新しい仕事観とは
I 世古さんの本の中で、仕事観のところが非常に影響を受けた。その新しい仕事観を現実化する方法は何だろうか。
世古 仕事とは、給料もらうことと、とらえてきたのではないか。給料もらわなければ余暇か、それではボランタリーは仕事ではないのか。ほんとにそうだろうか。給料=仕事という、そのような考え方は、つい最近の近代の考え方ではないか。有償の仕事もあれば無償の仕事もある。活動というのは 自分の自由時間のデザインすることではないか。
I この従来の仕事概念でいくと、公務員や主婦しか活動するのはいないのではないか ということになっていく。どうやってこの新しい仕組み、仕事観を作っていくのか。
世古 みんながパートタイムになっていくという、ワークシェアリングの考え方しかないのではないか。社会の在り方自体を変えていく。そして制度でやっていくしかない。
N 現状を変えられるであろうか。企業論理からいえばそのような活動は余計な負担になる。そう思わせないシステムができるだろうか。
K 企業が新しい価値観を持ち始めたように思う。自分自身今大学院で学び始めるところだが、そのような働き方に企業が理解を示してきたのではないか。
T 自分の時間を、どう設計するかという問題であろう。
世古 労働時間の規制をするほかない。今の労働でも生産性は低いのではないか。労働の現場でのワークシェアリングのほかに、セクターをまたいでシェアリングすることも考えていいのではないか。
行政の現場では
K 行政の中に協働のファシリテーターを置く必要について議論を深めたい。現場の事例をあげてほしい。
F 中野において、協働という言葉は失われつつある。市民公益活動推進の条例や公益活動情報センターのような形は出来上がったが、内実は後退しているような気がする。協働が単に、財政上の理由で民間への委託に形を変えて動いている。民にできることは民に。この言葉で何の検証もなく、民間化が進む現状である。なぜ協働するのか、協働の相手方は誰か、行政の役割についての議論は庁内ではない。働き方そのものについての議論がされない中で、単純に人件費削減のための職員削減が行われるが、その職員のこれから、すなわち行政職員の働き方のモデルは何ら示されない。今日の議論の中で気付いたが、これからの公務員は「あきんど」の働き方が必要なのではないか。私自身は、これからの公務員はコーディネーターの役割が重要になってくると確信している。その際に一番大切なことが「気づき」の問題だと思う。しかし、残念ながら「気づき」というのは、本来持って生まれた能力のような気がして、ほとんど現状変革には絶望的にならざるを得ない。
N 佐野市 の事例。合併後、市民生活課がNPOの担当をしていた。合併を契機に市民活動促進課として幅広く住民を扱う部署を置いた。理念上は横串をさす役割を持っている。市民活動促進条例が制定され、今後職員の研修を行っていくことになる。市民活動を行う団体との関係はまだ見えてきていない。入札制度の改革など、コストダウンの手段になるのかということや、プロポーザルによる競争入札により市民団体にも開放されるが、受ける団体があるのかどうか。中間支援団体やまちづくり団体などがあるのかどうか。まかせられる団体があるのだろうか。仮に横串を通すようなことになっても職員グループがあるのか、首長はどうもあまり熱心には見えない。協働の姿勢はあるが。
H 長岡では昨年4月協働部ができた。協働によるまちづくりをうたった組織はできた。市民センターを預かる立場であり、横串をさせる立場にいる。19万市民から28万市民へ、市が大きくなり、合併地域と一体を持つため部署を越えてものを言える立場にある。市民センターが市民のものとしての拠点として作られた。100人を超える職員を抱えている。仕組みとして横断組織となっている。市民目線で考える環境もある。対立ではなく、横の組織に提案ができるし、出前を行うことにより提案もできる。深く突っ込んで学ばなければならないと感じた。封建的な地域なので、早く市民セクターに移したいと考えている。そのためには市民を育てていかなければならない。
Y 県職員として、 信濃町 へ出向している。5年前から協働が「踊っている」が実態はない。民間企業の出身町長、商工観光部署ではパンフ作成を観光協会へ投げるが、その程度であり、思い付きでの業務執行を行っているのが実情である。スキー場の再生事業を行っているが、県の補助金を使って、町と索道事業者と自治区等の協議会を作り補助金をつかって事業を実施している。ワークショップを行ったが結局補助は取れなかった。協働の一つの形かと思っている。市民の参加には、基本的にはなってなかった。補助金があるからシステムを作らなければならない。県では、ほとんど協働が進んでいない。市町村とは関連があるが、市民セクターとは関係がない。
協働コーディネーターの能力
K 問題解決しなければならないことは、自治体側の問題、市民側の問題、協働の解釈も曲がってきているのではないか。
H 協働コーディネーターのシステムが必要ないのか、考え方が必要ないのか。
T 行政職員が一番分かっていない。グループワークの中で、市民が教育したほうが早いのではないかと感じた。地域の長を活用していくのも方法か。地域情報も知っている人を嘱託職員としていいのではないか。地域から見た行政を実現していく。
Y 地区の長を協議させていくのは、機能しないのでは。
T 同じ仕事をシェアする。公務員の仕事は試験に受かったものでなければできない仕事ではない。あくまでも、意識改革のために外からの人間が必要ではないか。
Y 長野では、田中県政時代に民間を任期付きで採用したが大混乱があった。
T 学校の教員も民間経験を持たせるべきだ。
世古 民間企業における効率性と公務員の効率性の関係はどうあるべきか。コストパフォーマンスをどう考えるかの問題である。
T 行政は、線を引くことをすぐに行う。この人には扶助が行くが、この人はだめという形で、その結果使わなくてもいい税金を使っているのではないか。
H コストだけでは測れない仕事がある。長岡でDV防止活動を行った。市民にとっては有益なことであり、ネットワークつくりの実際を体験した場でもあった。行政ができること、出来ないこと、やるべきこと、区分けが必要なのではないか。
N 文化財の保存など すぐに目に見える効果はないが、しかし必要なものはあるのではないか。あえてやらなければならない仕事もあるのではないか。どうやって市民の理解を得るのかポイント。その問題は解決ができるのではないか。
K 事業や協働の評価の仕組みが必要ではないか。行政評価が必要だと思う。
H 行政の人事配置についても、有効な人間関係をうまく使って仕事を進めている。
Y プロジェクト方式による仕事の進め方が効果的な場合があるだろう。
世古 機構改革の必要性を、どう、まな板に乗せるか。トップダウン以外の方法があるのか。直営だからできている部分もあるだろう。インフォーマルなものをプロセス化していく方法も知っていなければならない。
H 長岡の市民センターは現在公設公営であるが、民営にする議論がある。市民活動センターを民間に任せていく方向で市民協働部では進んでいる。
世古 長岡の場合、直営でやったほうがよいのかとも思う。いずれにしろ、受け皿の民のしっかりした団体を作る必要がある。
H 市民センターの仕事を3分の2を非正規職員で実施している。市役所とは違っている。市民委員会の意見も反映しているから評価は毎日、毎日聞いている。
K 直営だから、意見が反映できているのではないか。
H 行政だけではない。市役所全体がそのようなシステムを持っている。
K 長が変わったらどうなるのか。心配はないのか。
Y 単なる長期計画は、予算を伴わない。実施計画だと予算の裏付けを伴った計画といえる。
世古 長期計画であるからよいというものでもなく、そういった計画の仕組み(長期―実施)を知っている人がいなければならない。行政の中にも、そのような人がいなければならない。ロビー活動も重要なコーディネーターの役割である。NPO法の成立過程においては重要な役割を果たした。法律家のアドバイスも受けつつ、未完成の法律であったので、新たな作り方を行った。唯一、市民団体のロビー活動が成功した例である。マスコミを味方にしたのも成功の一つである。世論を作ることが必要である。新聞マスコミにどのようにアプローチするのか、「風」を作ることが大事である。また経団連を動かしたことも大きい。経済界、行政、マスコミすべてをコーディネートできる能力が必要とされる。
K あらゆる意味で情報発信していくことが必要ではないか。
世古 田中知事の6年間について、総括するべきではないか。民間職員を採用して失敗した実例もあるし、それらが共有されることが重要である。
K 協働コーディネーターの必要性についてはどうか。
世古 制度化・行政改革が必要、効率化の視点での行政改革ではなく、機構改革の視点で行革、首長トップダウンではなく、外部から、人の心中を計り知ることのできる人、責任を持ってやる人、創造性を誘発する人=協働コーディネーターが入る必要があるのではないか。機構改革はシステムとして成功したのか、運用の成功例とするならシステム化していく必要があるのではないか。協働コーディネーターのシステム化はどのようにやっていくか、一般化するといいものが見えてくる。市民的評価のシステム、総合計画方式、市民セクターからの提言方式などNPO法から学ぶ必要がある。長野においては、県の地方事務所職員の仕事を、コーディネーター機能にする必要があるのではないのか。
(文責 船戸 潔) |