コメント 2002年に南部アフリカの旱魃による飢饉に対して、食糧援助が米国を中心に行われた。その際、米国産の遺伝子組み換えメイズ(トウモロコシ)が送られるということで、被援助国であるザンビアやジンバブウェなどの政府、市民、また私たちNGOは大きく反対した。自分たちが安全性に不安があるというものを、飢餓に苦しんでいる人たちに対して提供するなんて、そういうことでいいんだろうか。危機に瀕している人たちに対して自分たちがいらないもの、安全性に疑問があるものを提供することに対して、私はその心根の貧しさにぞっとした。たとえ私たちが健康に害があるものを食べても、彼らには安全性の高いものを提供して、危機を乗り切ってもらう一助にすべきではないか。
日本では遺伝子組み換え食品や作物はもっぱら食の安全性を問題にされることが多いが、問題はそれだけではない。1.の記事にあるように、食料援助国と被援助国の力関係と、援助にGM作物を入れることで、結果としてその後も被援助国でGM作物を使わざるを得ない状況を作り出すこと。自分たちが何を栽培し、何を食べるかの権利をはく奪されるという、基本的な人権の問題もある。
2.の記事のように、緑の革命が結果的に田畑を疲弊したことや、農業の投入資金が上がったこと、小農が農地を手放さなければいけなくなったように、遺伝子組み換え作物が種子メーカーの言うような収益を上げないことや、一度遺伝子組み換え作物を植えると種子メーカーにその後も支配されてしまうということなどの問題もある(「GM(遺伝子組み換え)汚染―多国籍企業モンサントと闘うシュマイザーさんからの警鐘」(天笠啓祐編著、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン発行)に、メーカーと農民の関係が詳しい)。
遺伝子組み換え作物に関しては、多様な問題と、南北のパワーバランスの問題がある。そのため、この分野では北の支配を逃れたいという南の国々や研究者の取り組みがある。しかし、私は南の国々の開発したGMだからといって、OKともいえない。遺伝子を組み換えるというのは、地球全体に対し大きな影響をもち、未来に対しての負債になるかもしれないのだ。 |