植村直己年譜
HP「兵庫の山々 山頂の岩石」

1941年 0歳 2月12日 兵庫県城崎郡国府村(現豊岡市日高町)上郷に生まれる
1956年 15歳 5月 学校遠足で蘇武岳(1074m)に登る
1960年 19歳 4月 明治大学農学部入学 同時に山岳部入部
(年間120〜130日以上山に入る年が続く)
1962年 21歳 3月 剱岳春山合宿後、初の本格的単独山行を試みる
(仙人岳、真砂岳などを経る5日間の雪洞生活)
6月 加藤文太郎「単独行」を読んで感銘を受ける
1964年 23歳 5月2日 アルゼンチナ号で横浜港からロサンゼルスに出発
(4年5ヶ月の旅の始まり)
10月22日 ニューヨークからフランスのルアブールへ
11月 モンブラン登頂を試みるがクレバスに落ちて断念
12月 モルジンヌのスキー場ではたらく
(経営者は冬期オリンピック滑降優勝のジャン・ビュアルネ)
1965年 24歳 4月23日 ゴジュンバ・カンU峰初登頂(明大隊 ペンパ・テンジンと共に)
6月 明大隊と分かれ、ボンベイへ ボンベイから海路フランスへ
8月 黄疸のため、レマン湖畔の病院に入院
1966年 25歳 7月10日 モンブラン(4807m)単独登頂
7月25日 マッターホルン(4478m)単独登頂
10月16日 ケニア山レナナ峰(4985m)登頂
ジョン君とジャングルを越えて登山口へ
10月24日 キリマンジャロ(5895m)単独登頂
1968年 26歳 1月19日 エル・プラタ登頂
2月5日 アコンカグア(6960m)単独登頂(ベースキャンプから15時間)
27歳 2月15日 無名峰(5700m)に初登頂し明治峰(ピッコ・デ・メイジ)と命名
4月20日 アマゾン川6000kmをイカダで下る(6月20日までの62日間)
9月 アラスカ サンフォード山(4949m)登頂 (マッキンリーは単独のため不許可)
10月 4年5ヶ月ぶりに日本に帰る
1969年 28歳 4月 日本山岳会エベレスト登頂隊第一次偵察隊参加
(未登の南壁を6300mまで登る)
10月 続いて第二次偵察隊参加
(南壁を8000mまで登る)
ペンパ・テンジンの家(ネパール クムジュン)に寄宿して越冬
1970年 29歳 5月11日 松浦輝夫と共に日本人として初めてエベレスト(8848m)登頂
8月26日 マッキンリー(6194m)単独登頂(世界初) 山頂で、南極大陸単独横断の夢膨らむ
世界初の5大陸最高峰登頂者となる
1971年 1月1日 グランド・ジョラス北壁を完登、ウォーカー・ピーク(4208m)に達する
(小西政継、星野隆男、高久幸雄、今野和義、堀口勝年と6名で11日間、飢えと極寒を耐えて成し遂げる)
30歳 2月 国際エベレスト隊に参加 南壁初登頂に挑んだが、隊が内紛のために瓦解
8月30日 稚内を出発し日本列島3000kmを徒歩で縦断(南極大陸横断3000kmを試すため)
10月20日 52日間歩き続け鹿児島に到着
「青春を山に賭けて」出版
1972年 1月 南極アルゼンチン・ベルグラーノ基地周辺を偵察 帰路アコンカグア南壁を試登
31歳 9月4日 グリーンランドのシオラパルクに入り、イヌイットと共同生活に入る
(南極大陸横断のための気候順化と犬ゾリ訓練が目的)
1973年 32歳 2月4日 北極圏3000kmの単独犬ゾリ旅に出発
(シオラパルクからウパナビックを往復し、4月30日に成功)
1974年 33歳 5月18日 野崎公子と結婚
7月「極北に駆ける」出版
12月29日 北極圏12000kmの単独犬ゾリ旅に出発
1976年 35歳 5月8日 コツビューに到着 長い旅を終える
7月31日 エルブース(5633m)に登頂
「北極圏1万2千キロ」出版
1978年 37歳 3月5日 北極点単独犬ゾリ旅へ向けてオーロラ号でコロンビア岬を出発
4月29日 北極点到達(単独犬ゾリ旅としては世界初)
5月12日 グリーンランド単独犬ゾリ縦断に出発
8月22日 南端のヌナタックに到着し成功
「北極点グリーンランド単独行」出版
1980年 39歳 8月13日 松田研一・阿久津悦夫と共に厳冬期アコンカグア第2登を果たす
1981年 1月27日 冬期エベレスト登頂を断念(植村が登山隊長)
1982年 41歳 「エベレストを越えて」出版
12月 南極大陸犬ゾリ横断とビンソンマシフ(5140m)登頂を断念
(フォークランド紛争のためアルゼンチン軍の協力が得られなくなる)
1984年 43歳 2月12日 マッキンリー冬期単独登頂に成功(世界初 43歳の誕生日)
2月13日 マッキンリー登頂の翌日、消息を絶つ