ものいいだま・高星山②(1016.3m)・足尾山(898.6m)
神河町    25000図=「長谷」


ロックフォールを登り、大岩壁「ものいいだま」へ
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節理から壊れつつある岩壁とその下に広がるロックフォール

 「ものいいだま」・・・その岩場で声を出すと、岩に反響してえもいわれぬコダマが帰ってくる。それゆえ、「ものいいだま」と言われるようになった。「ものいいだま」とは、「物言い霊」、あるいは「物言い魂」か?

 「ものいいだま」を知ったのは、島田一志さんのホームページ「山であそぼっ」からであった。「高星山の中腹に大きな岩場があって、昔はその付近まで炭焼き窯があった。岩の上は平坦で、昼寝をしていると鷹に襲われたことがあった。」島田さんが川上の古老から聞いた話である。

 今回、清水お大師から「ものいいだま」を目ざし、そこから高星山、足尾山と巡った。このルートは、このあたりの山域に詳しいOさん(遥々無為のブログ)からいただいたマップを参考した。

 清水お大師にお参りし、水を両手のひら一杯いただいて出発。右手から清水お大師の裏を通って林道が上っている。

清水お大師

 最初の分岐を右に行くと、道はダンドボロギクとタケニグサに埋まり、その中にジャケツイバラが混じっていてもう進めなくなる。その道から谷へ抜け出したときには、朝露でびっしりと濡れていた。
 浅い谷の左側斜面は、ロックフォールで埋まっていた。ロックフォールとは、上部の岩壁が割れ落ちてその下の斜面をおおっている岩石の集積をいう。凍結破砕がさかんであった氷期に、主に形成されたと考えられている。

谷の左側斜面のロックフォール

 谷もガレ石で埋まっていた。岩の下から水の流れる音が聞こえてくる。谷の岩は、水流によって運ばれてきた。しかし、このように浅い谷の場合は崩落によるロックフォールと、水流によるガレ石とは一続きになっている。
 岩はコケにおおわれ、その上を木々の枝葉がおおっていた。
 岩塊に埋まる谷だけは植林されていない。岩の間に、ホオノキやケヤキが根を伸ばしている。チドリノキは、直角に開いた翼果を下げている。ヤマトウバナが小さな白い花をつけていた。
 木々はまばらなのに、空が雲におおわれてあたりは暗かった。
 ミンミンゼミが鳴いていた。カケスが鳴いた。シカの鋭い鳴く声が聞こえた。

ヤマトウバナ

 谷はどんどん広くなってきた。もう谷全体が厚く岩塊に埋もれていた。その幅は、50m以上もある。岩塊にはすき間が多く、足元でたびたび崩れ動いた。
 GPSで位置を確認すると、めざす方向から右へそれていた。ロックフォールを左へトラバースする。
 大きなケヤキが立っていた。太い根を岩の上から間へと伸ばし、大地に張りついて幾本にも分かれた幹を支えていた。
 サワグルミの幹は、縦に深い溝が入って貫禄があった。

ケヤキ サワグルミ 

 岩塊の中に、大きな露岩が現れた。節理が発達し、周囲から割れ落ち始めている。ロックフォールは、主に氷期につくられたと考えられるが、これを見ると現在もその形成が続いていることがわかる。

節理に沿って割れ落ち始めている岩塊

 ロックフォールを横切り、めざす谷まで来た。その上へも、ロックフォールはずっと続いていた。一つひとつの岩塊が大きくなってきた。岩を越えたり、間をくぐったりしながら上へと登っていく。

「ものいいだま」手前のロックフォール

 右手に切り立った岩壁が見えた。その岩壁の下へと移動する。標高790m。もう、ここが「ものいいだま」の下だった。岩壁を見上げると木々がかぶさっていて、どのくらいの高さがあるのかわからない。
 「あー!」大きな声を出してみた。よく響くような気がする・・・?
 ここから岩は、谷に沿って上へと続いていた。岩の左側を縁に沿って登る。標高830mで、岩はいったんくびれて、上の段の岩壁が現れた。
 そこを回り込んでさらに岩の縁を登っていくと、標高870mで「ものいいだま」の上の左端に達した。途中、横に割れて段をつくっているが、「ものいいだま」全体は高さが80mあった。

 「ものいいだま」の一番下の岩壁 「ものいいだま」の左縁に沿って登った 

 岩の上はテラスになっていて、そこに踏み跡がついていた。けもの道である。ここでは、獲物を追う必要がない。鉄砲を持って寝ていると、岩の上をシカやイノシシが通るからそれを打てばよい。これは川上の猟師から聞いたと人に教えてもらった話である。離れて寝ている仲間に話しかけると、声が大きく響いたという。
 けもの道をたどって岩の上を歩いた。岩は縦にも大きく割れていて、そこに垂直に落ちた岩壁をつくっていた。

「ものいいだま」の縦に割れた岩壁

 岩の上のテラスは、落ち葉に埋まっていた。たしかに昼寝ができるだけの幅がある。でも寝返りはできない・・・。
 岩壁の端から下を覗き込むが、真下を見るところまではこわくていけなかった。さらに進むと、岩が縦に割れて深い溝をつくっていた。
 島田さんも言っているように、岩の割れ目がつくるいくつかの岩壁で音が跳ね返り、こだまのように響くのかもしれない。
 オカリナを吹いてみた。吹き始めると、蚊がいっぱい集まってきた。虻もやってきた。追い払おうと頭を振ると音が乱れた。追い払うのをあきらめて、はじめから吹き直す。4日後の今も、からだのあちこちが膨れてかゆい。どれだけ音が響いたのか、今、まったく思い出せない。

 「ものいいだま」の上から下を見る  「ものいいだま」の割れ目にできた溝

 谷を源頭付近まで登り詰めて尾根に出た。966mピークは、細いスギの倒木だらけのピーク。そこから、尾根はヒノキ林に変わった。地面にはヒノキの落ち葉が積もり、歩くとふわふわと気持ち良い。
 主尾根に達したところで、一本のネジキに「足尾滝方面」の道標が来た方向を指していた。
 主尾根には、自然林が残されていたが、やがてアセビばかりになった。道はアセビによって消えてしまっている。山頂はすぐそこなのに、なかなか近づけない。
 GPSで山頂を探しながらアセビを分けていると、ぽっかりと小さな空間が開いていた。三角点がそこに埋まっていた。
 大気は湿っていた。積雲の周囲はぼやけ、その間の空も白くかすんでいる。西に太田池が見えた。

高星山山頂  高星山山頂より太田池を望む

 高星山の山頂を脱出するのに、また苦労した。登ってきた分岐を通過して、尾根を南へ下った。
 尾根はゆるく広がって、ほとんど傾斜がない。高星高地である。地形図で見ると、そのあたりは等高線の間隔が広いので、白っぽく見える。
 この山上の平らな地形は、(化石)周氷河斜面と呼ばれる地形。凍結破砕は、気温の低い高所でより激しく起こる。山頂部や突出部の岩石は破砕によって細かく割れ、そこで生まれた大小の岩塊、小石や砂が滑り落ちて山上の凹部を埋めた。その結果、このような起伏の少ない高原状の地形がつくられた。
 尾根に沿った小さな流れがあった。その流れが削り出したところに、高原の大地を埋めた岩塊が表れていた。

 湿地があった。緑色から茶色になったオオミズゴケが広がっている。コイヌノハナヒゲやシロイヌノヒゲ、ホタルイが生え、コケオトギリが黄色の花をつけていた。 

 高星高地の湿地 湿地に咲くコケオトギリ

 湿地の先のコルから南へ谷を下った。谷が合流し広くなったところから、スギ林の尾根を登った。スギの中に、一本のアカマツが枝分かれした幹を大きく広げていた。
 傾斜が緩くなり、スギから変わったヒノキの林を抜けると足尾山の山頂に達した。枯れたアカマツがオブジェのように立っていた。ヤマガラが鳴いた。

足尾山山頂

 足尾山を下った。ずっと植林の中、道はないがどこでも歩ける。下ったところはまだ、高星高地の中。起伏のないところに流れる小さな沢を4つ渡って、南に登った。乾いた大地をイワヒメワラビがおおっている。大きなミズナラが立っていた。
 ミズナラの先が820mピークだった。振り返ると足尾山が見える。南には、木々の間から長谷の体育館やプール、ホテルの屋根が見えた。JR播但線を走る列車の音が、ここまで上がってきた。

 820mピーク手前のミズナラ 820mピークより足尾山を振り返る 

 植林の下の急斜面を下って送電線鉄塔へ。
 そこから、スギの葉にうずもれかけた送電線巡視路を探しながら、林道へと下りて行った。

山行日:2023年9月16日

清水お大師~ものいいだま~高星山~足尾山~820mピーク~ゴール地点 map
 始めの林道、「ものいいだま」上のけもの道、尾根の切り開き、最後の送電線巡視路の他には道はない。高星山の山頂周辺はアセビが繁茂して、進むのがむずかしい。
 ゴール地点から、置いていた自転車に乗ってスタート地点へ戻った。

山頂の岩石 白亜紀後期 峰山層 溶結火山礫凝灰岩
 「ものいいだま」は、安山岩溶岩(峰山層下位層)でできている。暗灰色で長石と普通角閃石の斑晶をふくんでいる。風化面では、斜長石の斑晶が白く目立つ。また、風化面で流理構造が観察できる。
 この安山岩溶岩は節理が発達していて、節理によって割れ落ちやすい。この性質によって、「ものいいだま」の下に、膨大な岩塊からなるロックフォールがつくりだされた。
 高星山と足尾山の山頂付近には露頭がない。その周辺には、流紋岩質の溶結火山礫凝灰岩(峰山層上位層)が分布している。石英・斜長石・カリ長石・黒雲母の結晶を多くふくみ普通角閃石をともなっている。石英が酸化鉄によって赤く染まっていることが多い。

安山岩(溶岩)
送電線鉄塔付近(横22mm)
溶結火山礫凝灰岩(火砕流堆積物)
主尾根標高890m地点(横18mm)

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