有馬温泉 お湯の起源と泉源巡り (神戸市)

 温泉せんべいに金泉焼、ありまサイダーに有馬麦酒・・・有馬温泉を歩くと、いつも華やいだ気分になれる。
 赤茶色の湯、金泉につかると、湯から出ても体がホカホカと温かい。有馬温泉の効能は多いが、これが一番の人気なのかもしれない。金泉には鉄イオンが多く含まれていて、温泉が地上に噴き出して空気に触れると酸素と結びついて水酸化鉄になる。この水酸化鉄が赤茶色の原因となっている。
 鉄イオンが多いことは有馬温泉の特徴の一つであるが、実はこれ以外にも有馬温泉の不思議な特徴がある。
 1つは、お湯の温度が98℃ととても高いこと。有馬温泉の近くに火山はない。地下水がマグマに熱せられて噴き出す火山性温泉では、この温度は珍しくないが、有馬温泉のような非火山性の温泉の多くは50℃以下である。
 もう1つは、その高い塩分濃度である。泉源の一つ極楽温泉の場合、塩化物イオンCl-(塩化物イオン)41.4g/L、塩化ナトリウム46.49g/Lである(上月順治 1962;有馬温泉の研究.p.118.日本書院)。塩化物イオンCl-濃度は海水(19g/L)の2倍以上ある。
 有馬温泉のお湯はどこから来たのか。これまで多くの研究者の関心を引きつけてきたが、最近になって大きく研究が進み、その起源が明らかにされつつある。有馬温泉の起源

 今回は、観光客で賑わう温泉街を、7つ泉源(金泉6、銀泉1)と3つの大岩を訪れ、有馬温泉の地下で何が起こっているかということに思いを巡らせた。

※有馬温泉観光総合案内所で『有馬温泉ウォーキングマップ』がもらえるよ。

1.仏座巖

 千成瓢箪と五七の桐が彫られた太閤橋を渡ると、仏座巖(ぶつざいわ)の案内板が立っていた。

 仏座巖は、その形が仏座に似た巨岩であって、日蓮宗の高層・元政上人が命名した。有馬を訪れた元政上人は、その滞在記「温泉遊草」の中で、『その上に菜畠を作り、なお、数十人を容れる余地がある』と、この巨岩を表した。
 文化9年(1812)6月25日の大洪水により埋没し、巨大な偉容は消え、現在の姿になったと言われている(現地案内板を要約)。

 案内板の後に、平らな岩が顔を出していた。直径5mほどの広さで、その周りが土に埋まっている。これが仏座巖の一部ということなのだろう。

 岩の表面は、凹凸が激しい。角礫凝灰岩のように見えるが、ハンマーが使えないので断定はできなかった。

仏座巖の一部と思われる岩

2.古泉閣泉源


 仏座巖の後に、櫓が組まれていた。ここが、古泉閣泉源。今は、ほとんど湯が出ていないようだった。建屋脇の小さな湯溜めに、水酸化鉄の浮かんだ茶色の水がたまり、そこからぷ〜んと硫化水素のにおいがした。

古泉閣温泉
3.袂岩

 古泉閣泉源の横にあるのが、袂岩(たもといわ)。しめ縄の飾られた高さ2.5mほどの大きな岩である。岩は、ピンクのカリ長石が入った中粒花崗岩であった。
 袂岩には、次のような話が残っている。

 昔、道場城の殿様が有馬の山で鷹狩りをした。そのとき山中で美しい乙女に出会ったが、これを怪しいと思った殿様は乙女に向かって矢を放った。
 そのとたんに、殿様は目がくらみ落馬してしまった。乙女は、湯泉神社に祭られる熊野久須美の女神だったのだ。
 矢を放たれて逃げながら乙女は袂(たもと)に小石を入れて身構えたが、殿様が落馬したことを知って、こここに袂の小石を捨てたとも、殿様に小石を礫(つぶて)のように投げたともいう。
 その小石が時とともに大きくなってこの巨岩になった(現地案内板を要約)。

袂岩

4.有明温泉

 赤い欄干の「ねね橋」と、そのたもとに立つ「ねね像」を見て、六甲川に沿った杖捨坂をぐんぐん登った。ぐんぐん登りすぎて、杖捨橋まで来てしまった。
 Uターンして、有明泉源を探した。有馬Cruise Villanoの下の道を登ると、突き当りにその有明泉源があった。
 後の櫓から古いコンクリートの建屋内にパイプが引かれ、パイプの先から湯がゴボゴボトほとばしり出ている。湯溜めには、水酸化鉄の茶色い膜が厚くついている。
 有明泉源は、標識も説明板も何もなかったが、泉源から湯が沸きだしている様子はここが一番よく見えた。

有明泉源 有明泉源から湧き出す温泉

5.天神泉源と天神社

 細い道を歩いていくと、「有馬天神社」の幟が何本も立つ天神社(天満宮)があった。境内に泉源があって、神社の石段も茶色に染まっている。
 泉源の櫓の横に円い給湯装置があって、その煙突やふたとして並べられた板の間からもうもうと白い湯気が上がっている。ゴ、ゴ、ゴーと中から湯の出る音が聞こえてきた。

 温泉の性質は、鉄イオンを含んだ塩分(塩化ナトリウム)濃度の高い「金泉」。温度は98℃、深さは206mである。

 給湯装置の湯気の立つところに、真白いものがついていた。それを手に取りルーペで見たが、塩化ナトリウムの結晶は見えなかったが、塩化ナトリウムなどの塩化物が晶出したものと思われる。なめてみるとしょっぱかった。

天神社と天神泉源 給湯装置に晶出した塩化ナトリウム

6.金の湯

 小さな峠を越えて金の湯へ。その前は多くの観光客で賑わい、金の湯へ次々と人が入っていく。自販機で入浴券(650円)を買って、二階の湯船に向かった。
 湯の色は赤茶色。手にすくってみると、小さな茶色の粒子がもやもやとたくさん入っていることが分かる。有馬では、このような湯を金泉と呼んでいる。
 茶色い粒子は水酸化鉄。地下から湧き出したときは無色透明だが、空気に触れると湯に含まれている鉄イオンが酸化して水酸化鉄になるのである。
 湯口から出る湯も薄く赤茶色に染まっていたので、すでに酸化が始まっているようだ。その湯を少し口に着けてみると、強い塩味がした。塩分濃度が高いことがすぐわかる。
 茶色の湯に白い湯気、ほのかににおう湯の香り・・・。なかなかいい感じ。体がほこほこ温まってきた。

 湯から上がって、休憩ロビーで有馬サイダーを買う。しまった。今日はもう車に乗らない。有馬麦酒を買うんやった!

金の湯

7.御所泉源

 金の湯から、階段道を登ると御所泉源があった。櫓から円い給湯装置へパイプが通され、ジャジャー、ジャジャーと勢いのよい音が聞こえてくる。湯けむりが立って、給湯装置のコンクリートのひび割れたところには塩化ナトリウムが白く付いていた。

 ここも、鉄イオンを含んだ塩分(塩化ナトリウム)濃度の高い「金泉」。温度は97℃、深さは165mである。

御所泉源

8.不動石仏

 御所泉源から不動坂に出た。不動坂を登っていくと、道の脇に「不動石仏」が祀られていた。花崗岩に不動明王と地蔵菩薩の二体の像が彫られている。
 不動明王は天文5年(1536)、地蔵菩薩は天文22年(1553)にそれぞれつくられたことが刻まれている。数度の大火にあって、多くがはがれ落ちているが、よく見ると、不動明王の左手や右足、右手に持つ剣がわかる。地蔵菩薩は、顔から肩にかけての輪郭や、右手に持つ杖が残されていた。
 花立てには新しいスイセンの花が挿され、石仏は今も変わらず大切に祀られていた。

不動石仏

9.行基像

 不動石仏の上に立っているのが行基像。奈良時代、行基上人は温泉で人々を病から救おうとこの地に温泉神社を開いた。
 行基像のうしろに、有馬温泉の歴史が書かれていた。

 神代の昔、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)のニ神が三羽のカラスが湧き出した泉で傷を癒しているのを見つけて温泉を発見したのが、有馬温泉の始まりだといわれている。
 「日本書記」にも、舒明天皇(631年)や孝徳天皇(647年)が御幸したとあり、日本最古の温泉とされている。
 奈良時代に行基上人が温泉寺を建立し、鎌倉時代には仁西上人が十二の宿坊を建てて、世に広く知られるようになった。
 太閤秀吉は、湯治のためにたびたび有馬を訪れ、戦乱や大火で衰退した有馬の改修を行い、湯山御殿を建てた。
 江戸時代になって、有馬には多くの人々が湯治に訪れ、有馬千軒といわれる繁栄をした。その繁栄がこんにちの礎となっている。(現地案内板を要約)

行基像

10.温泉寺・念仏寺・極楽寺と極楽泉源

 不動坂を登り切ったところに温泉寺が立っていた。すぐ近くに、念仏寺と極楽寺が並んでいる。どの寺も、有馬温泉の発展にかかわって繁栄してきた。
 極楽寺の裏にまわると、そこに極楽泉源があった。給湯装置から湯気が上がり、湯が湧き出す音が静かに聞こえた。
 極楽泉源は、太閤秀吉が造らせた湯殿へ金泉を送っていたといわれる泉源で、「願いの湯」と呼ばれていた。

 ここも鉄イオンを含んだ塩分(塩化ナトリウム)濃度の高い「金泉」。温度は93℃、深さは240mである

温泉寺 極楽泉源

11.湯泉神社

 温泉寺の右わきに、湯泉(とうせん)神社鳥居が立っている。この鳥居をくぐり、ずいぶん長い石段を登ると湯泉神社に達した。
 ここはもう愛宕山の中腹で、ここまで来ると人気も少なくなった。
 拝殿の前に立ち見上げると、屋根の下に三羽のカラスの彫刻。有馬温泉発見の伝説にちなんでいる。拝殿の右には子安堂があって、子宝を願う絵馬がたくさんかかっていた。
 
湯泉神社 三羽のカラスの彫刻

12.愛宕山

 湯泉神社境内の右手の道を登っていくと、梅林があった。梅は、白や淡いピンクの花をまだ残していた。
 梅林の脇に秀吉遺愛の「亀の手洗鉢」。有馬の湯を愛した秀吉は、ここ愛宕山でも有馬の四季を楽しんだという。
 愛宕山を周回する園路をジグザグに登っていった。ヤマガラがのどかにさえずっていた。展望台のある高みが、標高461m愛宕山の山頂だった。
 谷間に有馬の温泉街が見える。林のあちこちにタムシバが白い花をつけていた。タムシバがたくさん咲く年は有馬温泉が栄えるという話を、今日泊まるホテルで聞いた。南東には、谷を隔てて射場山が大きくそびえていた。

 山頂に露頭がないので、近くの転石をひろって観察した。
 岩石は、結晶質の火山礫凝灰岩で強く溶結している。石英と長石の結晶片を多くふくみ、石英は融食されているものが見られる。また、黒色頁岩の岩片をふくみ、軽石は緑色になってレンズ状に押しつぶされている(溶結構造)。
 この岩石は、有馬層群の玉瀬結晶質凝灰岩層にあたり、有馬温泉のほぼ全域をおおっている。温泉は、地表近くでこの岩体の中の断層を伝わって湧き出している。

愛宕山山頂 山頂付近の岩石

13.天狗岩

 山頂の少し下に、天狗岩があった。高さ2.5mほど、表面がゴツゴツした岩である。火山礫凝灰岩のようであるが、一部に流紋岩の自破砕溶岩のように見えるところもあった。
 ハンマーで割ってはいけない岩なので、地衣類のついた表面からしか判断できなかった。

天狗岩

14.虫地獄と鳥地獄

 愛宕山を南に下り、こぶし道を渡ったところにあるのが虫地獄と鳥地獄。二つとも噴気孔の跡である。かつては、ここから炭酸ガスが発生し、近づいた虫や鳥が死んだという。
 虫地獄にはいくつかの石が集められ、その下に小さな穴が開いていた。鳥地獄の跡を示す標石は、落ちてきたガレ石に半ば埋もれていた。

虫地獄 鳥地獄

15.炭酸泉源

 こぶし坂を東に進み、途中で細い道を下ると炭酸泉源。お寺風の屋根の下に、円いコンクリートに囲まれた穴が開いている。今は、ここからは温泉が湧き出していないようだった。
 その前に蛇口があって、ここで炭酸泉を飲むことができる。コップに汲んでみると、それは無色透明の澄んだ水であった。口に入れると、炭酸水のシュワーとする感じが味わえたが、それよりも硫黄臭が強くて、正直まずかった。
 昔は、この水に砂糖を入れてサイダーとして飲んだという。また、炭酸せんべいの名前の由来ともなっている。
 18.6℃、深さ13mの単純二酸化炭素冷鉱泉で、有馬では銀泉と呼ばれている。
 
炭酸泉源 コップに入れた炭酸泉

16.妬の湯跡と妬泉源

 タンサン坂を下って、いよいよ今日最後の泉源へ向かった。
 赤い鳥居の小さな妬(うわなり)神社の脇にあるのが妬の湯跡。穴には金網がかぶせられている。この温泉は間欠泉で、湯の量は少なく、昭和30年代に湧出したあとは湧いていないという。
 妬(うわなり)とは、ねたむこと。この名前に、どのような由来があるのだろうか。
 女子が盛装してこの温泉の前に立つと激しく湧いて止まらないとか、自分の憎い心や悪口を言ってののしればたちまち湧くと江戸時代の本に記されている(現地案内板による)。

 妬の湯の裏手、民家の間にあるのが、現在の妬泉源である。音をたてて盛んに湧出し、白い湯けむりが勢いよく出ていた。

妬の湯跡 妬泉源

17.有馬温泉の起源

 有馬温泉は、酸素ー水素同位体比やヘリウム同位体比から、マントル中に沈み込んだ海洋プレート(スラブ)に由来すると考えられるようになった。
 一般的な温泉は、地下3km程度の深さから噴き出すが、有馬温泉の湯は深さ60kmのマントルからやってきたのである。
 深さ60kmの温度は600℃ほど。それが地表に達した時に98℃の高温となる。

 では、どこを通ってやってきたのだろう。その温泉の通り道は、地殻では有馬を走る活断層、有馬高槻構造線。この活断層に沿って、西から東へ五社温泉、有馬温泉、宝塚温泉と並んでいる。この活断層が、地表に温泉を導いた。
 そのもっと下はどうなっているのか。近畿地方の下にはフィリピン海プレートが沈み込んでいるが、このプレートが紀南海山列の延長線に沿って断裂していることが明らかになっている。この断裂に沿って、温泉が上昇しているとの議論がある。

 地下60kmから湧き出す水(温泉)はどのように生まれたのか。もちろん、そのような深さに地下水などは流れていない。
 海洋プレートの岩石は、海水と反応して鉱物の中に多くの水を取り込んでいる。この海洋プレートが海溝から日本列島の下に沈み込んでいく。地下深くなるにつれて、温度や圧力が高まり、角閃石や蛇紋石などの鉱物が脱水分解して、水を放出する。この水が、有馬温泉の起源と考えられるのである。
 最近、1991年フィリピン・ピナトゥボ火山から噴出されたマントル捕獲岩(かんらん岩)から、海水より塩分濃度の高い水が発見された。大きさにしてわずか0.03mm。この粒状に含む含まれる水が無数にあるとしたら、それは大きな量となる。この水が、海洋プレートから放出された水の可能性があるという。

 多くの温泉は、地表近くの地下水が火山活動によって温められたものであるが、有馬温泉は太平洋から日本列島の下に沈み込んだ海洋プレートから生まれているのである。その起源は、プレートに閉じ込められた太平洋の海水。
 海溝から沈み込んだプレートが地下60kmに達するまで約600万年。600万年前の海水が、有馬温泉の湯となって湧き出し、人々の体を温め、心を癒しているのである。

参考文献
 西村進,桂郁雄,西田潤一(2006):有馬温泉の地質構造,温泉科学,56,3-15
 益田晴恵(2011):地球深部の窓ー有馬温泉,温泉科学,61,203-221
 テレビ朝日 奇跡の地球物語〜近未来創造サイエンス〜『有馬温泉 名湯を生む地球エネルギー』 2013年12月1日放送


■岩石地質■ 有馬層群 玉瀬結晶質凝灰岩層
■ 場 所 ■ 神戸市有馬 25000図=「有馬」
■探訪日時■ 2016年3月26日