――正当な言論空間 国内的に人質事件が示したものは、政府・与党と保守系マスコミの国家主義への傾斜であり、同時にNGOの持つ非政府性・非国家性に対する感情的な反発とむき出しの敵意だった。やっとNGOが政府の政策に影響を与えうるファクターであることが認識されたということだ。NGOの活動が様々な議論の場(?)で語られ、非難されたということは、その存在価値が政府やマスコミにきちんと認められたということでもある。 もっとも「自己責任」という使い方に疑問の残る言葉が、相手を非難するレッテルとしてまかり通る言論状況には危機感を抱かざるを得ない。「自己責任」という言葉は広辞苑には載っていない。一般に使われる言葉ではないということだ。ただ法律用語事典には「自己責任の原則」という言葉が載っている。自己の行為についてだけ責任を負うという近代法上の原則だ。古代や中世には家長が家族や支配下にある者の行為について責任を負わされることがあった。これに対して近代法は自己責任の原則を確立した。故意、過失がある場合のみ賠償責任を負うとする「過失責任の原則」と同じことで、個人の自由な活動を保障する原則として理解されている。それがNGOやジャーナリストの「公的」に価値ある行為を「軽率だ」「無謀だ」と非難するための用語として使われた。同時に国の責任を回避し、自衛隊派遣の是非を問う本来あるべき論議を隠蔽する役割を果たした。みんなが当たり前だと思っている言葉に限って、イデオロギーやプロパガンダとして機能したり、市民をマインドコントロールする道具になる危険性をはらんでいる。正当な言論空間をつくり出すためにも、概念の不明確な上滑りした言葉を、安易に使うことの危険性を、サイードは次のように指摘している。 「今日、大概のアラブや西洋の知識人が陥る大きな誤りの一つは、世俗主義や民主主義のような言葉を、議論も厳格な吟味もないまま、分かり切ったことのように受け入れていることである」「わたしたちは『民主主義』『リベラリズム』というような少数のずさんな言葉や、『テロリズム』『後進性』『急進主義』といった検証されていない言葉を、懐疑論もないまま議論の用語にするのではなく、もっと正確できつい議論を要求する必要がある。その用語は数多くの視点で定義され、いつも具体的で歴史的な背景に位置づけられているべきである」(03年8月21−27日アル・アフラム・ウィークリー誌「夢想と妄想」註)。
註)サイードはこの記事の中で、ウォルフォウィッツやチェイニーといったブッシュ政権の保守派がイラク戦争を進めた背景には、「イラク戦争と戦後処理を60日から90日で簡単に済ませ、自分たちの言うことを聞く民主的なイラクをつくる」という「妄想」があったと書いている。サイードは「言語や現実が、アメリカの力やいわゆる『西洋の視点』の所有物であるかのように言い立てる観念的なデマゴギーを容認するのはやめよう。事態の核心はもちろん帝国主義であり、正義と進歩の名においてサダムのような邪悪な人物を世界から取り除くという、自分勝手な使命感である」と指摘している。
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