鹿野断層    鳥取県鳥取市  
1943年鳥取地震で地表に現れた地震断層

 地震は、地下で断層がずれ動いて起きます。大きな地震が浅いところで発生すると、その断層(震源断層といいます)が地表にまで達することがあります。このとき、地表に現れた断層を「地震断層」、あるいは「地表地震断層」といいます。
 有名な地震断層としては、根尾谷断層(濃尾地震、1891年)や野島断層(兵庫県南部地震、1995年)などがあります。
 鳥取市には、そのような地震断層が今も保存されているところがありました。

地震断層と震源断層
松田時彦「活断層(岩波新書、1995)」より


鹿野断層が保存された水路

 鳥取地震は、1943年(昭和18年)の9月10日に起こりました。この地震によって地表に現れたのが、鹿野断層です。
 鳥取市鹿野町末用(すえもち)に、この断層が保存されている場所があります。

鹿野断層の位置 鹿野断層見学地の地図
両図とも、山陰海岸ジオパーク散策マップ「鹿野城下町コース」より

 そこでは、民家の前を流れる水路が断層のところで食い違っているのです。
 水路はほぼ南北に流れていますが、断層のところで東西に1.5mずれています。また、断層の北が0.5m沈下しています。水路の横壁や底には石が張ってあるので、そのずれは今でもはっきりと見ることができました。

鹿野断層よって食い違った水路
写真にマウスをのせると断層が表示されます

 地面が横にずれる断層を「横ずれ断層」といいますが、鹿野断層は断層のこちら側に立ったとき、反対側が右に動いているので「右横ずれ断層」ということになります。
 断層をはさんで、北に立ったり南に立ったりしながら、そのことを確認しましょう。

 鹿野断層は、長さ約8kmの右横ずれ断層ですが、上下のずれについては珍しい断層です。断層の西半分では断層の北側が落ち(最大75cm)、東半分では断層の南側が落ちて(最大50cm)いるのです。このような断層を、「蝶番(ちょうつがい)断層」といいます。双六原あたりで、上下方向のずれが0となっています。

断層の分類 酒井治孝「地球学入門(東海大学出版会、2003)」より

 この水路は、鹿野断層のずれを確認できる唯一の場所として、鳥取県の天然記念物に指定されています。
 水路には今も使われているようで、勢いよく水が流れていました。

鳥取地震

 鳥取地震は、1943年(昭和18年)9月10日17時36分に発生しました。鳥取県東部を震源とする地震で、マグニチュード7.2、最大震度は6でした。

 この地震での被害について、岡田義光「最新 日本の地震地図(東京書籍2006)」に、
 「鳥取市を中心として、死者1,083人、負傷者3,259人、家屋全壊7,485人、半壊6,158人、全焼251などの被害を生じました。被害は軟弱な地盤が広がる鳥取平野に集中し、とくに鳥取市での被害が全体の約8割を占めています。鳥取市内の12ヵ所から出火があり、そののち、さらに4件の出火が加わりました。このほか、道路の損壊55、橋梁の損壊19、堤防の損壊42、工場の全壊70などの被害があり、鉄道被害や地割れ、地盤の液状化現象もいたるところで見られました。」
と、記されています。

鹿野城下町

 前日は雨の鳥取砂丘を歩き、夜、鹿野温泉で源泉かけ流しの湯につかりました。
 この日は雨が上がり、鹿野断層を見たあとに、鹿野の城下町を歩きました。
 鹿野城跡のまわりには、城下町の街並みが残っています。鍛冶町通りや下町通りには、京風の格子構えを備えた町屋が並んでいました。
 この町屋の基礎に使われているのが、「鷲峰石」です。この石は、この町をふもとにつつむようにそびえている鷲峰山(じゅうぼうさん)の安山岩です。

町屋の基礎に使われている鷲峰石 鷲峰山

 街並みに残る「牛つなぎ石」や「馬つなぎ石」は、ここが往時、交通の要所であったことを偲ばせてくれます。幸盛寺には、尼子氏の再興に生涯を賭けた山中鹿介の墓がありました。
 小さな城下町でしたが、ジオパークの散策モデルコースになっていることもあって、平日なのに観光客もちらほらと。
 古い街並みを残しながら、町全体で訪れた人たちをあたたかく迎えるという雰囲気が感じられ、歴史や文化の情緒を楽しみながらの街歩きとなりました。