鶴 觜 山 (168m) 新宮町 25000図=「龍野」 |
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「觜崎の屏風岩」は、昨日の雨で水かさを増した揖保川の対岸に切り立っていた。一部が樹林に埋もれているが、川岸から鶴觜山の山頂まで、ほとんど垂直につながっている。割れ目に沿って入り込んだマグマが、そのまま固まり、その部分が周囲の岩石よりも硬いために風化・侵食から取り残され、屏風を立てたように地表に突き出ているのである。 屏風岩の立つこの鶴觜山(つるはしやま)は、播磨国風土記に「御橋山」として、次のように描かれている。 「大汝命(おおなむちのみこと)、俵を積みて橋を立てましき。山の石、橋に似たり。故れ、御橋山と号(なづ)く。」 橋は、はしごの意。天へ昇るはしごということだろうか。ほとんど一定の幅で山頂へかけ上る岩脈の姿や岩脈に見られる横の細かい割れ目(節理)は、そのまま俵を積み重ねた橋にも見えるし、はしごにも見える。 今から約1300年前、人々に神の存在が大きかった頃の記述である。しかしながら、今もなお、その記述が生きている屏風岩の姿である。 古宮天満神社の石段から上った。境内の左手の岩を上ると、尾根に出た。尾根の左は、揖保川の川底までほとんど垂直に切れ落ちている。尾根の岩の上、あるいはすぐ横のアラカシ、クヌギ、ツツジなどの灌木の中の踏み跡をたどって上った。林床には、ヒトツバの見事な群落が続いている。 凝灰岩のつくる岩盤の急斜面を上ると、屏風岩の頭頂部が壁のように垂直に立ちはだかっていた。高さ10m以上、西に大きく突き出ている。その岩を、右から回り込んで上ったところが鶴觜山のピークであった。 山頂から北へ、3つの峰をつなぐ稜線が緩やかに波打っている。稜線の下の山の斜面は、雨で洗われたみずしい若葉の緑でおおわれている。稜線上には、かすかながらも伐り開きがあるだろう。目の前の峰をつないで歩き、その先の峠へ下っていこう。 山行日:2002年5月10日
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揖保川に架かる觜崎橋の東のたもとに「觜崎磨崖仏」がある。ここに駐車スペースがあるので車を止め、磨崖仏を見てから歩き出す。すぐ近くにある古宮天満神社の石段から、鶴觜山の南尾根にとりついた。神社境内の左の岩を上ると、尾根道となる。尾根の左は、揖保川の川底までいっきに落ちる切り立った岩壁である。尾根上の岩の上を歩いたり、すぐ横の踏み跡をたどったりしながら進んでいく。大きな岩盤からなる急斜面を登ると、目の前に垂直に立つ大岩が立ちはだかる。「觜崎屏風岩」の頭頂部である。右に回り込んでこの岩に上ったところが、鶴觜山の頂上である。 鶴觜山の山頂から、北東へ続く低い稜線を歩く。200m+ピークを越えて、岩肌が大きく露出する斜面の上に大きな岩が積み重なった210m+ピークに達する。ヒトツバからコシダに変わった踏み跡をさらに進み、リョウブ・コナラ・ヒサカキ・ネジキなどから成る静かな樹林のピーク、263.2m(点名池ノ内)の三角点に達した。 そのまま、北東へいくつかのピークを越えて170m+の峠へ下り立った。この間、踏み跡は現れたり消えたりしているが、赤いテープと木の幹に塗られた銀のスプレーが道を教えてくれた。 峠道は、荒れ果てていた。車道に出て、鴨池・奥池・皿池を見て、「觜崎磨崖仏」に戻った。 |
■山頂の岩石■ 含石英ひん岩 「觜崎の屏風岩」は、割れ目に沿って入り込んだマグマがそのまま冷え固まった岩脈(dike)です。岩石は、含石英ひん岩です。 詳しくは、 岩石地質探訪『觜崎屏風岩』をご覧下さい。 |