4.規制緩和と階級社会
ところで、新聞記事の中に、事件のキーワードと思える見出しが散見しているのも事実だ。「子煩悩な父」(読売新聞)、「無差別犯行」(朝日新聞)、「防犯カメラ決めて」(同)。子煩悩な親が他人の子ども殺害する、子どもの次は女性殺害を狙った、街角に浸透している防犯カメラが容疑者出頭の決め手になった…。どの見出しも現代社会の断面を見事に映し出している。だが、この事件の一番のキーワードは「昨年9月リストラ退職」(読売新聞)の見出しではないか。見出しに続く記事はこう書かれている。
「捜査本部によると、今井容疑者は高校卒業後に理美容関係の学校に通い、アルバイトを経て…川崎市多摩区の不動産会社に勤務。その後、同市多摩区のインテリア用品店に勤めていたが、昨年9月にリストラで退職したという」(4月2日読売新聞朝刊社会面)。その後、リストラではなかったとの趣旨の報道もあったようだが、本人が事件前後に職探しを続けていたことは事実である。退職と職探し、入院・通院、退院間もなく起こした事件…、知りたい事実はいっぱいある。だが、その後、退職をめぐる問題性に焦点を当てた記事は残念ながら報道されていない。
日本社会はここ十数年で、「総中流社会」から「階級社会」へと変貌を遂げ、「上流・下流」「勝ち組・負け組」といった言葉が日常的に使われるようになった。背景には、企業倒産とリストラ、労働市場の規制緩和による非正規雇用の増大と職場の不安定化、ストレスによる中間管理職の発病・自殺、失業者やフリーター、ニートの増大と犯罪の増加といった社会現象が隠れている。川崎の事件の背景には、こうした社会的諸問題が影を落としてはいる。
政府は日本の経済が不況を脱し、上向きに転じたと発表した。「小さな政府」論に基づく市場主義改革の結果、構造改革が進み、その成果が現れた、という訳だ。どのマスコミも「小さな政府」論に反論することはなく、国家財政危機の時代には、行財政改革や規制緩和と市場原理主義に異議を申し立てることは、時代に逆行した抵抗勢力とみなされ、そうした意見や見解が紙面に掲載されることはほとんどない。
日本のマスコミがグローバリズムや新自由主義を客観的に評価・批判したり、小泉改革との関係で論評したり、世界的潮流を検証することはこれまでほとんどなかった。新自由主義を標榜した英国のサッチャー首相や米国のレーガン大統領が「小さな政府」を唱えたのは80年代のことだ。「小さな政府」論には、政府の市場への介入を極力抑えることで経済成長を実現するという考え方が基本にある。「小さな政府」を唱道する政府の下では、社会保障や医療など福祉関係の財源を企業や個人に求めにくくなることから、福祉政策は大幅に後退することになる。
東大教授の神野直彦氏(財政学)と北大教授の宮本太郎氏(比較政治学)は「『小さな政府』論と市場主義の終焉」(註1)の中で「日本で繰り広げられている『小さな政府』の市場主義改革こそが、時流に逆行する時代錯誤の改革論議である」と小泉改革を厳しく批判している。論文によると、日本政府が削減しようとしている社会保障や医療などの福祉関係の支出は、拡大前のEU15カ国平均(GDP比)で、80年20.6%、90年23.4%、01年24%と増大する傾向にあるが、日本は01年16.9%と「小さすぎる政府」の部類に入ってしまっているからだ。
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