はさかり岩   (豊岡市竹野町切浜)

 尖った2つの岩塔の間に、直径3〜4mの丸い岩がはさまっているのが「はさかり岩」です。ここは、日本海に面した豊岡市竹野町の切浜。この地方では、はさまることを「はさかる」といい、この岩の名前の由来となりました。
 「はさかり岩」は、海食(波食)によって切り立った岩石海岸が続く但馬海岸を代表する景観として知られています。また、ユネスコの世界ジオパークに認定された「山陰海岸ジオパーク」のシンボル的な地質遺産のひとつとなっています。
 
はさかり岩
 


1.はさかり岩の景観

  はさかり岩は、海岸の道路から見ることができます。岩の東、200mほどの地点の道路脇に展望地があって、ベンチや説明板も備えられています。
 しかし、ここからは岩の両側の2つの岩塔が重なって見えます。そこから道路を岩に向かって進んでいくと2つの岩塔の間に海が見えて、その間に岩のはさまれた「はさかり岩」の不思議な光景を見ることができます。

 波が大地を削り取る力(海食)によって、切り立った崖(海食崖)や、その下に広がる水平な平地(波食棚)がつくられます。また、海食洞と呼ばれる洞窟ができることもあります。
 はさかり岩は、そのような波の力による侵食や崩壊によって、上から落ちてきた岩が偶然2つの岩塔の間にはさまってできた景観です。
 はさかり岩は、大地の営みと日本海の荒波、そして奇跡的な偶然が重なってできた自然の造形なのです。

はさかり岩と周囲の地層

 道路を進み、須井トンネルを抜けるとはさかり岩の西側に出ます。
 ここから、荒々しく入り組んだ海岸の姿や、この地形をつくる地層を見ることができます。

はさかり岩の西の海岸

2.はさかり岩の岩石と地層

 はさかり岩には、角張った白い礫が多く飛び出しています。黒色や茶色の礫もふくまれています。礫は、少し角が丸くなっているものもありますが多くが角張っています(亜角礫〜角礫)。このように、角礫が集まってできた岩石を「角礫岩」といいます。
 もう少し詳しく、この地層を観察してみましょう。道路からはさかり岩に下りるのは危険なので、須井トンネルの西側で同じ地層を観察しました。

はさかり岩の角礫岩

 この地層にふくまれている角礫の大きさは、1mを越す大きなものから数10cm〜数mmと大小さまざまです。 角礫の種類は、主に花崗岩と安山岩の2種類です。
 花崗岩は、カリ長石が斑状に入った優白質(石英や長石が多く、黒雲母などの有色鉱物が少ない)の花崗岩です。
 安山岩は、斜長石の一部は残っていますが全体的に変質の進んだ暗灰色の安山岩です。表面が酸化して赤くなった安山岩も見られます。
 花崗岩や安山岩の角礫のまわりを、淘汰の悪い(粒の大きさがそろっていない)基質が埋めています。基質は、火山砕屑物と土砂が混じり合った物質からなっています。

はさかり岩の地層 花崗岩礫(赤矢印)と安山岩礫(青矢印)

3.はさかり岩の角礫岩は崩落堆積物

 このような地層は、どのようにして生まれたのでしょうか。
 花崗岩や安山岩は、この地層ができた当時に地表をおおっていた岩石。それらが大規模に壊れて大小の角礫となり、ごちゃまぜとなってこの地層ができています。
 この地層ができたのは、今からおよそ2000万年前。日本が大陸から引きはがされて日本海ができた頃です。
 日本が大陸からちぎれて引き離されていくとき、断層によって陥没地形があちこちにできます。そのへこんだところには、断層運動や火山活動などの大地の変動によって壊れた岩石が崩落し、角礫岩として厚くたまっていきます。すなわち、はさかり岩の角礫岩は斜面崩壊による崩落堆積物だと考えられます。

大きさ1mを越える巨礫(赤矢印)

 ここに分布しているのは、辻礫岩層と呼ばれている地層です。辻礫岩層は、北但層群の中で、かつては豊岡(累)に属していましたが、現在では八鹿層に属すと考えられています。
 北但層群は、日本海が開いた約2500万年前〜1400万年前(新第三紀中新世)にできた地層で、激しい地殻変動や火山活動の痕跡を残しています。

■岩石地質■ 新第三紀中新世 北但層群
■ 場 所 ■ 豊岡市竹野町
■探訪日時■ 2024年9月24日