2 )自主事業(独自事業)
NPO法人を設立する時に、現状の介護に対する課題や疑問を話しながら、「こんなことしたいね」「あんなことしたいね」と沢山話をしていました。
前述しましたが、介護保険の事業だけであれば、民間の事業者に託せば良いことです。
NPO法人が介護系の事業者になるならば、どの事業にその法人の特色を演出するかが大切なのです。地域特性とか法人特性を理解して、独自事業をどのように展開していくかが法人の活路となります。
Bわたぼうし宅老(参加する人が対等の関係性を築きながら実施)
主にボランティア育成を目的として、毎月第2土曜日に参加する人もボランティアも対等の関係で1日を過ごしています。身体麻痺のある人や認知症の人等に対し、通常の介護サービスとは違う特色を出しながら、ボランティアに参加する人も楽しんでいただいています。
「宅老」に参加する市立高等看護学校の生徒は、高校を卒業したばかりの1年生のため看護の勉強も講義だけです。ボランティアをしたことの無い人や、大勢の人前で話すのが苦手な人、認知症の言葉の不自由な人と初めて対面する看護学生もおります。
最初は緊張していますが、時間が経過していくと、だんだん慣れ親しむ感じが伺えます。特に男性の利用者さんは、若い看護婦さんの卵には興味を持ち、傍に学生さんが来るだけで、嬉しくなる人や一緒に何か作成する時などは、手が触るだけで元気が出てくると話しています。スタッフ全員がボランティアとして参加しており、小規模な場所だからこそ、立場を越えて気持ちが一つになることがあるようです。
C「コミレス」地域食堂 ( 集い・語らい・笑い)
コミュニティ・レストラン の存在は世古さんからの紹介で「でめてる」を通じて知っておりましたが、その時は主に女性の就業や経済的な自立の手段として捉えていました。そのコミレスが「わたぼうしの家」に馴染むだろうかと考えた時、そのまま釧路に展開しても無理だろうと感じ たのです。
この法人は高齢者の生活を中心として事業を組み立てていますので当面は無理だろうと判断しました。
私たちの法人は、この地域に縁があって設立したわけではなく、ふくしま医院の1階が空き家になる情報を得て、福島先生が地域のために役立てたいとの思いを同じにして、この場所を拠点として活動しました。
ですから、この地域にはどのような人が住んでいるのだろう?どんな独居高齢者の人が生活しているのだろうかに非常に興味がありました。そして独居の高齢者は生活に不安はないだろうかとの思いで、各家庭を訪問することにしまた。名づけて「お隣さん声かけ訪問」を実施したのですが、2時間の予定で訪問すると、最長で4時間も話す人もありました。この時、高齢者は「人と会話することに飢えている」と感じたことです。
考えてみれば、自ら外出しなければ、自宅にいて会話するのは、郵便、新聞、ヤクルト等の配達する人程度です。
その後、事務局会議で出された意見で、独居高齢者の地域交流を目的とした「地域食事会」を毎月土曜日に 1 回行うことに決まりました。午前中はゲームや手芸で楽しみ、昼食は米1合と300円を持ち寄り、全員で料理して食べることを考えたのです。
そこから見えてきたことは、いつも一人での個食は寂しいけれど、沢山の人でわいわいガヤガヤと食べると、とても楽しくて美味しいことでした。
その時点では、「地域食堂」の企画は生まれていませんでしたが、 2 年間「地域食事会」を続けていた時、わたぼうしの家に同居している、任意団体が、新年度から月曜日の事業を中止するとの情報が入りました。
その時とほぼ同時期の平成 15 年10月に北海道コミレス研究会主催のコミュニティ・レストランの講演会があり、自分のモチベーションを高めることと、気持ちの最終確認として世古さんの講座を受講しました。そして、開設を決断したのです。平成15 年 11月に法人の事務局会議でコミュニティ・レストランの企画を提案しました。目的は 「集う」こととし、「語らい・笑い」を演出する。
道具として「食事」を提供し、高齢者の外出を高めることとしました。
中心となるシェフには、近所の下山洋子さんに狙いを付け、猛然とアタックしました。彼女はパン作りが大好きで料理も得意。一時わたぼうしの家のスタッフとして参加しており、家庭の都合により休んでいたのですが、今回の件は快諾してくれました。
料金は300円としメニューは定食のみとする、作業のボランティアは「地域食事会」に参加している高齢者に提案するが、班分けをして毎月 1 回の参加にすることを提案するので多分大丈夫と安心してもらいました。
平成16 年1月に「地域食事会」の事業の時に、集まっていた地域の高齢者の方に、 コミュニティ・レストランの企画を話しました。
すると、「過去に一度も働いたことがないから」「私達にウェートレスが出来るだろうか」との心配な声が聞こえてきました。
その時は、噛み砕くように「料理も定食一品なので配膳の作業は単純です。いつも、皆さんがわたぼうしの家で作業しているそのままでいいのです」「ボランティアとしての参加です。体調や都合が悪い時は休んでください。無理をすると長続きしません。楽しんで参加することが大切です」
その時に、ネーミングの話をしました。カタカナで表示したいけど、いかがですか?と聞くと、「私達横文字は理解できないし、友達に説明しづらいから、日本語でいいんじゃない」とはっきり言われ、菅原ヨシ子さんから「地域食堂」が良いと提案されました。他の参加者も同意し、 ネーミングは一瞬のうちに 「地域食堂」に決まりました。自分達が自らの意見で決め、自信をもって人に紹介できる名前が最高なのです。
その後、付近の町内会にチラシを持って周り、説明をしたり新聞社や TV 局にも取材依頼しました。
3月30日に練習ということでプレ・オープンしました。ボランティアさん達に作業のイメージを持ってもらうことが目的です。メニューは作業の簡単なカレーライスとしました。お客さんは40人程度でしたが、とにかく雰囲気を体験し、この程度の作業なら自分達でもできることを感覚で理解してもらうことでした。
翌日の新聞には「地域食堂が4月6日オープン」に記事が載り、開設初日のお客さんは50人程です。
その後、新聞、雑誌、 TV 局の取材も相次ぎ、視察も社会福祉協議会、行政、議会、福祉施設、 NPO 法人等のさまざまなジャンルの団体が来ております。
遠方では四国の室戸市から8人来た事例もあります。
視察に来る人から「地域食堂は食べるところですか」との問いがありますが、答える時は「集い・語らい・食べる」ですと言います。
とにかく「高齢者に食堂に来ていただき、食べながら時間を過すと、必然的に話すようになるのです」
なるべくお客さんを名前で呼ぶようにしていることと、相席もお願いしています。すると、なじみのお客さんとの意識が芽生えますし、相席だと顔はおぼろげに知っていたけど、名前が分かれば会話が自然と進みます。必然的に食堂に足を運ぶようになります。スナックとかで一度しか行ったことないのに自分の名前を呼ばれたら嬉しいと思います。それは、自分がこの店の馴染みの客とか、常連さんと思わせるからです。名前で呼ばれることが「歓迎」と「存在」を認めているのです。
300円は最低限の場所の確保料金です。町内会等で高齢者の福祉事業として、無料で食事を提供することがあると思いますが、招待される人はどのような気持ちで参加しているのかと考えたことがあります。本当に生活が苦しいなら仕方のない部分もありますが、普通は食事をするのに代金は支払います。すると、無料で食事することは今の高齢者には「ほどこし」と受け取ると感じる可能性もあります。ですから 300 円料金を支払うことは、居場所を主張することになります。原油価格や穀物類の高騰が続いていますが、出来るかぎり 300 円の価格を維持したいと思います。
「地域食堂で元気になれるか」と聞かれれば、外出する時に女性であれば、多少なりにお化粧したり、それなりにいい服を選んできます。すると当然「あら〜素敵な服だね」「お洒落な色合いだね」とか話がはずみます。
何も予定がなければ、服装も化粧も気にしないこともあります。しかし、食堂に来る日は、朝から気合が入り、目覚めも違います。このことは、はっきり目的意識を持つことにより、心も体も健康になっていくということです。何気なくしていると気が付きませんが、たとえ高齢者でも「生かされる人」と「生きている人」では違い、「生きている人」は生活に張りができ健康も格段の差がつきます。まさに「心の介護予防」なのです。
病は気からという事象がありました。ボランティアスタッフの 池田 さんが体の調子が悪く入院することがありました。お見舞いにはいけなかったのですが、退院後に本人が言っていたことは「食堂に手伝いに行かないとならないから病院のベットで寝ていられない」。何気ない言葉ですが、地域の一員であること、社会で存在を認めていることを確信していることの何物でもありません。
最近の特色として、子供を連れたお母さんたちが沢山来ることです。多い時で6組程でしょうか。普通のレストランでは気を使うことが多いけど、この食堂では気にしなくて良いし、廊下を子供が走っても誰も怒ることがないのです。
それどころか、年配の人が子供の面倒をみてくれたりするので大変助かります。法人は、特に仕掛けることもしていないのですが、お客さん同士の交流が自然に始まり、双方が関わり持つことに好感を持っている様子を感じます。当初はこの様な想定をしておらず、副産物的な要素で生まれました。高齢者も気軽に来ることができる食堂は、実はお母さんたちも気軽に来ることができる食堂になることを教えていただきました。しかし、特別にお母さん達に「子育て」を強要することなく、自然発生的に声が出てくれば、その時に法人として考えることとしております。押し売りはせず、欲しいときに欲しいものを提供することに徹します。
D高齢者生き活き「グループリビング」(介護予防を目的とした現代版の長屋)
グループホーム「さんぽみち」が開設する平成 15年2月、内覧会に来た高齢者が建物の内部を見てくつろいでいました。
「私もこんなホームに入りたいな〜。でも認知症でないから無理かな」
この言葉が、しばらく脳裏を離れませんでした。
老後のことを考えると、独居高齢者はやはり寂しいことが改めて理解できたのです。
その後、わたぼうしの家近所の銭湯から何か共同で事業を始めませんかと提案され、高齢者の共同住宅と銭湯の組み合わせで建築できないだろうかと検討しました。ただ、 NPO 法人と民間事業者とが共同で財産を所有することは煩雑になることが予想されたのでこの計画は頓挫しました。
平成17年9月中旬にグループホームの時から交流がある隼田先生から連絡がありました。
「以前、工藤さんたちが企画していた建物に類似した助成があります。日本自転車振興会のホームページに書いてあるらしいです。」
高齢者の自立と共存を目的としたグループリビングはまさに、高齢者が「さんぽみち」でつぶやいた計画と同じでした。
補助要綱を読むと「健康な高齢者が介護保険や医療保険をなるべく使用しないで、地域で生き活きと暮らすことが出来る共同住宅」と記載がありました。
入居した高齢者が共同住宅で仲間を支えながら生活を営む内容です。
要綱を何度も何度も読み込み、法人の理事に電話して説明し、次回の事務局会議に提案することを話したのです。補助要望書は、9月30日札幌の社会福祉協議会必着なので、実質2週間で書類をまとめる作業です。市役所に勤務しながらの作業なので、平日の夜は手配や段取りに時間を費やしました。幸い9月に3連休が2回あったために、煩雑な書類作成は6日間に集中しました。土地探しと資金計画と平面計画は時間がかかる作業です。普通なら60日位かかる作業かも知れませんが、とにかく時間がないので、すべて平行作業で同時進行です。土地探しは「わたぼうしの家」の付近を中心に探した結果、法人のメインバンクの照会で歩いて2分の所に物件があったのです。
取り合えず仮押さえして、「さんぽみち」を詳細設計した設計事務所に平面計画を依頼しました。居室は16 uで9室、居間、食堂、厨房、共同風呂、共同トイレ、共同玄関、交流室、事務室そして、2階建てとする。機能から建築面積を計算して、建築単価から建築物の概算を算出したのです。資金計画は自転車振興会の補助基準から割り出して 15,000千円を金利2.75%で10年で返済する計画を作成しました。
事務局会議は簡単に通りましたが、理事会は意見が噴出しました。法人の定款32条の理事会の権能に「短期借入金その他新たな義務の負担及び権利の放棄」があるため承認を求めたのですが、主婦の立場で参加している2殻名が異論を唱え、負債を抱えることに難色を示しました。「100 %安全な計画はないし、法人の負債を主人に求めることは出来ない」もっともなことです。同等の計画を自費で検討したらこの数倍の負債を負うことになりますが、 15,000千円程度の負債ならと簡単に考えたことも正直な気持ちです。 2時間程度かけ議論しましたが結論が出ませんでしたので、多数決になりました。理事の進退を賭けての多数決なので慎重な判断になり、反対が2名おりました。
法人設立当初は任意団体程度の資金計画でしたが、さんぽみちで42,000千円、グループリビングで自転車振興会から 65,000千円の補助金、家計簿程度の金銭感覚では無理なことかもしれませんね。その理事は年度内に辞任届けがありましたが、財政計画が無難になればきっとこの2人は戻ってきてくれると信じ、受け取りました。谷あり山ありでしたが、9月末日までに補助申請書類を提出することができました。
2ヶ月後、東京の日本自転車振興会から連絡があり、申請した書類の聞き取り調査がありました。振興会の理事には地域食堂のビデオを見ていただき、
難しい話は一切しないで地域づくりの説明をしたのです。すると「振興会が求めているイメージと似ている部分が相当ありますね」と講評をいただき、心の中でガッツポーズをしました。苦労して書類を作成したかいがあったことと、「わたぼうしの家」の実践していることが評価された証でもありました。
平成18年4月東京での補助通達式で通知をいただき事業の開始です。
事務手続き等は事務局がするにしても、何かまた市民を巻き込んだ仕掛けをすることとあり、グループリビング運営委員も募集したのです。建物の平面計画と運営について意見をいただこうとの思いです。新聞紙上で募集すると13人が集まりました。4回程の学習会から「料理を作る人を専門に雇うこと」を提案してもらいました。名称を募集したところ「ほがら館」という素敵な名前をプレゼントしてもらいました。
この高齢者生き活きグループリビング「ほがら館」は 、自立した高齢者の生活の場とし、支え合いながら共同で生活することを目的とした住宅で、人や家族に依存することなく 自立した高齢者になっていただくことであり、介護を目的とした施設ではありません。健康で自立した高齢者が増えれば、被保険者である自治体の保険料は安くなるのです。これからの財政が厳しくなる自治体政策には試金石となるでしょう。
核家族化した時代、隣近状の付き合いは疎遠になりつつあります。しかしこのグループリビングは「現代版の長屋生活」を演出します。
江戸の小噺で出てくるような「大家さん」「熊さん」「はっつさん」の雰囲気が生まれることを願っています。まぁ、人生70年以上も生きてきた人だと、いきなり隣付き合いはできずに、 2〜3年かかるかも知れません。
介護保険系のNPO法人の悩みは、介護報酬が変わると経営内容がそれに準じて変わることです。首都圏では民間の介護保険事業所は軒並み赤字経営と人材難に陥っています。 NPO法人わたぼうしの家はグループホームの建設資金を補助金で充当しているため、経営は安定しています。しかし、介護報酬単価が直に経営を不安定化させることは何とか避ける対応を組まなければならないのです。グループリビングほがら館は介護保険事業には該当しない「自主事業」なのです。潤沢な資金として9人分の家賃として年間に5,400千円の自主財源が生まれます。これは非常に大事なキーワードであり、法人全体の経営の安定化を図ることになります。
総事業費は1億1,000千円、建設費の84,000千円に自転車振興会が65,000千円の補助金を出してくれます。その他に土地代金が15,000千円です。
平成18年8月起工式をしました。土曜日の暑い日です。当日は「わたぼうし宅老」の日と重複したので、参加者全員で起工式に参加しました。
従来の起工式は黒いスーツ姿の人が大勢しめますが、今回は様相が全く違いました。発注側はジーパン、 T シャツ、運動靴。その中には認知症の人もいれば、車椅子で参加する人もいました。それでも、神主さんが式典を始めると、それぞれ緊張しながら固唾をのんでいました。時々、参加者からユニークは声が発せられていましたが、とても心温まる起工式でした。
11月に千葉県の「グループハウスさくら」の小川志津子さんに来ていただき、「高齢者の老いの住み方」を講演していただきました。100人以上の参加者が新しい高齢者の住み方を熱心に聞いていました。
平成19年1月に工事は完成し、2月から入居開始しましたが、当初は 3 人しか入居せず、法人でも困惑しました。
2月に神奈川県湘南の COCO 湘南の西條節子さんにも来ていただき、「老いの生活」について講演していただきました。
見学会を開催すると参加する人は多いのですが、みなさん異口同音に「この建物で、入居預金200万円(退去時全額返還)で毎月14万円は格安ですね」「建物は素晴らしいし、運営方針は理解できるけど、わたしにはまだ早い」
この言葉から、今の高齢者のイメージしている施設は、完全看護の老人ホームであり、「自立と共生を目的としたホーム」のイメージは心の中で整理できない部分が相当多いと感じたのです。
法人の考えている「老いる前の健康な時から共同生活をして、健康に老いる生活をしませんか」との思いと、完全にミスマッチしていることが理解できました。 法人の考えている「進歩的な高齢者」が釧路には数少なく、入居に関しては苦戦が続きました。しかし、口コミ等で見学に来るもおり、平成20年8月現在で8人の入居者が生活しております。
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