そうめん滝 火砕流でできた岩を水が走る 
(姫路市砥堀)

 
そうめん滝「岩滝」


1.そうめん滝

 姫路市、増位山の北を流れ市川に注ぐ砥堀谷川。そうめん滝は、この川の中流域にあります。
 そうめん滝とは変わった名前ですが、「なんでも昔、姫路城の殿さんが上流から素麺(そうめん)を流して下流でそれを食べたことがあるというのでこの名がついた」といわれています(「近畿自然歩道案内板」より)。

 砥堀の街並みを過ぎて山に入ったところに車を止め、そこから谷川に沿って歩きました。東南寺を過ぎると、「そうめん滝ハイキングコース」の入り口がありました。
 谷川にゆるくアーチになった橋が架かっています。その上に、不動明王と二つの童子の石仏をいただいた大岩が見えます。その大岩の脇を、水が勢いよく流れ落ちていました。
 橋を渡って、谷川の左岸を登っていきます。砂防堤を越えると、その上には砂礫が広がっていましたが、その先は再び岩の間を水が流れる渓流となりました。

 「そうめん滝」の標識が立っていました。落差わずか数十cmの落ち込みが何段か続き、その上を水が流れ落ちています。
 「これが、そうめん滝?」と思うかもしれませんが、そうめん滝とはここだけをさすのではなくて、砥堀谷川のこのあたり一帯に付けられた名前です。

 この上流には、平らな岩盤を水が滑るように流れる滑滝があり、そこを過ぎると「岩滝橋」が架かっていました。
 岩滝橋に立つと、その上流にあるのが「岩滝」です。岩の割れ目を水が走り落ちて、折れ曲がったところで岩にぶつかってはしぶきを跳ね上げています。
 ここが、そうめん滝のクライマックス。そうめん滝の一部ですが、「岩滝」と特別に名前がついているのです。

 この日は、前日までの雨で水量が増し、水の流れに勢いがありました。今日、ここで素麺を流したら殿さんは困ったでしょう。流れが速すぎて、素麺を取れそうもありません。だいいち、白い飛沫に隠れて素麺は見えそうもないのです。

不動明王の立つ大岩の下の流れ 「そうめん滝」の標識の立つ地点

2.そうめん滝は節理を流れる

 このあたりの地層は、「広峰層」と呼ばれています。今からおよそ8000万年前の白亜紀後期、火砕流が堆積してできた地層です(ジルコン・フィッショントラック年代 82.8±3.6Ma 山元他(2000)  龍野地域の地質 地質調査所)。

 火砕流とは、火山が噴火したとき、火山灰や軽石などが高温の火山ガスとともに高速で斜面を流れ下る現象です。
 1991年6月3日、長崎県の雲仙普賢岳で火砕流が起こりましたが、これは山頂の溶岩ドームの崩壊によって起こったごく小さな火砕流です。
 大規模な噴火では、高さ数kmまで上がった噴煙が崩れ落ちて火砕流となって、火口から数十kmもの距離を走りながら、谷を埋めつくし、丘を乗り越え、あたり一面を厚い火山灰や軽石でおおってしまいます。このような巨大火砕流を起こした火山は、その後地表が陥没してカルデラをつくります。そのカルデラも、続けて起こった火砕流で埋められていくのです。
 白亜紀後期、ここで起こった火砕流は、このような大規模なものであったと考えられています。

 そうめん滝をつくっているのは、このような火砕流でできた溶結火山礫凝灰岩という岩石です。
 溶結凝灰岩とは、火砕流で流れてきた火山灰(発泡した火山ガラス片)や軽石などが、熱と重さによって融け、自重で圧縮されてできた岩石です。火山礫とつくのは、この中に、小さな岩片が入っているからです。

 そうめん滝の岩石を見ると、縦横何方向かに割れ目が入っていることが分かります。
 この岩の割れ目は、節理と呼ばれているものです。火砕流によって堆積した火山灰などの堆積物が冷えるときに体積が減るためにできたものです(冷却節理)。
 この節理が、そうめん滝の流れに関係しているのです。

 「そうめん滝」の標識のあるところやその上の滑滝となっているところでは、水平方向の節理が発達しています。岩石が水平方向にはがれるように割れ、その上を水が滑るように走っています(写真下)。

滑滝
(水平方向に発達した節理面の上を水が流れる)

 岩滝では、垂直方向の節理が発達しています。その節理による割れ目を水が削り取り、細い流れとなって勢いよく流れているのです。岩滝橋の上から見ると、節理による割れ目と水の流れが同じ方向であることがよく分かります(写真下)。

岩滝
(垂直方向の節理を削って水が流れる)

3.そうめん滝の岩石

 そうめん滝の岩石を観察してみましょう。

 水の流れが岩盤を磨いて、観察しやすくなっています。岩は青みがかった灰色をしていますが、その中に大小の岩片(異質岩片)がふくまれていることに、すぐに気がつきます。
 これらの岩片は、火山噴火が起こったときに、火山の周りにあった岩石が粉々に壊れ、火砕流といっしょになって流れて混じったものです。
 岩片の種類は、珪質砂岩・珪質泥岩・黒色頁岩・チャート・流紋岩・玄武岩などがあります。数cmのものが多いですが、30cmを越える大きなものもあります。

 また、岩石の表面をよく見ると、長さ数cm〜数mmの薄くレンズ状に伸びた模様が見られます。これは、火砕流で流れてきた火山灰(発泡した火山ガラス片)や軽石などが、熱と重さによってその一部が融け、圧縮されて横に押し広げられてできたものです。このようなつくりを、溶結構造といいます。

 岩石は、強く溶結していて硬く、ハンマーでたたいてもなかなか割れません。それでも、割ってみて、その面をルーペで観察すると、岩石の細かいつくりがよく分かります。
 外からではわからなかった、1cm以下の小さな岩片がたくさん入っています。また、大きさ1mmほどの白い点が目立ちますが、これは斜長石の結晶片です。斜長石以外には、カリ長石や石英の結晶片が入っています。

そうめん滝の岩石
白や黒の異質岩片を多くふくむ
小さな白い点は、斜長石の結晶片
採取した溶結火山礫凝灰岩
下の黒い岩片は黒色頁岩
標本横5.5cm

4.姫路城石垣の石切丁場跡

 このあたり一帯は、姫路城石垣の石材を切り出した石切丁場となっていて、その跡を見ることができます。
 その一つが、砥堀の住宅街から砥堀谷川沿いの道に入ったところ、東南寺の手前にあります。ここには、その説明板が立ち、そのうしろの大きな岩の上に長方形の「矢穴」が残っています。
 岩の割れやすい方向にくさびをいくつも打ち込んでいくと、それに沿って岩を真っ二つ割ることができます。「矢穴」は、そのときくさびがうちこまれてできた跡です。
 この岩は、何か都合の悪いことがあって作業が中断され、ここに残されたと考えられます。

 また、ここから南に600mほど離れた春川神社の境内にも、「矢穴」の跡が残された岩があります。この岩は、1976年の台風17号による豪雨災害の復旧作業で、神社横の戸谷川から掘り出されたもので、災害の記憶を残す記念石として保存されているものです。

矢穴の跡(砥堀谷川) 矢穴の跡(春川神社)

■岩石地質■ 溶結火山礫凝灰岩(白亜紀後期 広峰層)
■ 場 所 ■ 姫路市砥堀
■探訪日時■ 2019年7月15日