水分れ資料館    丹波市  
本州一低い中央分水界、石生水分れ

 兵庫県の丹波市氷上町石生には、本州でいちばん低い中央分水界が通っている。その分水界と、そこに建てられた「水分れ資料館」を訪れた。

本州一低い中央分水界 ※画像にマウスを合わせて下さい
高谷川の自然堤防上につくられたこの道路の真ん中が
中央分水界(ガードレールの下が高谷川)


本州一低い中央分水界

 中央分水界とは、降った雨を日本海側と太平洋側に分ける境界線をいう。普通、分水界は山の稜線を通っているが、ここでは低地の平野の中を通っている。
 そのような分水界を「谷中分水界」と言うが、その標高が95.45mと本州の中でいちばん低いのである。

本州一低い中央分水界
「国土地理院地図閲覧サービス」を利用して作成しました

水分れ資料館へ

 分水界は、ここでは「水分れ」と呼ばれている。水分れ資料館は、中央分水界がここで本州一低くなっていることを記念してつくられた。

 水分れ資料館には、16年前に一度訪れていた。そのときのことが、なつかしく思い出された。
 その日は雨で、付近一帯が停電だった。館内も暗かったが、遠くから来たということで無料で中に入れてもらった。
 中の展示は、非常灯の明かりで何とか見えた。字は読めないので、デジカメでパネルを写し撮って、家に帰ってからそれを読んだ。
 小1だった娘は、闇に浮かぶ高瀬舟の船頭さんの人形を怖がった。妻は、暗い中で苦労して見たので、とても貴重な資料のようだと喜んでいた。

 今回は、もちろんばっちり明かりがついていて、展示の解説もしていただいた。
 
水分れ資料館
 
水分れ資料館の展示

1 瀬戸内海と日本海を結ぶ連絡路

 本州でもっとも低いという地理的条件が、加古川と由良川をつなぐ船運の歴史をつくり出した。舟はゆるい勾配の流れを陸深くまで進み、2つの川の上流域は陸路でつないだ。

 資料館の真ん中に、加古川を行き来していた高瀬舟の原寸大の復元模型が置かれている。米俵や酒樽を運んでいるが、積み荷は2トンまで載せることができる。
 船乗りは3人、真ん中にいるのが「中乗りさん」だと教えてもらった。「木曽のな〜あ、なかのりさん」・・・。木曽節の「なかのりさん」の意味が初めてわかった。
 資料館の2階には、実際に使われていた本物の高瀬舟が展示されていた。
 
高瀬舟(水分れ資料館2階)

 ここに運河をつくり、瀬戸内海と日本海を水路で結ぶという構想もあったが、それは実現しなかった。

 この両水系をつなぐ細長い低地帯は『氷上回廊』と呼ばれ、昔から人・物・文化、そして動植物が行き来し、豊かな歴史を刻んできた。

2 日本の中央分水界

 北海道、本州、四国、九州を貫く中央分水界が、大きなパネルに赤い線で示されている。
 本州の中央分水界は、青森から山口まで1,800km。その中で、いちばん高いところが乗鞍岳の3026m、いちばん低いところがここ氷上町石生の95.45mである(末端以外)。
 日本列島全体では、北海道の新千歳空港付近の13.7mがもっとも低い。

3 本州でもっとも低い中央分水界地形模型

 正面のモニターで、ここ石生の地形のでき方や水の流れを説明してくれる。モニターの説明に合わせて、その前の大きな地形モデルの上に水が上がってくる。海水面が100m高くなるとここに海峡が出現し、本州が2つに分かれる。

4 「水分れ」生成のナゾ・・・地球は生きている?

 氷上盆地のボーリング標本や地層の断面図などが示されている。かつて由良川は、現在の竹田川を逆流して石生付近を通り、加古川へ注いでいたという説(河川争奪)も紹介されているが、現在では異論が多い(兵庫の地理,田中眞吾,2007,神戸新聞総合出版センター)。

5 「水分れ」周辺の魚類の不思議

 トゲウオの仲間は日本海側の川だけにすんでいるが、それが昭和の初め頃は加古川上流にもすんでいた。これはミナミトミヨと名付けられたが、今は絶滅してしまった。このことは、、加古川がかつて由良川と通じていた可能性を示している。
 ミナミトミヨに限らず、加古川には北流系の魚類が多くすんでいる。
 植物も氷上回廊をわたって分布を広げてきた。タニウツギは日本海側に分布しているが、兵庫では神戸市の六甲山まで自生している。
 氷上回廊は、太古より生き物が行き交うルートであった。

氷上回廊の地形発達史

 周辺の地層や地形からみて、氷上回廊のでき方は次のように考えられる。
 
 氷上回廊の低地部には、大阪層群の地層が厚く堆積している。新第三紀鮮新世からこのあたりでは大地が沈降し、そのころの海(第2瀬戸内海)が侵入して大阪層群の砂や礫が堆積した。
 その後、大地は隆起に転じて陸となった。
 最終氷期の今から2万年前ほど前、このあたりは湿原となって泥炭層をつくった。この湿原の上に、石生の東の谷から土砂が流れ込んで広がり、ここに扇状地をつくった。
 その上を高谷川が流れて、高谷川のつくった自然堤防がこの付近で高くなり、谷中分水界をつくった。

 ※参考 水分れ資料館展示資料
      兵庫の地理,田中眞吾,2007,神戸新聞総合出版センター

水路につくられた分水界

 水分れ公園の手前の水路に、分水界が人工的につくられている。下の写真で、水は手前から向こう側へ流れているが、それが2つに分けられ、右が日本海へ、左が瀬戸内海へ流れていく。
 
人工的に作られた分水界
右が日本海へ、左が瀬戸内海へ

谷中分水界を歩く

 本州一低い谷中分水界は、水分れ資料館あたりから西へ1250m、石生交差点あたりまで続いている。これは高谷川の自然堤防上であるが、その上を道路が走るなどして、自然の形では残されていない。
 途中、水分れ橋のたもとにはモニュメントがつくられている。
 
水分れ橋のモニュメント
説明板も設置されている

 この谷中分水界の標高は、東から西に行くほど低くなっていて、その最低地点は石生交差点の近く、標高95.45mである。
 ここから中央分水界は、権現山に続く稜線へと上っている。
 
石生交差点

■ 場  所 ■ 丹波市氷上町石生1155  TEL 0795-82-5911
■ 開  館 ■ 9:00〜17:00(入館16:30まで)
■ 休  館 ■ 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
■ 入館料 ■ 大人200円  小中学生50円
■ 探訪日 ■ 2016年10月15日

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