うつぼ峠・点名大戸 (660.0m)  神河町    25000図=「寺前」


うつぼ峠の名前の由来は?
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うつぼ峠の露岩

 神河町高朝田と姫路市夢前町山之内河原を結ぶのが「うつぼ峠」である。峠道はすっかり消えているが、2万5千分の1の地形図には、まだ破線で描かれている。
  峠の名前は、峠を下った集落のうちのどちらかを取ってつけられていることが多い。「うつぼ峠」はそうではない。この名前は、何に由来しているのだろうか。

 「うつぼ峠」の名は、『夢前町流域史(吉田俊三,1974)』に、「上代の交通と草上宿」の項に記されている。また、『夢前町史(夢前町教育委員会,1979)』には、「東西の古道」や「南北の古道」の項に「うつぼ峠」あるいは「うつぼ関」と記されている。うつぼ峠には、かつて「うつぼ関」があった。また、『播磨の峠ものがたり(須磨岡輯,2012)』でも、播磨の峠一覧の中に取り上げられている。

 小田原川を渡った宮野の集落に車を止めて出発。集落を抜け、ダンドボロギクのワタゲが舞う野原を行く。この秋、初めてモズの声を聞いた。
 防獣ゲートを開いて、仏ヶ谷に入っていった。

風に舞うダンドボロギクの綿毛

 谷川の左岸に、林道が通っていた。林道は、かつての峠道に重ねてつくられていると思われる。ミズタビラコが咲いていた。4分果の果実もつけている。
 道を倒木がふさぎ、そこからタケニグサが繁茂して、車が行き来した形跡がなくなった。
 道の日当たりの良いところには、キツネノマゴが咲いていたり、ヘビイチゴが実をつけていた。オナガサナエが、枝に止まった。

 ミズタビラコの花と果実 オナガサナエ

 二股になったところに広場があって、コンクリート舗装の道が右手に上っていた。この道はすぐに終点となった。元の広場に戻り、広場の奥から続いている林道を進んだ。
 林道は、左岸を先へと延びていた。道の下に見える沢は滑(なめ)となって、水が平らな岩盤を滑り落ちている。この林道も、標高255mで終点となった。
 うっすらと残る小道が沢を渡って右岸へ続いていた。スギ林の中を、道を探しながらを登っていく。道に古い石の標識が立っていた。「之より左 直営林」と刻まれている。この道を先へと進んだが、すぐに道は消えた。

 かすかに残る道跡をたどる

  道のまちがいに気づき、もとに戻るとミツマタの中にうっすらと踏み跡が残っていた。
 ミツマタにもぐりこみ、沢を渡って進む。その沢は、滝によって行く手をふさがれた。滝は三段になっていて、落差は15mほど。シキミやヒサカキの幹をつかんで滝の右を高巻く。
 滝の上も険しく急な斜面が続いていた。沢を離れ、雑木の中の登りやすいところを探しながら高度をかせぐ。いつしか、旧峠道と思われる破線路からそれてしまっていた。しかし、間に深い谷が刻まれていて、もう戻れなかった。
 小さな尾根に出て、そのままその尾根を登った。
 尾根には、岩が突き出ていた。岩の下にはシコクママコナが群れ、落ち葉の間にはオレンジ色のニカワホウキタケや緑色のアイタケが生えていた。

尾根を登る

 尾根はさらに急傾斜になってきた。もう尾根かどうかもわからない。ここに来た以上、このまま登るしかない。
 ようやく、木々の間に白い空が見えた。峠が近い。木々の幹や枝をつかんで体を引き上げた。
 峠の手前で、細い道に出た。地形図の破線路とは反対方向から峠へ向かっている。この道を登っていくと、「うつぼ峠」に達した。

 峠は、かなりの幅があった。ここでおもしろいものを三つ見つけた。
 一つ目は、平たい石を横に渡したベンチ。右の脚は天然の露岩、左の足は露岩の上に石を三つ積み上げている。明らかに人工の構造物。長さを測ってみると、上に架けられた石は、133×65cmの長方形に近い形で厚さが10cm。古墳の石室の天井石のようにも見える。
 いつ誰が何のためにつくったのか、いろいろと想像できる。かつて、この峠を越えた人たちは、ここに座って休んだにちがいない。
 二つ目が、10cmほどの四角い石を重ねてつくられた石の塔。高さが50cmほどで、ケルンのように見える。

峠手前で道に出た うつぼ峠の腰かけ岩? 

 そして、三つ目に驚いた。峠を南に進んでいると、露岩が突き出ていた。横を通り過ぎようと何気なくその岩を見たが、その岩がふと、魚のうつぼに見えたのである。
 頭が上を向いて、その後ろに細長い胴が尾根の上をうねっている。目や口もある。一度そう思うと、もううつぼにしか見えなかった。
 この岩が、「うつぼ関」、「うつぼ峠」の名前の由来になったのだろうか・・・。この名前の由来を記した資料は見つからない。しかし、この岩を目にすると、そう思えた。

うつぼ峠の露岩

 峠道が残っているのか調べてみた。北への道は、たどってきた先へも少し延びていたがすぐに消えた。地形図破線路方向にも探してみたが道跡らしきものは見つからなかった。

 峠から尾根を北へと進んだ。ダンコウバイの落ち葉が半分だけ黄色に染まっていておもしろい。岩の間に、シコクママコナが群生していた。

 ダンコウバイの葉 シコクママコナ 

 尾根には、いくつも岩が飛び出していた。いくつかのピークを越え、最後はスギの植林された斜面を登って点名大戸(660.0m)へ達した。三角点の上をおおうツガの球顆はまだ緑色だった。

点名大戸の山頂

 点名大戸から、尾根を東へ下った。谷を下るより楽だろうと考えていたが、険しい岩尾根が続いた。木々はまばらだったが、切り開きがほとんどなくて何度かヤブを漕いだ。
 切り立った大きな岩の上に出た。岩の上に立つと、展望が広がった。眼下に、小田原川の流れる谷底平野。谷底平野を下流側へ目で追うと、JR寺前駅が見えて、その上に大嶽山、さらにその上に笠形山が重なっていた。
 しかし、展望を楽しむより、この岩をどう越すかという心配の方が大きかった。岩は真下に10mほどまっすぐに落ちている。半分ぐらい下りると足場がなくなったので、もう一度上へ登る。今度は、側面の割れ目を伝ってこの岩を下りることができた。

 大岩の上からの展望  大岩を見上げる

 しばらく急な岩稜が続いたが、しだいに傾斜がゆるくなり、やがて植林地に入った。この植林地をまっすぐ下って道に出た。
山行日:2023年9月23日

スタート~林道終点~うつぼ峠~点名大戸(660.0m)~大岩~ゴール map
 仏ヶ谷川に沿った林道を進む。林道終点からの踏み跡は、標石の手前で消えた。
 うつぼ峠から点名大戸までは、尾根の切り開きがある。点名大戸から下った尾根は、急で険しかった。

山頂の岩石 白亜紀後期 大河内層 溶結火山礫凝灰岩
 今回歩いたコースには、大河内層の溶結火山礫凝灰岩が分布している。淡灰色~灰褐色~灰緑色で、黒色頁岩・流紋岩・チャートなどの岩石片をふくんでいる。斜長石・カリ長石・黒雲母の結晶に富み、石英もふくんでいる。結晶や岩石片の量に変化があり、うつぼ峠付近は岩石片に乏しい。
 溶結構造が明らかに観察されるところが多い。

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