田倉山(宝山)(349.7m)   朝来市・福知山市  25000図=「直見」


火口跡の残る第四紀火山

田倉山スコリア丘

 田倉山は、朝来市の東端、京都府との県境にある標高350mの小さな山である。宝山とも呼ばれ、地形図にはこちらの名前が記されている。
 きれいな円錐形をしているのは、この山が今から約30万年前に噴出したスコリアが降り積もってできた火山であるからだ。山頂部には、その時の火口の跡がくぼ地として残されている。

 「やくの玄武岩公園」を訪れた後、この山の南東麓に開かれた宝山公園から登り始めた。宝山公園は、紅葉の名所であるが、その時期はもう終わっていた。丸太階段の続く山道を、モミジの落ち葉を踏んで歩くと、カサコソと乾いた音がした。
 T字路を左にとると、道はつづらになった。道に沿って植えられたナンテンが、赤い実をつけていた。

宝山公園を登る 名残の紅葉

 尾根が狭くなったところで、ふもとの茶堂から上ってきた石仏巡りの道と合流した。初めに現れたのは、赤い祠に祀られた二体の石仏。ここから立ち並ぶ石仏は、江戸期の文化年間に置かれたとされ、どれも古く歴史を感じさせた。
 標高325mで、林道と交差した。ここには、丸太で作られたベンチが置かれ、振り返ると南に展望が大きく開けた。正面に湯船山、右に小倉富士……。粟鹿山が、稜線を山頂まで長くせり上げ、午後の陽射しを浴びて燦然と立っていた。
 眼下には、周りをぐるりと山々に囲まれて、夜久野ヶ原が広がっていた。夜久野ヶ原は、玄武岩溶岩でおおわれている。田倉山をつくった噴火に先立つ火山活動によって流出した溶岩が、谷を埋めて地形を平らにした。

展望所から見る夜久野ヶ原 粟鹿山を望む

 この展望所から、ゆるく道が上っていた。もう左手のくぼみは、田倉山火山の火口跡。あたりにはカシワの木が多く、山道に大きな茶色の枯葉を落としていた。太いヤマザクラが立っていた。
 山頂は、落ち葉に埋まったなだらかな高みにあった。株分れした古いヒサカキの下に三角点が立っている。小さなお堂が建ち、その中にも外にもいくつかの石仏が祀られていた。

 山頂から火口跡の周りををぐるりと回ると、火口跡へ下る道があった。火口跡は、植林の中にあった。
 今からおよそ30万年前、スコリアや火山弾を噴き上げてこの山をつくったときの噴火口……。南側が大きく開析されて、それほど明瞭ではないが、地形図の上からでもそうと読み取れる。
 火口跡に立つと、植林されたヒノキやスギの幹の間から、火口壁と空との境界が北側にぐるりと見えた。

 もとの道に戻り、石仏の並ぶ道を朝来市和田山町へと下った。

石仏と落ち葉の道 火口跡

岩石地質探訪「田倉山火山とやくの玄武岩公園」
山行日:2009年11月23日
宝山公園駐車場〜夜久野側登山口〜64番石仏下展望所〜田倉山山頂〜火口跡〜和田山町側登山口〜宝山公園駐車場
 田倉山は、夜久野八十八ヶ所石仏巡りの順路として、また夜久野ヶ原を見渡せるハイキングコースとして親しまれている。
 石仏巡りの道は、南麓の茶堂から山頂を通って朝来市和田山町へ抜けている。今回は、宝山公園から遊歩道を登って、石仏巡りの道と出合った。
 林道と交差する64番石仏の下が、絶好の展望所である。火口跡へは、林道から登ることもできるし、石仏巡りの道から下ることもできる。
山頂の岩石 更新世 田倉山火山 田倉山スコリア層
展望所下のスコリア層
 中国地方から近畿地方の第四紀火山は、三瓶・大山・神鍋など、日本海側に点々と分布しているが、田倉山火山はその東端に位置している。
 田倉山火山は、37万年前頃に活動を始め、3回に渡って溶岩を流出している(小倉溶岩、衣摺溶岩、田倉山溶岩)。最後の田倉山溶岩(31万年前頃)の流出に引き続いて、大量のスコリアが噴出したが、田倉山はこのスコリアが堆積してできたスコリア丘である。
 田倉山の地表は、黒い土が覆っている。斜面の何ヶ所かで地表の土を取り除くと、その下のスコリア層を観察することができた。
 スコリア層は全体が赤茶色で、ハンマーで引っかいてみると、火山岩塊(最大10cm)や火山礫、あるいはスコリアが出てきた。どれも、風化が進み、一部土壌化している。

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