2.国家レベルの知的財産の戦略(知財立国)
(1)知的財産戦略強化の背景
政府は2002年2月に知的財産戦略会議設置し、その冒頭、知的財産をめぐる状況をレビューしている。一方で日本の総合競争力が落ちており、他方で技術力は維持されている。技術力の競争力が維持できているうちに何からの対策を打たなければならい、というものである。技術力で競争優位をもつ国家をみてみると、米国がある。米国の企業は知的財産で高収益をあげており、高等教育機関におけて同様でスタンフォード大学のライセンス収入を一例としている。
参照: http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki/dai1/s_04.pdf
(2)米国の知的財産戦略
米国の知的財産戦略をみてみよう。 1978年のカーター大統領の提言にもとづき、 1982年に特許高等裁判所を設置した。 1985年にはレーガン政権のもと、産業競争力委員会から通称ヤング・レポートという報告書が提出され、国内外での知的財産権の保護強化の方向に大きく転換した。
大恐慌を富の偏在が引き起こしたという反省に基づき、米国はただちに富の偏在を許さないアンチパテント主義にきりかえた。独占禁止法を強化して富が一部に偏在しない政策で世界の覇権を握り続けた。特定の企業が特許など知的財産を囲い込むことで独占的な利益をあげることを制限してきたのである。
ところが、国家の競争優位の獲得のために知的財産の囲い込みを認めるプロパテント主義に方向に転換した。知的財産保護を強化して特許の公開を促進するとともに権利の占有を認めるようになった。1985年はプラザ合意がなされた時期にあたり、国際競争において日本企業の競争力が突出した時期でもある。
ヤング・レポート以前1980年代前半から米国は知的財産の保護の方向に動いている。1980年タンカー事故により流出した原油のバクテリア処理成功から、バイオを特許とする政策を開始した。1981年にはコンピュータのソフトを特許にする政策を開始。これによって、マイクロソフト、インンテル、シスコ、サン・マイクロシステムズ、オラクルなどの製品が事実上の標準(ディファクトスタンダード)を獲得した。1998年には、米国はビジネスモデルの特許を認めた。ヤング・レポートは個々の特許法の改訂を超えて、知的財産を戦略的に国家戦略に組み込んだところに意義があった。
ヤング・レポートに関して米国の商務省の知的財産関係の専門家が語った一文を次にあげる。
Indeed 、 many of our Japanese colleagues point to a report issued in 1985 by then President Reagan's Commission on Industrial Competitiveness. That commission 、 which was comprised of more than two dozen leaders from business 、 labor 、 government 、 and academia 、 was charged with identifying ways to improve the private sector's ability to compete in world markets. The so-called Young Report 、 named after the Commission's Chairman (John Young 、 then CEO of Hewlett-Packard) 、 serves as a road map for the development of our U.S. intellectual property system .
Q. TODD DICKINSON “ASSISTANT SECRETARY OF COMMERCE AND COMMISSIONER OF PATENTS AND TRADEMARKS” At the INTELLECTUAL PROPERTY RIGHTS SYMPOSIUM PANEL DISCUSSION 、 TOKYO 、 JAPAN 、 NOVEMBER 16 、 1999
ヤング・レポートは,日本で現在注目されているほどには米国では注目されていないが、ウルグアイラウンドのTRIPSに大きな影響を与えたと考えられている。米国の知的財産戦略にとって象徴的なレポートであるといえよう。1988年にスペシャル301条;知的財産の保護の不十分な国を優先的に監視する法律、1994年にウルグアイラウンド TRIPS ;知的財産保護の最低水準を設定;などのこのレポートによって方策が実現化した。
知的財産戦略は当時のレーガノミクスと呼ばれる経済政策の1つであった。レーガン政権の経済政策はサプライサイド・エコノミーといわれ、経済活動のうち需要面(デマンドサイド)より供給面(サプライサイド)を重視する考え方である。
レーガノミクスとは大幅減税と歳出削減により米経済の再生が実現するというレーガン元米大統領の掲げた経済政策のことである。「政府支出削減(小さな政府の実現)」、「サプライサイド・エコノミックス(供給面重視の経済学)」、「政府規制の緩和・撤廃」、「マネタリズム(通貨供給量を重視する金融政策)」の 4 本柱からなっていた。財政と貿易が同時に赤字となる「双子の赤字」を招いたとされる半面、1990年代後半からの好景気の土台を築いたという評価もある
サプライサイド・エコノミー
ニューディール政策などの需要重視の政策では、生産低下に対応していくことはできないという批判から発している。3つの方策からなっている。第1は法人税や所得税などの減税措置、第2は政府支出削減、第3は規制の緩和である。減税により、貯蓄が増えて利子率低下し、投資意欲増大することにより生産力が向上する効果をねらっている。同時に労働意欲の増大が生産力向上にむすびつく。規制緩和により民間の投資意欲が増大し、生産力が向上、物価水準の安定につながる。
レーガノミクスは、一方で日本など新しく台頭する技術立国との競争を優位にすすめるとともに、他方で自国内の知的財産の創造を促進するものであった。それまでは、 国家が企業収益から税を徴収し、その税を補助金という形で研究開発に投資していた。とくに、宇宙開発や軍事関係などへの研究開発投資は大きく、全研究開発費の4分の1に達するものであったといわれている。レーガノミックスは、知的財産を保護することで収益を企業が研究開発へ直接的に再投資することを促進したものともいえる。また、規制を撤廃し組織間競争を高めることで新しい技術の創造や新しい産業の創出を促進したわけである。
組織間競争は企業間にとどまらず、大学や研究機関などあらゆる研究開発にかかわる組織を変革した。現在の日本の大学間競争、知的財産による企業間競争力などは、この時期の米国にその先例をみることができる。知的財産に限らず、NPOによる社会問題の解決などは、現在の日本の政策はレーガノミクスを範とするものが多い。
http://www.apo-tokyo.org/00e-books/IS-03_IntellectualPropertyRights/IntellectualPropertyRights.pdf p.28 |