1 瀬戸内海と日本海を結ぶ連絡路
本州でもっとも低いという地理的条件が、加古川と由良川をつなぐ船運の歴史をつくり出した。舟はゆるい勾配の流れを陸深くまで進み、2つの川の上流域は陸路でつないだ。
資料館の真ん中に、加古川を行き来していた高瀬舟の原寸大の復元模型が置かれている。米俵や酒樽を運んでいるが、積み荷は2トンまで載せることができる。
船乗りは3人、真ん中にいるのが「中乗りさん」だと教えてもらった。「木曽のな〜あ、なかのりさん」・・・。木曽節の「なかのりさん」の意味が初めてわかった。
資料館の2階には、実際に使われていた本物の高瀬舟が展示されていた。
高瀬舟(水分れ資料館2階)
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ここに運河をつくり、瀬戸内海と日本海を水路で結ぶという構想もあったが、それは実現しなかった。
この両水系をつなぐ細長い低地帯は『氷上回廊』と呼ばれ、昔から人・物・文化、そして動植物が行き来し、豊かな歴史を刻んできた。
2 日本の中央分水界
北海道、本州、四国、九州を貫く中央分水界が、大きなパネルに赤い線で示されている。
本州の中央分水界は、青森から山口まで1,800km。その中で、いちばん高いところが乗鞍岳の3026m、いちばん低いところがここ氷上町石生の95.45mである(末端以外)。
日本列島全体では、北海道の新千歳空港付近の13.7mがもっとも低い。
3 本州でもっとも低い中央分水界地形模型
正面のモニターで、ここ石生の地形のでき方や水の流れを説明してくれる。モニターの説明に合わせて、その前の大きな地形モデルの上に水が上がってくる。海水面が100m高くなるとここに海峡が出現し、本州が2つに分かれる。
4 「水分れ」生成のナゾ・・・地球は生きている?
氷上盆地のボーリング標本や地層の断面図などが示されている。かつて由良川は、現在の竹田川を逆流して石生付近を通り、加古川へ注いでいたという説(河川争奪)も紹介されているが、現在では異論が多い(兵庫の地理,田中眞吾,2007,神戸新聞総合出版センター)。
5 「水分れ」周辺の魚類の不思議
トゲウオの仲間は日本海側の川だけにすんでいるが、それが昭和の初め頃は加古川上流にもすんでいた。これはミナミトミヨと名付けられたが、今は絶滅してしまった。このことは、、加古川がかつて由良川と通じていた可能性を示している。
ミナミトミヨに限らず、加古川には北流系の魚類が多くすんでいる。
植物も氷上回廊をわたって分布を広げてきた。タニウツギは日本海側に分布しているが、兵庫では神戸市の六甲山まで自生している。
氷上回廊は、太古より生き物が行き交うルートであった。
周辺の地層や地形からみて、氷上回廊のでき方は次のように考えられる。
氷上回廊の低地部には、大阪層群の地層が厚く堆積している。新第三紀鮮新世からこのあたりでは大地が沈降し、そのころの海(第2瀬戸内海)が侵入して大阪層群の砂や礫が堆積した。
その後、大地は隆起に転じて陸となった。
最終氷期の今から2万年前ほど前、このあたりは湿原となって泥炭層をつくった。この湿原の上に、石生の東の谷から土砂が流れ込んで広がり、ここに扇状地をつくった。
その上を高谷川が流れて、高谷川のつくった自然堤防がこの付近で高くなり、谷中分水界をつくった。
※参考 水分れ資料館展示資料
兵庫の地理,田中眞吾,2007,神戸新聞総合出版センター
水分れ公園の手前の水路に、分水界が人工的につくられている。下の写真で、水は手前から向こう側へ流れているが、それが2つに分けられ、右が日本海へ、左が瀬戸内海へ流れていく。