後に香道、華道、茶道になっていく。千利休、今井宗久、津田宗及の時代を経て、唐物に似せた国産の道具から日本独自の道具が用いられるようになり、江戸時代になって現在の茶道の形ができていく。つまり茶は日本独自のものというより外国のものと日本の文化の習合である。今回茶事を行ったのもその意味を理解いただきたいという意図があった。 「外来の菓子」 中国の宋・元の時代は食では点心(空腹に点をうつという意味)の時代。その中心は羹と麺と饅頭。饅頭は蜀の諸葛孔明が考え出した肉マン。捕虜の首の代わりに肉マンを神に捧げ、そのお下がりを捕虜に食べさせたらおおいに喜んだという。それが日本に入ると小麦粉の皮が小麦粉のない日本では米粉の皮になり、もともとあまり肉食でない日本人は肉を小豆に代えて今の饅頭になった。「ういろう」もモンゴルからきている。「ういろう」はモンゴルでは官位の名前である。金平糖はポルトガル語のコンフェイト、カステイラも入ってくる。今日菓子は日本の伝統産業に思えるが、外来のものと日本のものの習合したものは大変多い。 「京菓子」 京都は朝廷があったため、その儀礼に使う菓子がつくられている。寺社仏閣が大変多く、本山など宗教的に中心的な役割を果たしている寺社も多いことから、その儀礼に使う菓子もつくられている。また茶道の中心として茶席の菓子がつくられている土地である。京都府下に七千軒の菓子屋があるのもそうした理由による。 特に茶席の菓子はその場でつくるのが基本で、山の色を見て菓子の色を決めたり、客の好みを考えて味わいを変えたり、気候で配合を変えたりするのは、その場で行う。 また京菓子は五感で味わう。特に耳で味わうのは重要で、たとえば紫のこなしに黄色のこなしを少しのせ、絹で絞り三つ指で押さえた菓子の銘を「唐衣」と呼ぶ。伊勢物語九段の八橋のところにでてくる歌で「からごろも きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる たびをしぞおもう」に歌いこまれた頭の文字「か・き・つ・は・た」から杜若を連想させる。
(5)後記 講演では一時間にわたりさまざまな分野における「アジアの中の京都」について解説があったが、限られたスペースでの報告のため十分に内容がお伝えできないことをお詫びしたい。
(6)参加者からの一言 松井董(正客としての参加) あいにく雨の中の席入りとなりましたが、これもまた風情。中は暗く、「闇鍋」状態だと思っていましたが、慣れてくるとけっこうよく見えるもので、一安心。和ロウソクの光のかもしだす濃密な世界に遊ばせていただきました。
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