ノチェットの港
The Port of Nochet
Michael O'brien著
以下は許可のもとに翻訳したもので、いかなる意味でも悪用、剽窃、その他許可なしの利用は禁じられています。
ノチェットは人口最密のエスロリア最大の都市であり(人口は10万人を数えるそうです)、マニリア最大の都市でもあります。以下はMichael O'brien氏が彼独特の調子で、この都の港の繁栄について語ったものです。
原記事は著者のMichael O'brien氏のページにあります。
http://members.ozemail.com.au/~mrmob/portofnochet.html
地図はDario Corallo氏の描いたものです。
http://members.ozemail.com.au/~mrmob/portofnochetmap.html
ノチェットの港
聖王国独特の地勢は水運に向いている。幅の広い緩やかな川がいくつも広大な静かな水域、「鏡の海」に流れ込み、聖王国六国のうち五国の岸が折り重なって面している。 コラリンソール湾としても知られる鏡の海は伝説の時代から透明な水で高名であった。その広く、概して影の多く光がさしこみ、 (10から30メートルの水深)暖かい水は海の命にあふれている。 鏡の海じゅうで運行しているボートはたいてい平底でオールで漕がれているが、それは鏡の海は上空の風も非常に穏やかで帆走には適していないからである。
はしけの船頭たちは櫂の漕ぎ手の必要や出費に悩むのかもしれないが、彼らはオーランスの風が「嵐歩みの山脈」から吹き降ろされて波を荒らす嵐の季だけにしか鏡の海の航行が危険な時期がないことに感謝してもいる。年の残りの期間、 ボートは安全に動ける。ノチェットの都は「鏡の海」を取り巻く多くの町で最大の都市であり その港も最も忙しく繁栄している。「港」 はおそらく不正確な表現だが、それはドックや波止場が大規模な海運船舶のために備えられているにしても 大部分の川のはしけや平底船はライソス河口に広がる砂浜に船を揚げるほうが楽だからである。
この区域は岸に揚げられた船の中や周りで常に騒がしい。漁師は網を日干しし、修理するし、もしくは都の市場に仕出しするために漁獲を値切ろうとする仲買人と掛け合ったりしている。船大工たちは職人チームに命令を下して修理をさせたり、(近年のルナーの侵攻以来、名高いヒョルトランドのオーク材は入らなくなってしまっている。)はしけで運ばれてきたロンシLongsi(訳注1)の松材を使って新しい船を作ったりしている。 運送屋や荷運びは車に2キロほど離れた都に入れる魚や交易品を積み込んだり、外国の市場で売られることになる平底船の積み荷を下ろしたりしている。港に上がった船乗りたちは群衆の集まるところ、あるいは離れたところで行商人や乞食、売春婦たち(なぜなら港では売春婦は都の他の場所と違って非難されることなしに商売できるからだが、)に追い回されている。櫂の漕ぎ手は波止場に船が錨を降ろしたところで新入りの仲間や船を求める旅人を募っている。子供が喧噪の中と外を走り回りいたずらを仕掛ける。
守備隊の三人組が(この時期はヒョルトランド人の傭兵らしく、もじゃもじゃのあごひげと軽蔑的な仕草で見分けがつく)治安を守るためにあたりを巡回し、たまには君主たる「太母Matriarch」の何らかの使命を帯びて「斧の乙女たちAxe Maiden」のひとりがいるところを見出すかもしれない。(訳注2)彼女の風貌は蛮族の護衛たちよりもさらに軽蔑的で、彼女の愛する都市やその周辺の土地と違って、男が支配しているようであるちっぽけな世界を押し通る。群衆を厳しく、しかし透徹した目で見おろしているのはファラオで、彼の像は砂岩に彫り込まれ、彼の外観の重厚さがその彫像が目立って傾いて砂の中に滑って埋まっていることを妙に滑稽にしている。
ファラオ像の後ろには小規模な防波堤があり、その上の狭まったところに倉庫の区域があって、1ダースもの国からの舶来品でいくつかは満たされているが、大部分はエスロリアの良い気候と豊かな地質の恵みである果物や黄金のような穀物が詰め込まれている。良くできた(強い)酒が名高い緑色の陶器の壺に満たされていて、世界中で知られるエスロリアもののヴィンテージであることを示している。倉庫の向こうのずっと登っていったところに、ノチェットの都の大いなる外壁の第一列目があって(貧民街とも呼ばれる)「港湾区域」や外国人のスラム、はぐれ者やヒョルトランドの難民窟に至る。
港の一方にはファラオの戦艦である二段櫂船や三段櫂船の威容が見られる。ファラオの命令で砂浜でさらに多くが建造途中だったが、彼の失踪後、エスロリアの「太母」自身が海軍の指揮権を担うようになり、 彼女の旗の元で仕えることを拒絶し、ヒョルトランドの不毛な防衛に乗り出していった艦の補充をするために新しく建造が行われた。出ていった彼らの噂は以来たえて聞かない。カーシーの陥落とともにルナーの手に落ちたというのがもっぱらの巷の説である。
ルナーのところに亡命するような連中はやくざなろくでなしどもである、として「太母」に退けられ、二度とこのようなことを許してはならないという話になっている。これらの深い喫水を持ち遠洋航行に向いている船舶は砂浜に上げることができず、二つの停泊方法があるがいずれも高価である。最初の方策としては波止場のいずれかを選ばなければならないが、不幸なことに両岸が交易王の一族によって支配されていて、非常に高い利用料を払わないかぎり関係者一族の船しか停泊できない。
パソスのカプラティス家がライソス川の都側の波止場を支配していて、(カーシー向けの輸送を除いて、)海を渡っていく一切の穀物交易を取り仕切っている。カプラティス家はドックの後ろにある自らの小さな共同体の自治権をも有している。そして「港湾区域」から市壁で隔てられている。この西方人の自治区、マルキオン教文化の区域はアラトスAlatosとして知られ、カプラティスの家長は「議長」と呼ばれている。
川の向こう岸にはセシュネラのテュマーリンTumerine家が自分の波止場を有している。彼らはカプラティス家より長くノチェットで取引していて、かつてはアラトス区域(アーラタAlataと彼らは呼ぶのだが)の利用権を保有していたが、前世紀の遅くにカプラティス家に競り負けて川の対岸に移動を強いられた。その郊外で彼らが定めた居住区はゼラZeraと言う。ゼラはド・テュマーリン家の長老たちの評議で自治されていて、伝統として指導者はドンと呼ばれる。しかしこの頃は先代のドンの若い未亡人がドンナと呼ばれている。このことはゼラ評議会にとって不愉快なことだが、ドンナはエスロリアの「太母」と同盟をむすんでいるのである。
アラトス人同様、ゼラの民もマルキオン教徒だが異なる教義を持っている。ド・テュマーリン家は影の国との交易全て(訳注3)を取り仕切っていて、最近には、風車で挽いたホップとエスロリアの煙草を西方に輸出する権利を得ている。ド・テュマーリンやカプラティスのところに止めることができない船は「櫂の漕ぎ手」ギルドに船をゆだねることになり、彼らは一定の賃金で船の積み荷を岸まで運んでくれる。
ノチェットの港でもっとも壮観な眺めは巨大なウェアタグ人の龍船のドックである。皮肉なことに、港にある施設の中で、一番利用されていないのがここで、ほとんど廃墟になっている。いくつかの設備は小さなボートに使えるように改修されていて、漁民やはみ出し者たちが遺跡となった重厚な建物の間に住みついている。他の施設も、特に古のウェアタグ人の防壁がしっかり残っているところは、この都の防御機構に組み込まれているし、都の下水道の大部分がこの区域に流れこんでいる。
歴史を通じて、ウェアタグ人のドックを再建しようとする壮大な計画が何度も持ち上がったが、このような計画の全てがいつも途中で終わることになる。必要となる膨大な費用のためである。近年、ひとりのドワーフの技術者が西方の都市の女王、国際都市ソグに倣ったという、部分的な再建の設計図を示した。(ソグの都自体、似たような廃墟と化した巨大な龍のドックが全体の4分の1を占めているそうである。)エスロリアの「太母」は噂によるとこの計画をこのモスタリの求める代価の10分の1にせよ買ったそうだが、いまだに彼女が計画に着手したといういかなる兆候も表れてこない。(訳注4)
ノチェットの港は自ら名乗る通り、聖王国でもっとも富裕だが、この評価をめぐって、ポルトメカPorthomeka地方の大都市であり、規模と権益においてノチェットに次いで2番目であるリゴス市との熾烈な競争が存在する。(訳注5)それはリゴスが自前の水深のあるドックの拡張を計画しているからであり、西方へ海を航行できる船舶を停泊できるようにする予定だからである。さらには、リゴスは新たな港湾は「自由港」とすることを約束しており、いかなる船も商業的な提携の有無にかかわらず、停泊できることになる。
この新たに作られる港についての約束ごとにも関わらず、ノチェットの市場へのリゴスの未来の進出はいくつかの政治的な要因から抑えられている。しかし聖王国の増大していく混乱と無秩序のなかで、これらの要因も影が薄くなってきている。リゴスが不運なことは、この都市がマルシン川のポルトメカ側に位置していることで、つまり渡ってくるエスロリア側での生産物全てに、河川交通税がかかるということになる。この税制は比較的新しく導入されたもので、「太母」がノチェットの交易王たちの要請で制定したものである。
また、マルシン川と白降り川、ゴーフィン川を上がり下がりする川ボートの漕ぎ手たちはリゴスで海に下ることになるのだが、数世紀というものこの都市を中継地としてしか扱っておらず、沿岸を進んでノチェットまで入ってしまう。そうする理由は簡単明瞭で、世界中から商人が取り引きにやってくるノチェットのほうが、運ぶ積み荷に高い価がつけられるということなのである。(訳注6)
ノチェットの港はおそらく旅人がノチェットを訪れる上で最初に見る場所で、それはその旅人が陸路はるばるやってきたとしても、大きな交易路の多くは港に終着点があるので同じことである。「港湾区域」はこの旅人の最初に泊まる場所になることだろう。なぜならこの都市に入ることはいかなる意味でもまったく制限はなく、旅人が若くて配偶者の伴わない男性なら特に歓迎されるからである。
訳注1:エスロリア内陸のマルシン川と鷲川の上流。
訳注2:この太母がノチェット以外のどれくらいの領土を治めているのかは不明。ファラオ失踪後、エスロリアに中央権力は存在しない。
訳注3:いわゆる非人間とマルキオン教徒の関係を思うと、影の国Shadow Land=影の高原Shadow
Plateauは少々疑わしいが、著者にはそれなりの根拠があるのかも知れない。オブライエン氏はStrangers
in Praxの著者でもあることに注意。
訳注4:Lozenge Guide to Sog Cityの記事はNick Brooke氏のサイトで見られるが、この著者もMOB氏らしい。http://www.btinternet.com/~Nick_Brooke/sog/index.htm
訳注5:ポルトメカはエスロリアとカラドラランドの国境地帯
訳注6:詳しくは聖王国の地図を見ること。http://www.glorantha.com/new/fan/hocmap.jpg (640KB)
ジルステラ人の島
ライソス川の広い河口に風景に調和しない不釣り合いの島があり、全ての者にジルステラ人の島と呼ばれている。ただし、ジルステラ人が何者だったのか、そしてなぜ、この島がそう呼ばれているのか知る者はほとんどいないのだが。なんにせよ、この島は(周囲が素晴らしい漁場であるとの声が高いのに)全ての正気でまともな民に厄災を招く場として忌まれ、避けられている。
この島は、かつてジルステラ人の住んでいたところだが、なぜ神知者たちがここに留まったのかは不明である。周囲の地と異なり、この島は珊瑚礁でできているし、その珊瑚も他の鏡の海で、さらにはマニリア沿岸のどこにも同じようなものは見つからない。三角州一帯の波に洗われた砂浜と対極的に、ジルステラ人の島の岸はぎざぎざしていて、ここに船をつけるのは危険である。島自体は不毛で、呪われているとも言われる。わずかな発育不全の草木だけが生えていて、本土から風で飛んできて、根付いた土がある亀裂や割れ目のところにうずくまっている。水源もほとんどなく、とがった珊瑚がじかに露出している恐ろしい場所にわずかな池が隠れている。
神知者がこの島に留まった理由が明らかになっていないのと同様、彼等がどうやってこの島をこの場所に置いたのかも明らかでない。この島は明らかにこの場所にそぐわない。神知者たちが島に船のように帆をかけて、ここまで進めたのだと推理する者もいる。そして巨大なウェアタグ人の龍艦のドックで島の修理をしようとしたのだとも。この推論は(奇矯なたわごととして一蹴されているけれども)おそらくドックと島が互いに非常に近いところに位置しているところから生まれた話だろう。事実、ノチェット人のより無知な連中は、この島とドックが起源を同じくしていると信じている。
島全体が海の方に傾いているのは目に明らかで、あたかもなにかが島を傾けて端を沈めたかの様子である。ランカー・マイの学者たちは独善的にこのことが背教者の神知者たちが没落したとき、つまり世界が彼等の異端に反旗を翻した時に起こったことだと言っている。この場合の世界が使った道具は一なる老翁だった。まだ水面上に残っている島に建物はないが、沈没した部分の上まであえてボートを乗り入れた漁師はしばしば水中の珊瑚の塔にいくつも扉や窓が開いているのを見たと主張する。 怪物や幽霊や、大いなる宝などのありふれた話が存在するが、いくつかは本当かも知れない。
長く続く太母の名の元に、全ての者にジルステラ人の島の立ち入りは禁止されてきた。また水没した島の水域への乗り入れも禁止されているが、この禁令は戦時を除けば、概して強制的なものではない。しかし水塞がかなりの出費を強いながらも、下の珊瑚礁の上に本土からの石組みを沈めるかたちで、前世紀の初めに島の端に建てられた。島そのものから突き出していて、砦に備わっている石の突堤はジルステラ人の島の一部とは見なされておらず、したがって太母の禁制はここにはあてはまらない。この水塞はその鋭敏な設計者の名をたたえて、公式には「エウゲニウスの塔」と呼ばれている。彼は宮殿の宦官だったのだが、この功労にも関わらず、塔の建設費の超過が過剰になったとき処刑された。このとりではここで駐留することになった不運な連中には「冷たい城」と呼ばれている。快適にするものや娯楽がないからである。
この砦は河口に渡されている大きな防材の一方が置かれていて、税関の役割を果たしている。難攻不落と見なされているものの、「冷たい城」は完全に本土からの食糧と水の補給に頼っている。非公式で、包囲戦のときだけ用いられるが、「冷たい城」の守備兵はときどき闇をぬって、塔の外に忍び出し、島の池から水を飲む。これらの水の供給所についてありがたく思った兵士たちによって描かれた地図が、将来の必要に備えて防壁の下部に彫り込まれている。
この島は悪評にもよらず、実のところ大いなる美をもつ場所であり、もっとも迷信深いノチェット人ですらこのことは認めている。同じ日でも時間によって、この島の珊瑚は異なる色合いに見える。夜明け前の明かりの深い紫から、昼間のおだやかなピンクと、夕暮れのけばけばしい赤まである。この島で景色を見るということはきわめて特別な権利と見なされていて、建て増しされた砦からその景色を見ることができる幸運な者がいないように、建物は配置されているのだ。
First published in Tradetalk issue #4, Copyright c 1998 by Michael O'Brien
この記事はTradetalk Magazine 第4集に初めて掲載されました。版権は原著者にあります。