飛ヶ丸(597.8m)~入炭山③(816.9m) 神河町 25000図=「生野」 医者どん道から飛ヶ丸を越えて入炭山へ map 飛ヶ丸の南麓には、大河と吉冨を結ぶ峠道があった。この道は、大河の木下順庵から始まる代々の木下家の医者が、山越えで往診に通ったために「医者どん道」と呼ばれた。また、大河と吉冨は共に吉冨池田家の領地であったことから縁組が多く、「お嫁さんロード」とも呼ばれていた。
この道を進むとすぐに次の標柱。標柱の脇から小道がついているように見えるが、ほとんど草木に隠れている。
緑色と黄色の混じったユズリハの大きな葉が、陽を透かしていた。ジョロウグモのクモの巣が続いた。ひろった木の枝でクモの巣を払いながら進む。
ゆるく登っていくと林道が現れた。林道は、ここへ四方から集まってきている。林道をそのまま横切ると、幹に白いペンキが塗られ、ピンクのテープが巻かれたヒノキが並び、その下に道があった。このあたりは、医者どん道か林業用の道かわからない。
さらに進むと、道があいまいになりシカネットにふさがれた。なんとかネットを乗り越えて進むと、草むらの中に真ん中から割れた白い説明板が横たわっていた。表題が「医者どん道」と読めるが、説明文はもう読めない。
ヒノキ林の尾根をシカネットに沿って登った。ヒサカキやイヌツゲなどは幼樹ばかり。ササは根元を残してシカに食いつくされて歩きやすい。
見上げると木々の間に空が見えた。あと少し・・・。急坂を登り詰めると飛ヶ丸の山頂に達した。
山頂から尾根を北へ行く。地面のあちこちでツルアリドウシが小さな実を付けていた。595mピークを越えるとヒノキ林から自然林に入った。タムシバの幹の白さが際立っていた。
尾根は自然林と植林の間に続いた。尾根道はだんだんあいまいになってきた。 急坂を登り切った580mピークは広い頂。地籍図根三角点を過ぎてひと登りし、下るとコル。コガラが鳴いていた。 コルからスギ林の中の急坂を登る。傾斜が緩くなると、尾根にはスギが並木のように両側に一列になって並んでいた。地面もやわらかで、その間を歩くのは気持ちが良かった。 750mピークに立つと、北西の風が吹き抜け木々の葉がざわめいた。 両側は深く落ち込んでいたが、尾根道はなだらかだった。ところどころに、岩が飛び出している。 802mピークでエナガの群れに会った。ここで尾根が合流し、巡視路の赤い「火の用心」の札が現れた。 植林の下の尾根道に、一頭のシカの足跡がしばらく続いた。 巡視路分岐から下って登り返すと、送電線鉄塔の下に出た。鉄塔の柱越しに暁晴山と夜鷹山が見えた。
鉄塔から入炭山山頂までは近かった。一面コバノイシカグマにおおわれた草地に反射板が立っていた。午後3時。反射板の下から見える山並みは、夕方の斜光を浴びて青くたたずんでいた。
山頂を飛んでいたヒメアカネが枯れた茎に止まった。そっと近づいてしゃがみこみ写真を撮っていると、そこから飛び立ってカメラを構えている私の手の甲に止まった。
山行日:2023年10月22日
スタート地点(播但道高架下)~医者どん道~坂の地蔵尊~飛ヶ丸山頂(597.8m)~巡視路分岐~鉄塔~入炭山山頂(816.9m)~巡視路分岐~ゴール地点 map |
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医者どん道は、はじめ林道と重なっている。2つ目の標柱から山道となる。はっきりと道が残っているところが多いが、一部で林道によって乱されていたり消えかかっているところがあった。 坂の地蔵尊から飛ヶ丸を経て入炭山までの尾根には、道があるところが多いがなくても歩きやすい。 入炭山からの下りは、送電線分岐まで戻り、そこから巡視路と林道を利用した。ゴール地点に置いていた自転車で、スタート地点の車へと戻る。 |
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山頂の岩石 飛ヶ丸 白亜紀後期 笠形山層 溶結火山礫凝灰岩 入炭山 白亜紀後期 峰山層 普通角閃石安山岩 |
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飛ヶ丸には、笠形山層の流紋岩質の溶結火山礫凝灰岩が見られた。石英・斜長石・カリ長石・黒雲母の結晶片と泥岩や流紋岩の岩石片をふくんでいる。風化面で、軽石がレンズ状に引き伸ばされた溶結構造が確認できる。笠形山層に特徴的な赤褐色をしていることが多い。 入炭山には峰山層の普通角閃石安山岩が分布している。暗灰色~緑灰色で、斜長石と少量の普通角閃石の斑晶をふくんでいる。割った面では、柱状の斜長石の劈開がキラキラと光る。 |
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