3.住民の連帯を生み出すコミュニティFM
その点、コミュニティ FM は市民がマイクの前で直接メッセージを伝えることで身近な情報を放送することができる。地域性を背景に、まちおこし、環境問題、在日外国人との共生、地域文化の発掘など社会的使命を持った番組を制作・放送し、地域住民の連帯意識や相互扶助を創出している例もある。
コミュニティFMは4月5日現在、全国200局を数える。その9割以上は民間会社と第三セクターが運営している。NPO法人による開局は9局ある。
旧郵政省(総務省)が コミュニティFMを 「地域活性化のツール」として最初に位置付けたのは「テレトピア構想」(1983年)である。その後、「ニューメディア時代における放送に関する懇談会」の報告書や「放送の公共性に関する調査研究会」の報告書(コミュニティFM導入を初めて明言)をへて1992年に放送法施行規則が改正され、市町村をエリアとする「コミュニティFM」の開局が可能になった。同年、北海道函館市に第一号コミュニティFMとして「FMいるか」が開局した。
その後、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災で、電力供給がなくても聴取できるラジオが見直され、地域に密着したコミュニティFMの存在価値が一層高まった。それまでコミュニティFMの出力は1ワット以下に規制されていたが、同年2月、10ワットに、99年には20ワットに引き上げられ、放送対象エリアは半径数十キロに及び、市区町村境を超えて電波が届くようになった。
放送免許の認可は当初、第三セクターを含む「株式会社」に限られていたが、1998年に特別非営利活動促進法(NPO法)が施行され、NPO法人が社会的に認められた結果、2003年に初めてNPO法人「京都コミュニティ放送」に放送免許が認可され、「京都三条ラジオカフェ」(京都市中京区)が誕生した。
「ラジオカフェ」は市民誰でもが番組を制作し放送できる「開かれたラジオ」を実践している。僧侶の「京都三条ボンズカフェ」、看護師の「FM看護系ナイト2」、学生、留学生の制作番組、NPOなど市民グループの自主制作番組など100本前後を流している。一人の会社員が2005年に始めた、世界中の難民問題を伝える「難民ナウ!」はUNHCR(国際難民高等弁務官事務所)やアムネスティの協力を得ている。このほか、1分間500円で市民が自由に発信できる「ワンコインメッセージ放送」もある。
阪神・淡路大震災直後、壊滅的な打撃を受けた神戸市長田区では、ベトナム人や韓国・朝鮮人、フィリピン人、日系ブラジル人ら外国人の被災者が多数いた。外国人と日本人被災者との間で些細な問題でのトラブルが絶えず、毎日のようにボランティアらが仲介のため走り回った。トラブルの多くは言葉の壁が引き金になっていた。このため支援グループとボランティアが中心になり、JR新長田駅近くに韓国・朝鮮語のミニFM「ヨボセヨ」を開局した。次いで、長田区のカトリック鷹取教会ボランティア救援基地内にベトナム語など5言語のミニFM「ユーメン」を開局した。ボランティアが日夜交代で余震情報、家族の安否情報、内外からの救援物資情報や、被災地の在日外国人の心を癒やすため故国の音楽・漫才などの番組を放送した。さらに日本人が外国人に対する理解を深めるための文化講座や外国語講座なども開始した。
2局は同年7月に合体して「FMわぃわぃ 」となり、翌96年1月にはコミュニティFMの免許を取得した。現在は 「在日コリアンの歴史」「日本国憲法を読む」など「多言語・多文化共生」の理念に沿った番組を放送している。在日外国人や日系ブラジル人の児童生徒らが自主的に制作しているトーク番組、長田区に数千人いる徳之島出身者のための島唄番組もある。昨年4月からは北海道二風谷のミニFM「ピパウシ」のアイヌ語放送も加え、現在、計10カ国による放送を実現している。
放送エリアは長田区を中心に兵庫区、須磨区、中央区の一部で、放送対象世帯は約11万世帯・24万5千人に及んでいる。ボランティアスタッフは150人を数え、地域団体や行政、NPOなどの支援の輪を広げている。
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