今子浦の千畳敷とかえる島 (香美町) 1.かえる島の位置と地層 かえる島のある今子浦は、夏の海水浴や冬のカニで知られている香住浜の北東約3kmのところに位置しています。 今子浦は島や岬に囲まれた波の静かな入り江で、かつて北前船の寄港地として栄えました。現在は、海水浴や磯遊び、キャンプなどでにぎわっています。 ここでは、日本海拡大期に生まれた火山岩や火砕流堆積物などを観察することができます。
駐車場から砂浜へ下ると、三角形の黒島とその右手に座るかえる島の姿が目に入ります。その前に広がるのが千畳敷。千畳敷の背後の切り立った断崖は但馬赤壁です。ここには、北但層群八鹿層の今子デイサイト層(安野 2005)が分布しています。
2.千畳敷と但馬赤壁 海面近くに平らに広がる千畳敷は波食棚(海食台)、切り立った但馬赤壁は海食崖です。千畳敷は白っぽく、但馬赤壁は黒っぽい岩石でできています。これは、それぞれをつくっている岩石の種類がちがうからです。 千畳敷は、軽石を多くふくんだ火山礫凝灰岩からできています。但馬赤壁は安山岩でできています。どちらも、日本海拡大期の火山活動によって生まれた岩石です。 火山礫凝灰岩は軟らかく侵食が進んで波食棚になりました。一方、安山岩は硬いので海食崖をつくって波の侵食に耐えています。かえる島や黒島も安山岩でできています。 但馬赤壁は、初夏、夕陽を浴びて赤く染まることからこの名がつきました。
千畳敷の岩石は、表面が地衣類や藻類などにおおわれていて観察できません。千畳敷の入口近くに同じ岩石の露頭があるので、ここで見ることができます。 千畳敷の岩石は、軽石を多くふくんだデイサイト質の火山礫凝灰岩です。軽石は、押しつぶされて扁平なレンズ状の形をしています。岩石全体に風化が進み、軽石も変質しています。 比較的新鮮な軽石は、火山ガラスの繊維状のつくりが残っています。風化が進むと、軽石は濃緑色、さらに淡緑色と変化し、最後は真白い粘土鉱物の集合体になっています。粘土鉱物が酸化してオレンジ色になったものも見られます。 この凝灰岩は、大きさ1〜2cm程度の火山礫に富んでいます。火山礫の種類は、流紋岩〜安山岩・砂岩・緑色凝灰岩などです。10cmを越える火山岩塊もふくまれていて、大きさ1m×36cmの安山岩の火山岩塊も見られました。 この岩石は、火砕流によって生まれたもので、日本海ができるときの激しい火山活動を物語っています。
かえる島に向かって、千畳敷の上を歩きました。千畳敷には直線状の割れ目が走り、割れ目に沿って海水が入りこんでいます。この割れ目は、この火山礫凝灰岩に発達している節理です。 かえる島の手前で、千畳敷の岩石が途絶えて海が広がっていました。岩を飛び移るだけのジャンプ力はないので、残念ながらここでストップです。
3.かえる島 巨大なカエルの形をした岩の造形です。かつて、北前船で航海に出た男たちが、無事に帰る(かえる)ことをこの島に祈願したと言われています。今では、地域の人々の心のよりどころであり、人気の観光スポットとなっています。 カエル島をつくっているのは安山岩で、黒っぽく見えます。カエルの右脇腹が少し崩れています。この部分は、酸化して赤っぽくなっています。
今子浦の東に、北に突き出た岬があります。この岬の先端が大引の鼻で、駐車場から遊歩道がついています。 遊歩道をゆるく登っていきました。道の法面には、安山岩が見えています。灰色の安山岩で、白く変質した斜長石の斑晶が目立ちます。 遊歩道の右手(東側)は、深く切れ落ちた細長い峡谷です。地形から判断すると、断層による峡谷だと思われます。 大引の鼻には展望台がつくられ、目の前に日本海が大きく広がりました。海は濃い青色で、くっきりと水平線を引いています。 東は切り立った断崖がリアス海岸をつくっています。風のすくな穏やかな日でしたが、岩礁のまわりには白波が立っていました。
今から2000万年〜1500万年前頃、日本は大陸から離れて日本列島となりました。大陸と日本列島の間に生まれたのが日本海です。 激しい火山活動と、正断層による大きな亀裂・・・。今子浦の切り立った断崖や不思議な島の造形には、日本列島がアジア大陸の一部だった時代から今日に至るまでの日本海と大地の営みが刻まれています。
引用文献 安野敏勝(2005) 兵庫県北部香住町の第三系層序,香住町足跡化石調査報告書,5-25 ■岩石地質■ 新第三紀中新世 八鹿層 |