6.むすび――九条がますます先駆的意味をもつ時代となっている
日本国憲法第九条は、21世紀の先駆的ビジョンとして、ますます重要、かつ実質的な意味をもつようになってきていると思う。その理由・背景として、とくに以下の点を強調しておきたい。
(1)経済的相互依存
戦後の国際的な経済的相互依存の深化が、戦争抑止要因として機能するようになっている。戦後を取り巻く安全保障体制からみると、経済的な相互依存の深化によって、経済的繁栄を追求する国にとっては戦争を遂行する意味を著しく低くしている。戦争は経済的貧困に陥る恐れを意味するからである。
この10年間のアジアにおける地域紛争要因は著しく緩和されてきている。いうまでもなく最も重要な要因は域内の経済開発の進展による経済的相互依存の深化によるものである。
自国の競争力あるものを他国に輸出し、 自国が不足するものを他国から輸入する。 そうした貿易が相互依存を深化させてきた。
各国の経済は世界への輸出によって支えられ、自国が必要とするものを世界からの輸入に依存するようになっているが故に、他国への侵略は世界各国からの貿易のボイコットなどの規制を生じやすくしており、そうなれば自国への経済的打撃として強烈に返ってくる。ましてや現在急速に経済開発が進展している中国などアジアの国々にとっては、武力衝突、戦争はもっとも避けたい事態である。
また、経済発展は貧困を削減する。 開発途上国の多くは「開発独裁」的な国が多いが、経済発展は中産階級の形成をもたらし、民主化を求める圧力グループとなり、民主化を要求し、民主化を達成していく。地域の国防・安全保障には経済の成長と安定こそ必須なのである。
こうしてアジア地域の不安定要因は歴史的に最も緩和してきており、今後も景気動向によって影響をうけるだろうが、この方向は本質的動向として進展していくであろう。
(2)欧州が行なってきたこと
EUの形成は、20世紀における2度の大戦が欧州で起こったことの反省から誕生してきたものである。戦後欧州は、『鉄は国家なり』といわれた軍需産業の基幹をなす鉄鋼と石炭産業を共同管理にする仕組み(ECSC)をまずつくった。そして欧州の相互依存を高めるための仕組みとして関税を引き下げ、貿易を自由化する仕組みとしてEC(欧州共同体)をつくり、さらにそれを深化させたものとしてEU(欧州連合)をつくった。
EUでは通貨主権を放棄して共通通貨ユーロをつくり上げた。 近代国家においては、 通貨こそ自国の国王や誇るべき歴史モニュメントや人物などを表現するナショナリズムの象徴であったのだが、 欧州はそれを消去してしまった。さらに、EU議会をつくり、国家を超越する地域全体の議会システムを構築した。
このように欧州は、20世紀の2度の世界大戦への強烈な反省から、戦後新しいシステムの構築を決意し、それを揺るがせることなく確固としてその思いを継続し、近代国家シテスムを超近代国家システムへ変容させ続ける作業を行なってきているのである。超国家システムを意味する象徴的なものの一つは、域内の紛争処理システムを創出したことである。欧州は、経済的統合(貿易の自由化から通貨統合)から民主主義の共有(欧州議会等) へと向かってきた。 そして、共通対外政策の策定等により、欧州の統合の進展がEU域内の紛争を未然に防いでいる。それだけではなく、地域統合の意味は、域内紛争は域内で処理するという域内紛争処理システムを導入し、具体的に域内紛争を処理してきていることである。
戦後の欧州は、かつて国家システムの元となった『ヘントの和平条約』 (注7) をつくり上げてきた土地柄らしく、戦後このように「近代国家」を「超近代国家」へ組み換えるプロセスを不断に続けているのである。
(3) 人を殺す国になることが「普通の国」になることか
九条が現代の日本人に投げかけている最大の貢献は、日本は九条の存在故に、60年間軍事行動によって戦争で人を殺していないという事実があることである。私たちはこれが永遠にそうでありたいと願っている。当面の目標としてこれから40年、つまり1世紀間はそうした国であり続けたいと願う。しかし、イラクで日本の自衛隊がイラク人を実態的な軍事行動において殺す事態が起こる恐れの中に私たちは陥っている。
しかし、九条が放棄されることによって、日本は人を殺すことを公認・合法化する国へ逆戻りすることになる。戦争すなわち国家による殺人を合法化することが「普通の国」になることなのだろうか。
九条があったから日本は安全であり、経済立国が可能となり、今日の繁栄が可能となった。九条がなくなったなら、外的要因が急変し、日本はまったく別の国に変質してしまう道を辿ることになるだろう。
ベトナム戦争では米軍側は5万5000人、ベトナム側は300万人が死んだ。イラク戦争での米国人の死者数は大々的に発表され、ある数に達すると喪に服する記念式典が行なわれる(米軍の死者数は約2100人)。しかし、 イラク人の死者数は発表されてこなかった 。ブッシュ大統領はつい最近( 12月12日)になって、イラク民間人の死者数は「3万人前後」とメディア報道からの推計として発表した。米国の人々だけではなく、イラクの人々も、親から名前をつけてもらった人間の一人一人である。そう思考できる「倫理のグローバリゼーション」の時代に私たちは生きている。
90年代、世界が大きく構造変化を起こした時、日本はそこから孤立し、世界の構造変化と無縁に、米国のみをパートナーとして優先する内向き思考となり、結果として無益なナショナリズムを復活させてしまっている。
九条を放棄すべしと論じている人々の話しを聞いていると、戦争とは映画を見ているような感じなのだろうと思うことがある。映画の中の戦争は最後には必ず勝利し、どんなに激しい戦闘があっても、そして多くの人々が死んでも、現実には結局誰も死なない。戦争によって死ぬ一人一人を実感できないPCゲームのような感覚に陥っているのではないか。
注1:日本国憲法第九条〔戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認〕
日本の国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行 使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の威力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
注 2:本稿の中で、日本の軍隊の位置づけなど軍事力の状況については、江畑謙介氏の講演(IBM伊豆会議議報告書2004年 『現代軍事力とX』、日本アイ・ビー・エム(株)、2004年から引用・参照させていただいた。
注 3:『映画日本国憲法読本』(シグロ製作)2005年
注 4: チャーマーズ・ジョンソン『アメリカ帝国の悲劇』村上和久訳、文藝春秋社、2004年/同『アメリカ帝国への報復』鈴木主税訳、集英社。
また、インターネットでは『基地帝国としてのアメリカ帝国主義』
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/us-empire_study1.htm
注 5:「平和基本法」の制定案、自衛隊を「国土警備隊」「災害救助隊」「国際緊急援助隊」の3分割する案など。古関彰一、前田哲男、山口二郎、和田春樹「憲法9条のもとで、いかなる安全保障政策が可能か」『世界』2005年6月号。
注6:GPPAC(武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ)『平和を築く人々:暴力紛争予防のための世界行動提言』 p.20、 2005年6月、翻訳ピースボート。
注 7:ヘントの和平条約と九条の意味については、前回(その1)を参照。 |