1.過去に追いやられる歴史
6月23日、各紙は一斉に「沖縄戦終結60年」の記事を掲載した。
「23万人の魂に恒久平和誓う」(毎日新聞)、「60年…あの戦争 繰り返すまい」(朝日新聞)、「沖縄戦60年の祈り」(読売新聞)…。6月23日は太平洋戦争の沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わった日。この日は74年に沖縄県民の休日になり、毎年、戦争犠牲者を悼む「慰霊の日」を営んできた。激戦地の沖縄本島南部・糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」には小泉首相ら約5200人が参列し、黙祷を捧げた。
各紙とも1面で本記を掲載しているが、内容はお知らせ原稿の範囲を超えてはいない。読売新聞は39行の記事で、追悼式が行われたこと、黙祷の後、稲嶺知事が平和宣言を読み上げたこと、小泉首相があいさつしたこと、平和の礎(いしじ)に新たに720人が追加刻銘されたこと――を淡々と報じている。数字とあいさつなどのカギ括弧の中を変えれば、昨年であっても、一昨年であっても、まったく変わらぬ内容の記事といえる。
確かに、各紙とも在日米軍の再編問題について「在日米軍の抑止力を維持しつつ、地元の負担軽減に向け、米国政府との協議に臨んでいる」という小泉発言を報道している。毎日や朝日は平和の礎に、マラリアなど病気で死んだ人や、朝鮮半島出身者らを追加刻銘したことも報道している。
毎日、朝日が1面のほか社会面などで大々的に関連記事を展開しているのは「60年」という節目に当たるからだ。6月23日を前に、NHKなどテレビ各局も沖縄戦特集を組んでいた。軍の犠牲となった島民の悲劇を掘り起こし、知られざる事実を報道した番組もあった。だが、どの記事も報道も「あの戦争を繰り返すな」「恒久平和の祈り」という美辞麗句が目だった。どうやって恒久平和を実現するのか? なぜイラク戦争という「今」との絡みで沖縄戦を総括しないのか?
問題なのは、各紙の記事や各局の番組は沖縄戦を、過去の出来事として描くことで、「戦後」を遠い昔へと追いやる力関係に荷担していることだ。一刻も早く戦後を終わらせ、改憲を進め、新たなる日本の国際社会を切り開こうと決意している 「国家」 にとって、戦争を「過去形」で語り、昔話に転化してしまうことは非常に望ましいことだからだ。
それは一種の「安全装置」(註1)ともいえる。各紙の記述は沖縄戦を「日本昔話」のように描いている。ここで使われている過去形の表現は、現在につながる歴史としての過去ではなく、現在から切り離された純粋な過去として、また、「物事」を客観的に表現する仕方で描かれている(註2)。 |