砥峰高原〜峰山高原・暁晴山B(1077.2m) 神河町 25000図=「長谷」 銀の波揺れる砥峰高原から縦走路を峰山高原へ
秋が深まると、砥峰高原のススキが銀色に光り風に揺れる。今日は、中学校の総合学習の下見。同僚のO氏と二人で、砥峰高原のススキの中を歩き、峰山高原へと縦走した。
ひと登りすると、小さな丘の上の開けた場所に出た。縦走路はそこから、その丘の斜面をゆるくトラバースするように南に伸びていた。 黒土の道は細く、ススキをかき分けるようにしてして進んだ。ススキの中から人の声が少しずつ近づいてきては、急にその姿が目の前に現れた。リンドウやウメバチソウが、可憐な花をつけていた。 ときどき、ススキの間からあたりの風景が見えるところがあった。高原を埋めるススキの穂は、午後の陽射しに銀色に輝き、風が吹くといっせいにたなびいてざわざわと音を立てた。 展望台の下には、アキノキリンソウが黄色の花をつけていた。展望台に上ると、ここまで登ってきた砥峰高原が一望できた。ススキの波にうずもれるようにして、帽子や服のカラフルな色が小さく動いている。高原の向こうに、標高972.2m砥峰が座り、その奥に千町ヶ峰が稜線を重ねていた。 さらにススキの中を高原の一番高いところまで登ると、そこから杉林の中に入った。
杉林の中は、暗くしっとりと湿っていた。周囲が明るくなったところで車道と出合い、そこから再び杉林の中を進んだ。やがてスギの植林が途切れて、ミズナラ・コナラ・リョウブなどの自然林に変わった。
林から抜け出し、あたりが明るく開けると、そこが暁晴山の登山口だった。暁晴山へは、舗装された広い道が上っていた。山頂の東斜面を大きく曲がりながら徐々に高度を上げていく。見上げていた山頂の電波塔がしだいに大きくなってきた。 山頂の三角点は、電波塔の間にあった。午後4時、空は少しかげりが出てきたが、それでもまだ遠くまで見渡せることができた。氷ノ山は、山頂が厚い層積雲におおわれていた。そこから右へ、藤無山、妙見山、須留ヶ峰、千町ヶ峰、段ヶ峰、平石山、千ヶ峰、笠形山……。兵庫の名だたる山々が並んでいた。 南には播磨の山々が低く重なり、その向こうに家島諸島が播磨灘に浮かんでいる。小豆島は、雲間より射し込む斜光を浴びて、うすオレンジ色に浮かんでいた。 2週間後には、大河内中学校の生徒がこのコースを歩き、さらに峰山高原から中学校まで全長24kmを歩く。当日の好天と、全員の無事を祈ってO氏と二人で山を下った。
山行日:2010年10月6日
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とのみね自然交流館〜砥峰高原〜峰山高原〜暁晴山〜ホテルリラクシア前 | ||||||||||||||||||
砥峰高原から峰山高原までの縦走路は、ハイキングコースとしてよく整備されている。とのみね自然交流館に「大河内高原ウォーキングマップ」が置かれている。 | ||||||||||||||||||
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山頂の岩石 砥峰高原 → 後期白亜紀 川上花崗閃緑岩 峰山高原・暁晴山 → 後期白亜紀 峰山層 安山岩質溶結火山礫凝灰岩 |
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砥峰高原には、花崗閃緑岩が分布している。これは、白亜紀後期〜古第三紀に形成された山陰帯の花崗岩類の一つであり、川上花崗閃緑岩と呼ばれている。 新鮮な岩石は、砥峰の南麓、砥峰高原入り口手前の車道で見られる。灰色中粒の花崗閃緑岩で、主に石英・斜長石・アルカリ長石・黒雲母・角閃石から構成されている。砥峰高原では、この花崗閃緑岩の風化が進んで真砂化した露頭が見られた。 暁晴山には、火砕流堆積物としての安山岩質の溶結火山礫凝灰岩が分布している(峰山層、山元他(2002))。岩石は、暗灰色で強く溶結していて緻密である。普通角閃石(最大3mm)・斜長石(最大3mm)・石英(最大1mm)の結晶片が、微細なシリカ質の基質に含まれている。普通角閃石は、新鮮で、劈開面がよく光って目立つ。 この岩石は一見すると溶岩のように見えるが、白や黒のチャート・黒色頁岩・安山岩・流紋岩などの岩片を含んでいる。また、軽石が変化した緑色の本質レンズも観察される。 ※ 砥峰の地質に関しては、岩石地質探訪「砥峰高原の地質と地形」をご覧下さい。 |
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