暁晴山⑧ (1077.1m)  神河町    25000図=「長谷」


中坪峠から暁晴山を経て1054m峰へ
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暁晴山山頂

 中坪峠は、神河町上小田と宍粟市中坪を結んでいる。峰山高原への道が大きくカーブを切ったところにこの峠道の入口がある。人の行き来が絶えて久しいこの道が今どうなっているのか、一度歩いてみたいと思っていた。

 カーブミラーの脇から谷に入った。谷を流れる沢に沿って、峠道が残っていた。あたりはスギ林で、道にはスギの枝葉が積もっている。落ち葉の間からミヤマカタバミが葉を出していた。
 左岸から右岸へと沢を渡った。ロックフォールを左に見て進むと、道の下にていねいに石垣が組まれていた。この峠道が大切な道であったことが偲ばれる。
 傾斜が急になると、道はつづらになった。フタリシズカの花序は葉の上に倒れて、ふくらんだ果実を並べている。
 やがて道は沢と分かれて、左の斜面を上っていった。大きな岩の間に道はつづらに続いた。つづらになっても、道の下のところどころに石垣が組まれていた。木の上で、アオゲラが鳴いた。
 

 中坪峠入口 中坪峠への峠道

 スギの林内は暗く、ほとんど光が当たらない。林床に草木が生えないので、道が残ったのかもしれない。峠を越えての行き来がなくなっても、杣道として林業にたずさわる人が歩いていたのかもしれない。
 尾根に達すると自然林に変わり、林内が明るくなった。それでも、峠道ははっきりと残っていた。

 中坪峠では、三方からの作業道が交わっていた。ここが峠であったことを示すものは何もない。「峰山⇔雪彦山」と縦走路を示す古い道標が、一本の杉の木に打ちつけられていた。

中坪峠

 峠から尾根を北へ向かった。倒木をおおうコケの間に、ニカワホウキタケのオレンジ色が際立っていた。
 917.7m三角点は、防獣ネットの向こう側。ススキの葉の間に標石は隠れ、白い標柱だけが見えた。
 ネットの向こうに、東から南への展望が広がり、飯森山や笠形山の山型を望むことができた。


 ニカワホウキタケ

 いったん尾根の西に続く作業道を歩き、再び尾根に入った。いくつもの大きな岩が地面に顔を出し、岩石庭園をつくっていた。風化に残ったコアロックが、寒冷期の「凍上」という現象で地上へと押し上げられたと考えられる。

岩石庭園(凍上で現れた岩石)

 1015mピークの手前で土塁が現れた。
 砥峰高原から峰山高原にかけて、総延長約15kmの土塁が築かれている。つくられたのは明治20年頃。陸軍の軍馬の放牧や射撃の訓練のためにつくられたとされている。しかし、資料が乏しく、実際にどの程度使用されたのか、よくわかっていない。
 土塁は当初、高さ2m、幅2mあったが、今では風化が進み低くなっている。林道をつくるなどで壊されたところも多い。

 1015mピークにはススキが広がっていた。ススキの穂の上に、暁晴山、峰山、夜鷹山と峰山高原を囲む山々が見えた。

1015mピークより暁晴山を望む

 土塁の上はアセビが繁茂していて歩けない。土塁の下を、土塁に沿って進んだ。ススキを分けていると、シカがすぐそばから飛び出した。
 土塁は、浅い谷に流れる小さな沢にぶつかった。沢に沿って、長さ20m、幅最大5m程度の小規模な岩塊流が見られた。

岩塊流

 岩塊流の上から西へ進み、コンクリートの壁をよじ上ると林道に出た。
 林道を進み尾根に入ると、南から土塁が延びてきていた。土塁に沿って、コナラやリョウブ、アセビの林をまっすぐに登っていく。
 傾斜が緩くなり林を抜けると、青空をバックに電波塔が立っていた。

暁晴山山頂へと続く土塁

 暁晴山の山頂には、いつもながらの胸のすく眺望が広がっていた。黒尾山、後山、東山、三室山、沖ノ山、氷ノ山・・・、まだまだ・・・まだまだ・・・。
 山々の連なる光景はいつまでも見飽きない。

暁晴山山頂から東の眺望

 山頂の周りにはススキが穂をつけていた。ススキの上をジャノメチョウやキアゲハが飛ぶ。ナツアカネもあちこちで飛び立ってはススキの葉に止まった。
 ススキの間にキオンが咲いていた。キオンを撮ろうとススキの中にしゃがみこむと、青空に雄大積雲が浮かんでいた。
 過去126年で一番暑い夏が、まだ続いている。しかし、標高1000mを越すこの山頂は少しだけ季節が進んでいた。

ジャノメチョウ キアゲハ
 ナツアカネ ススキとキオン

 巨大ジャングルジムの向こうに見える丘がこれからめざす1054mピーク。その上に、千町ヶ峰がおおきくかぶさっていた。
 ジャングルジムの裏から、ススキを分けて「山笑う登山口」への道に入る。ミズナラ林の登山道を下った。


1054mピーク(背後に千町ヶ峰)

 951mコルからの境界尾根は少し手ごわそうだったので、北への作業道を進んだがすぐに終点となった。少し戻って、境界尾根をたどることにした。
 そこにはカラマツ林が広がっていた。カラマツの落ち葉が厚く積もった地面はふわふわと気持ち良い。松ぼっくりも小さくて愛らしかった。


カラマツ林

 カラマツ林がヒノキ林に変わった。地表には凍上で現れた岩が散在している。土塁が西から延びてきていた。土塁は1m足らずの高さで、コケにすっぽりとおおわれている。
 土塁を横切って進むと、今度は境界尾根に沿って土塁が現れた。この土塁に沿って進んだ。

 コケにおおわれた土塁 土塁のシッポゴケ

 土塁の上や横にはアセビが繁茂していて、ところどころでヤブ漕ぎをしなければ前へ進めなかった。
 1054mピークは土塁の上。暁晴山や夜鷹山とほとんど標高がちがっていないのに、このピークには名前も三角点もない。アセビの中に立っていると、蚊や小さなハエやが集まってきてまとわりついた。
 土塁はこのピークからさらに東へと下っていたが、境界尾根を北へ下った。

山行日:2023年9月3日

スタート地点~中坪峠~917.7m峰~1015m峰~暁晴山(1077.1m)~951mコル~1054m峰~ゴール地点 map
 中坪峠への道は残っている。中坪峠から暁晴山を経てゴール地点までは、神河町・宍粟市境界尾根を進む。おおむね切り開きがあったが、一部ヤブ漕ぎが必要であった。
 ゴール後は、置いていた自転車で林道を走りスタート地点へと戻った。

山頂の岩石 白亜紀後期 峰山層 溶結火山礫凝灰岩
溶結火山礫凝灰岩(951mコルの北)
(風化面は岩石片が飛び出している)
 スタート地点から中坪峠までは、花崗閃緑岩が分布している。上小田岩体の周縁部にあたり、中粒~細粒である。
 暁晴山をふくむ境界尾根には、安山岩質の溶結火山礫凝灰岩が分布している。白亜紀後期、峰山層の火砕流堆積物である。
 この溶結火山礫凝灰岩は、斜長石・普通角閃石と少量の石英・黒雲母の結晶片をふくんでいる。斜長石は緑簾石などに変質しているものが多い。普通角閃石は劈開面が光って目立つ。
 大きさ2,3cm~数mmの流紋岩・チャート・黒色頁岩などの岩石片に富むところがある。岩石片は周囲より硬いため、風化面で飛び出している(写真左)。

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