6.『アムネスティ・レポート 人権報告書』――「イラン」報告
『アムネスティ・レポート』で、 1994年版 (1993年の状況を報告 ) 以降の「イラン」の項に目を通してみた。『ペルセポリス』でみたような過酷な実態が報告され続けている。最新の2007年版 (2006年の状況を紹介 ) には、以下のように書かれている。〔以下の「 」内〕
「表現や結社の自由にとって基本的権利の制限が拡大し、人権状況は悪化した。良心の囚人を含む数十人の政治囚が、過去の不公正な裁判によって科された刑に服している。2006年にもさらに数千人が逮捕されたが、ほとんどがデモ中、またはデモ後に逮捕されたものだ。ジャーナリスト、学生、弁護士を含む人権擁護活動家も、恣意的に拘禁され、家族や弁護士との面会を許可されない状況に置かれた。とりわけ裁判前拘禁の間、拷問が広く行なわれている。」「少なくとも177人が死刑を執行され、うち少なくとも4人は犯行時に18歳未満であり、刑の執行時に 18歳未満の一人も含まれていた。2人が投石による死刑だったようだ。鞭打ち刑、四肢切断刑、眼球をえぐるといった刑も依然として科されている。死刑や体刑に処された人は、報告よりかなり多いと考えられる。」
「アムネスティ・レポート」で、イランにおける死刑者数の毎年の数字を足し上げると、1993年1月から2007年9月までのほぼ15年間に約2000人近く ( または以上 ) に上る。毎年約126人が死刑に処されてきた勘定である。
さらに、次のような報告が記されている。
「少数民族や宗教的少数派に対する差別的な法律や慣習があり、社会不安や政治不安の原因となっている。」
「人権擁護活動家の活動はますます制限され、報復される危険にさらされている。 2006年1月、内務省は『国家体制転覆を狙う国内外の問題団体』から資金援助を受けていると疑われるNGO ( 非政府組織 ) の活動を制限する方策を準備していると伝えられた。学生は政治活動が盛んなため、恣意的逮捕や新学年度に学業の機会を剥奪されるなどの報復を受けることがしばしばあった。 8月、内務省は (2003年に ) ノーベル平和賞受賞者シリン・エバディなど数人の著名な弁護士で組織する人権擁護センター (CDHR) を許可を得ていないとして、活動を禁止した。」
「依然として拷問が日常的に行なわれている。とくに裁判前拘禁で多く、被拘禁者は弁護士との接見を無期限に禁じられている。少なくもと7名が拘禁中に死亡し、うち数件は拷問や虐待、治療拒否が一因になっている可能性がある。」
「国連総会は (2006年 )12月、イランの人権状況を非難する決議案を可決した。」「国連の人権諸機関のイラン訪問を政府は依然拒否している。」
イランの死刑相当犯罪は非常に多い。「神に敵対する行為」「イスラム侮辱」「地上での堕落」「反国家宣伝」「国家治安」「既婚者の姦通」「同性間の性行為」、そして「国家の安全保障を脅かす」犯罪では、裁判官が裁量によって死刑判決を言い渡す権限をもっているという。
イランの議会は最高立法府である「憲法擁護評議会 (GC) 」によって形骸化している。議会で改革派が多数を占めたとしても、可決された改革のための法案が、この評議会によって繰り返し拒否されるためである。 GC は憲法第 96 条によって設置されており、聖職者6名、一般法学者6名で構成されている。主な役割は大統領選挙、国会選挙、国民投票などの監督、および国会で批准された法案の審査である。国会で批准された法案も、 GC がイスラム法 ( ジネゴシュと呼ばれる基準 ) にそぐわないと判断すれば拒否されることになる。
例えば、国連拷問等禁止条約への加盟や拷問禁止法案を議会は承認したが、 GC はこれを拒否。同様に、議会の承認した国連女性差別撤廃条約への加入も、 GC は拒否した。また、 GC は選挙の候補者を選出する権利も持っている。これらの判断も実に恣意的に行なわれているといわれる。
イランにもNGOはあるが極めて強く規制されている。人権擁護のためのイラン法律家協会や、囚人の権利擁護協会などは強い規制と監視を受けるか禁止されるかしている。
こういった統制や人権侵害も、報告されなければ知り得ない。『アムネスティ・レポート』の存在によって、私たちは、どこの国でどのような抑圧が行われているかを知り、関心を持ち、行動に結びつけていくことができる。
また、アムネスティ・インターナショナルによる、「良心の囚人」を救出する運動は、抑圧された個人に対する個別の取り組みである。しかし、その個別の運動が、そのまま普遍性を持ったものであることを、私たちは深く知ることができる。
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