加西市 「五百羅漢」の石仏と岩石
五百羅漢の石仏
 『播磨国風土記』に記された意奚(おけ)・袁奚(おけ)の二人の皇子と根日女命の悲恋を今に伝える「玉丘古墳」、白雉元年(650年)法道仙人開基の名刹「法華山一乗寺」……加西市は、針間鴨国として早くから開けた地であった。
 ここでは、また、長石(おさいし)・高室石と称される石材が古から採られ、豊かな石の文化が育まれてきた。市内に、「五百羅漢」と呼ばれている石仏群がある。

五百羅漢の石仏
 縦長の直方体の胴に、丸く彫り込まれた頭が静かに載っている。額の下に切れ長の目、直線的な鼻、一本の線で描かれた口……のみの跡がそのまま残る素朴なつくりの顔は、深みのある表情でやさしく瞑想している。
 いつ、誰が、何のためにこれを造ったのかは、資料も確かな伝承も何ひとつなく、謎に秘められたままという。
 陽は西に大きく傾いて、木漏れ日がスポットライトのように数体の石仏を浮かび上がらせていた。
木漏れ日を浴びる石仏
石仏の岩石
 石仏をつくっている岩石は、黄土色をした凝灰岩である。加西市内の高室で採られた凝灰岩(高室石)ということであるが、岩片がほとんど含まれていない均質な岩石である。この凝灰岩をつくる粒(火山灰)は、細粒であり結晶片もあまり含んでいない。一見すると、壁土を練り上げたように見える。
 写真の石仏は、もっとも粗粒な凝灰岩で粒の大きさは1mm程度である。ほとんど石仏は、これより細かい粒でできている。
ほおのきれいな羅漢さん
五百羅漢
 石仏は、大きな木々の生えた寺の境内に所狭しと並んでいる。実際には430体前後であるという。風雨にさらされ、表面はかなり風化もしているが、造られた当時の姿が良好に保存されているといえるのではないだろうか。
 謎と魅力に満ちた五百羅漢の石仏群。初めて訪れた日から、しばらくの間、これらの石仏の姿が残像のように心に残った。 
五百羅漢の石仏群
■ 場  所 ■ 加西市北条町北条1293    TEL 0790ー43−0580
■ 開  館 ■ 9:00〜17:00
■ 休館日 ■ 年中無休
■ 探訪日 ■ 2001年10月8日

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