協働コーディネーター養成講座修了者の活躍する現場から シリーズ5 
  小さな港町・七尾のまちづくり

 第1回   七尾のまちづくりを振り返る

株式会社 御祓川 チーフマネージャー 森山奈美

  特定非営利活動法人NPO研修・情報センターでは協働コーディネーターを養成する、協働コーディネーター養成講座を開催してきました。その成果として、協働コーディネーターとして各地のまちづくりの現場で活躍している人が増えてきています。ここでは、協働コーディネーターとして活躍している人に現場の取組みを紹介してもらい、講座の成果を紹介していきます。
シリーズ5では、石川県七尾市でのまちづくりの取り組みを紹介します。まちづくりの様々な取り組みでの、協働コーディネーターの役割やその重要性を知ってください。

キーワード・・・ 港、水辺再生、中心市街地、民間まちづくり会社

石川県七尾市は、能登半島の付け根に位置する人口6万4千人の港町である。このシリーズでは、七尾のまちづくりから、協働コーディネートの重要性について検証していきたい。第1回の本稿では、七尾の都市活力の衰退が激しかった昭和の終わりから現在に至るまちづくりの流れを紹介する。

1. 港にジャズがやって来た!
  心地よい海風を頬に受けながら、ジャズにひたる贅沢な時間が流れる。クライマックスではステージと観客が一体となって、港は音と光と熱気に包まれる。国内外の一流のミュージシャンを七尾に迎えて開催される「モントレージャズフェスティバル(MJF)in能登」の一コマだ。世界三大ジャズフェスティバルであるMJFの冠をつけることは、世界でただ一箇所、この七尾市だけに許されている。このジャズの祭典は、2005年で17回目を迎える。昨年からは、開催場所を七尾港にある「七尾マリンパーク」に移し、ますます盛り上がりを見せている。

 20年前、七尾の未来を憂い、沈滞した波止場から、まちの再生を目指した人々が、夢として描いた「港の賑わい」が現実のものになっている。衰退した「みなとまち」が、元気を取り戻していくには、さまざまな物語があった。私自身、七尾でのまちづくりに関わるようになって丸5年が経つが、港からまちを活性化しようという「七尾マリンシティ運動」からの歩みを振り返ると、このような活動が「まち」や「まちに住む人々の心」に与えた影響は計り知れないことだと思う。「こんな町なんて」と思っていた人が「この町も捨てたもんじゃない」と思い始め、いつしか「七尾が好き」と誇りを持って言えるようになる。この、どの統計書にも反映しがたい、定性的な人々の心理変化が多ければ多いほど、まちの活力は向上していく。つまり、まちが元気なる。

 もちろん、元々この町が好きな人も、現状の問題点をとらえて希望を持ってその解決に取り組んでいく。まちの中で一人一人が輝けるステージをつくっていくのだ。このジャズフェスティバルのステージのように、あるときは誰かがソロをとって賞賛を受け、あるときはテーマを全員で奏でて盛り上がり、アドリブにはアドリブで返しながら、音楽は前へ前へと進んでいく。そして、セッションを楽しんだ後には、感動が残る。

▲ページトップへ

2. マリンシティ七尾の夜明け
 石川県七尾市は、能登半島の中央部に位置する人口約6万4千人の港町である。加賀百万石の前田利家が最初に城持ち大名となった城下町でもある。利家は、七尾港へと注ぐ御祓川を境に商人町と職人町に分けた城下を築き、その町割は現在も中心市街地の基盤となっている。古くは「香島津」と呼ばれる天然の良港として栄えた七尾港は、大陸文化の入口として、町に大きな影響を与えてきた。中世時代は、北前船の寄港地として隆盛を極め、多くの回船問屋が出現し、地域経済を潤した。さらに明治時代に外貿易港として指定されてからは、ますます港の機能は充実し、七尾軍艦所が設置されるなど、まちの文化にも大きく関与し、第二次世界大戦後は石炭や木材の取り扱いで華やかな時代を築いた。

 しかし、物流の中心が海運から陸運に変わるとともに、次第に港の重要性が薄らぎ、港と共にまち全体の活気も失われつつあった。その頃の七尾は、経済的な冷え込みだけではなく、何より市民の心に倦怠感が漂っていた。

「このままではいけない」と、立ちあがったのは(社)七尾青年会議所の若手経済人たちであった。昭和60年に6回シリーズで開催された市民大学講座で、七尾のこれから進むべきみちを模索し、“港を中心としたまちづくり” というキーワードを得た。港湾都市七尾の再生と活性化を目指した「七尾マリンシティ構想」を立案し、この構想の推進母体として七尾マリンシティ推進協議会が設立された。

 多くの人々の心に「七尾も捨てたもんじゃない」と印象づけたのは、おそらく、平成元年に行われた「能登国際テント村’89」であったと思う。これは、「七尾マリンシティ構想」をイベントで具現化しようという取組みであり、フェリーが廃止されて機能を失った波止場を会場に、能登の伝統的な祭の競演と、日本海側の物産展を中心として、新しい付加価値を与えようという試みである。メイン会場には、七尾が誇る青柏祭のでか山と石崎奉灯祭のキリコ(http://www.hot-ishikawa.jp/page/kiriko/)が一堂に会し、この競演を一目見ようと集まった人々で、文字通り、お祭騒ぎの賑わいであった。「いま、七尾が面白い。」それまで聞かれたことのなかった声が聞かれるようになり、参加した誰もが、七尾再生への胎動を感じ取っていた。

▲ページトップへ

3. 港からまちへ
 七尾マリンシティ構想とは、「港」「海」をキーワードとして、港の賑わいをまちに波及させ、みなとまち七尾の再生を図ろうという構想である。この構想の結実として、先ほどの能登国際テント村の会場となった場所に、七尾フィッシャーマンズワーフ「能登食祭市場」が平成3年9月にオープンした。寂れた波止場が、年間90万人の訪れる核施設に生まれ変わったのである。オープン11年間で、入場者数1千万人を達成し、ますます盛況を呈している。

 この成功を受けて、七尾駅前再開発によるパトリア(商業施設)が平成7年4月にオープン。その結果、港と駅にそれぞれ核ができた。これらを結ぶ軸として、約700mの道路を整備するシンボルロード事業も平成17年4月に第一期が完成し、続く第二期へと軸づくりが進められている。このように、「港」から「まち」へと中心商店街の回遊性を向上させ、賑わいのある都心空間づくりを進めようというシナリオを描いている。(図1)

 現在、2つの核を結ぶ軸づくりが進められているが、その軸上に流れる「御祓川」の再生が、次なるまちづくりの課題となった。

                   図1:港と駅の核を結んで賑わいをまちなかへ

▲ページトップへ

4. 民間まちづくり会社 褐葢P川
 マリンシティ構想を次のステージに移す軸づくりにあたっては、この御祓川の再生が不可欠であると考えた企業経営者らが、民間まちづくり会社の構想を議論し始めたのは、平成10年の年末であった。いずれも七尾マリンシティ運動に当初から携わってきた中心メンバーである。港の活気をまちなかに引き込むには、まちなかにも拠点が必要だ。御祓川沿いに、七尾の文化が感じられる店を並べて、賑わいを取り戻そう。事業は、自己責任で行うために民間でやる気のある者を募ろう。そんな議論の中から、御祓川とその界隈の再生を目指す株式会社 御祓川が設立された。平成11年6月、出資者8名、資本金5000万円、純民間のまちづくり会社である(後に、増資されて資本金6800万円)。

 (株)御祓川では、御祓川の再生を3つの側面から捉えている(図2)。1つは、「御祓川の浄化」によって水質が改善すること。2つめは「界隈の賑わい創出」である。川沿いの店をつくり、店を通して人々の賑わいを創り出す。そして3つめが「コミュニティ再生」だ。川のことを思い、まちのことを思いながら行動する人々のつながりをつくっていくことである。それぞれの事業内容については、協働コーディネートの視点から次号で詳しく紹介するが、褐葢P川の活動によって、貸店舗と研修室などを備えた寄合処御祓館をはじめ、川沿いに新たに3つの店がオープンし、シンボルロード沿いに蔵を再生した情報処しるべ蔵もつくられた。さらに、川への祈り実行委員会など、川と市民との関係を取り戻す活動も盛んになってきた。

 これらの事業は、人々が川との関係を取り戻しながら、地域経済やまちの文化とのつながりをも取り戻していくことを目指している。このことを我々は「イエ・ミセ・マチの関係を再生する」と表現している。御祓川という一本の汚れた川を目の前にしたときに、様々な都市問題が凝縮されて見えてくる。ここに、川の再生からまちづくりに取り組むことの大きな意義があると感じている。

              図2: ( 株 ) 御祓川の事業内容

 

5. まちの問題解決に市民が関わる場
 マリンシティ構想以降のまちづくりの系譜を見ると、平成7年ごろから、活動の中心が港からまちなかへと広がっていることが分かる。「まちづくりは人づくり」という原点を常に念頭におき、あらゆる主体が関わりあいながら、ハード整備、文化・交流活動が進められてきた。

 運動の盛り上がりに浮き沈みはあるものの、まちづくりの志は、脈々と受け継がれている。マリンシティ運動の発端となった市民大学講座から、約四半世紀を経て、七尾のまちづくりを牽引する人づくりの場が、新たに設けられることになった。平成15年6月に設立された「元気ななお仕事塾」である。全国公募で選ばれた塾長は、TMO(タウンマネジメント機関)の職員として雇用され、市民と共にまちづくりに取り組んでいる。この仕事塾では、参加者が実際にまちの問題解決方法を考え、それを実践する中で、市民が直接まちに関わりながら、まちづくりを進めている。この活動の中から、まちなかで行われる定期市「能路市場」や、まちなかの伝統的な建造物を保存する運動「七尾歴史街道まちづくり協議会」などが生まれている。

 まちづくりの担い手は、非常に多様化し、かつてマリンシティ運動を背後で支えていた主婦や学生なども、次々と主体的な活動を展開している。また、活動のスタイルも、ないものねだりから、あるもの活かしへとシフトしてきているようである。ますます「協働コーディネーター」が必要になってきているというわけだ。

 今回は、これまでの七尾のまちづくりを紹介してきた。次号では、(株) 御祓川設立以降の個別事業にスポットをあてて、協働コーディネートの現場に迫ってみたい。

※冒頭で紹介したモントレージャズフェスティバルin能登は、今年7月30日に開催されます。ぜひ、これを機会に七尾へお越しください。

モントレージャズフェスティバル in能登HP

http://www.noto.or.jp/monterey-jazz/

その他関連 HPの紹介

株式会社 御祓川: http://www.noto.or.jp/nanao/asi/

元気ななお仕事塾: http://nanaojyuku.exblog.jp/

▲ページトップへ

 

 



 

 

©2004 NPO Training and Resource Center All Right reserved